古宇利島の平成21年の祭祀のすべての保存調査を進めている。旧正月からスタートし、旧暦の10月のタキヌウガンまでの参与記録(映像)が終了する。それらの記録を『なきじん研究』に収録する。編集作業にはいる。

  ・ムユウイミ(ウットミ・パットミ)(平成21年1月16日:旧12月20日)
 ①古宇利島の旧正のウガン(平成21年1月26日)
 ②古宇利島のムシバレー(平成21年5月12日:旧暦4月 日選)
 ③古宇利島のプーチウガン(平成21年5月14日:旧4月20日)
 ④古宇利島の嶽御願(タキヌウガン)(平成21年5月18日:旧4月24日)
 ⑤古宇利島の五月ウマチー(平成21年6月7日、旧暦5月15日)
 ⑥古宇利島の神下り(カミサガイ)(平成21年8月13日:旧6月23日)
 ⑦古宇利島のユーニゲー(平成21年8月14日:旧6月24日)
 ⑧古宇利島のサーザーウェー(2日間)(平成21年8月16日:旧暦6月26日)
 ⑨古宇利島のピローシ(平成21年8月17日:旧暦6月27日)
 ⑩古宇利島の海神祭(ウンジャミグヮー)(平成21年9月14日)
 ⑪古宇利島の海神祭(平成21年9月15日)
 ⑫古宇利島の豊年祭(平成21年9月16日)

 ⑬古宇利島のミチュンウガミ(平成21年9月28日 旧8月10日)
 ⑭古宇利島のプーチウガン(平成21年11月18日 旧10月日撰)
 ⑮古宇利島のタキヌウガン(平成21年11月22日 旧10月日撰)


・ムユウイミ(ウットミ・パットミ)(平成21年1月16日:旧12月20日)

 旧暦の12月20日。古宇利島では今年度(平成20年)最後の神行事が行われた。ムユー折目で、ウットミ、ハットミと呼ばれている。昭和2年に調査をされた宮城真治は「ウットミ、ハットミ(打とめ、余とめ)、ムユ折目ともいう。村の頭にスンカンヌヂの飯を字から配った。今はなし)」と記してある。

 ウットミパットミは今年の神行事の最後、締めの意味合いのようである。古宇利春夫氏宅に集まり、お宮へ。線香・泡盛・塩・米が供えられる。お宮での祈願が終わると、シラサ(岬)の先端へ。そこで東の塩屋に向かって祈願がなされる。これで一年間の神行事の締めを行った。そこでの東に向かっての祈願であるが、神人の観念は塩屋に向いている。神人の参加は古宇利春夫氏と兼次フサエさんの二人。この行事は本来ノロの持ち分のようである。ノロが出ていないので、山川ツルさんが務めているようであるが、体調が思わしくないので兼次フサエさんが行った。


       ▲お宮での祈り                    ▲供え物(塩・米・泡盛など)


     ▲シラサ(岬)に向かう古宇利氏              ▲塩屋に向かって祈る神人

①古宇利島の旧正のウガン
(旧正月)

 旧暦の元旦。早朝からの調査あり。古宇利島の旧正月のウガンから。お宮に島の方々が集まり、新年の祈願をする。その後にアガリガー、イリガー、最後に集落の東側で七つのウタキに向かっての祈願をする。今年は神人の参加なしでした。(古宇利島の祭祀は一年通しての画像調査となる:参与観察記録)

【古宇利島の初願】(旧正月)


     ▲お宮でのウガン(古宇利島)               ▲お宮での供え物(古宇利島) 


    ▲アガリガーでのウガン(古宇利島)           ▲イリガーでのウガン(古宇利島)


     ▲ナナムイへのウトゥーシ(遥拝)              ▲古宇利島の旧正の朝

②古宇利島のムシバレー(平成21年5月12日:旧暦4月 日選)

 古宇利島のムシバレー調査。旧暦4月の日を選んで行う祭祀。時間は引き潮。他の地域ではアブシバレー(畦払い)。午前中、雨が降ったり曇ったりの中行われた。11時頃、神人や関係者がサブセンターに集まり、供え物などの準備が行われる。サブセンターから島の東側のハヤハンサチへ。かつては、ムシバレーの祭祀場として独立した突堤があったが、今はアサギマガイから橋詰まで長い護岸となっていて、大体の場所取りとなっている。(ハヤハンサチは茅刈り場の先?)

 神人は兼次フサ子さん、山川シズさん、玉城ユキ子さん。古宇利春夫氏、舟づくりや舟の送りだしは兼次光男氏。風は島に向かっていたため、舟はなかなか沖に流れず、何度も戻っていた。虫を流すのであるが、最近はかたつむりが多いとか。

 ハヤハンサチでは線香(火をつけず)、モチ、豆腐、三枚肉、神酒(泡盛)、米が供えられた。今回は虫入れ箱まで準備されていた。害虫が島から逃げてくれたらいいとのこと。祈りが終わると神人たちは神酒やモチなどをウサンデーする。

 再びサブセンターに戻り、そこでウサンデーをしながら談笑。14日のプーチウガンの確認。ムシバレーはサブセンターとハヤハンサチのみ。車のない時代は、公民館からハヤハンサチまでの道筋があったようだ。その日は、鍬やカマを置いて休息日であったはず。


     ▲サブセンターで供え物の準備             ▲供え物(モチ、豆腐、三枚肉など)


     ▲舟は兼次氏が準備                    ▲舟に虫を乗せて海上へ


     ▲ウガンが終わり、ウサンデー                ▲虫を乗せた帆舟は沖へ?


③古宇利島のプーチウガン(平成21年5月14日:旧4月20日)

【プーチウガン】
 
古宇利島のプーチウガン調査(東組へ参加)。プーチウガンは島への疫病や流行病が侵入するのを防ぐ祈願である。主に島の津口(港)で祈願が行われる。それと西組はイーバイ(集落の西側)でビジュルヌメーヌウタキとマチヂヌウタキへ遥拝をする。東組はマーハグチヌウタキ、トゥンガヌウタキの近くで遥拝し、島の東側ではビジュルヌメーヌウタキとソーヌウタキへ遥拝する。そこでは最も東側のチグチ(港)へのウガンがある。西組もチグヌパマ、ウパルマイ、グサブ、ターチバナシ、トゥンヂバマの各津口でのウガンが行われた。

 島への疫病や流行病の侵入を防ぐのに、誰にお願いしているかというと、ナナムイのウタキの神である。ナカムイヌウタキを除いて、他のウタキへは遥拝をしているが、神人の唱えの中にプーチ(疫病)の侵入を防ぐ祈願が唱えの中にある。「戦前はプーチウガの日に豚を一頭潰して、骨を集落の東と西、そして津口に吊るして、流行病を防いだ」という。ある時代、島に病が流行ったために豚を潰して骨を吊るす習わしになったという。

 神人が担当する拝所ある。古宇利春夫さんがお宮(クワッサヤー)とナカムイヌウタキ、ウチガミヤーは山川貞子さんが主となって行われた。担当する神人が出ていない拝所は区長と世話係の方が行っている。東側は神人は兼次さん一人の参加なので、担当するウタキの区別はできなかった。

【前半は一緒に行う】(サブセンターからナカムイヌイタキまで)


          ①サブセンターに集まり、各々の場所での供え物の準備をする。


   ②供え物の準備が終わるとお宮へ                    ③比謝屋へ


           ④ヌルヤーへ                   ⑤ナカムイヌウタキへ

【後半は二組に分かれる】

【東 組】(マーハグチヌウタキ~イリヌカーまで)


     ⑥マーハグチヌウタキへ(遥拝)            ▲供え物(泡盛・塩・花米) 


      ⑦トゥンガヌウタキへの遥拝        ▲プトゥチヌメーヌウタキ、ソーヌウタキ、津口へ遥拝


⑧三ヶ所への遥拝(豚肉・豆腐・餅は津口への供え物)     ⑨アガリガーでのウガン


      ⑩イリガーでのウガン               ⑪サブセンターで西組と合流(ウサンデー)


古宇利のプーチ御願(西組(玉城菜美路 調査記録)

 山川シズさん(ウチカミ)・古宇利春夫さん(フンシー)・区長さん

15:10~ イーバイ

 線香に火をつけ西に向って、2ヶ所分拝む。
 供え物(ご馳走・ビンシー・半紙・ウチカビ)
 (「マーチジ」「イピルメー」の2ヶ所で、昔お産があった場所への搖拝)
 拝みを終えると、線香にお酒を少しかけ、半紙とウチカビはすぐ脇の草の中へと入れる。

15:20~イーバイ

 線香には火を付けず、線香の先をお酒に少しつけて拝む。
こちらでは春夫さんがお米を手に3回にわけてとり、それを撒く所作がみられた。こちらでも半紙とウチカビは燃やさずに脇の草の中へ。

15:25~ウプルマイ 

 急な階段になっているため、足の調子の悪いウチカミさんは階段の上からの拝みを行う。

 

15:35~ グサブ

15:40~ ターチパナシ

 ターチバナシは「2つの離れた岩」という意味。

15:45~ トゥンジバマ

 3回手にお米をのせて撒く所作。ウチガミ・半紙はここでも燃やさず。

15:50~ 西組の御願は終了
 昔はトゥンジバマで東組と待ち合わせをしたのだが、神人のアヤ子さんが遅かったり、また秋頃の御願だと寒くなるため、終わり次第サブセンターへ戻るかたちへとなった。

15:55~ サブセンター
 春夫さんは「ノロさんがいないと早く終わるね~」と冗談を飛ばしていた

16:40~ 

 東組が戻り全員そろって春夫さんから順にお酒のウサンデーをしてそれを終えると神衣装を脱ぎ、すべての御願が終了となる。


    ■春夫さんのお話から…

 昔は豚を焼いて骨を左縄にぶら下げて、お宮などに縄をさげたのを覚えているが、春夫さんからはやったことがない。
 コレラが流行り恐れこの御願をやりはじめた。
ハンゼーの急な階段を降りて、告別式の帰りなどに海水で足を洗い清めた。
どこに向ってというより、浜(海)に向って拝む。
西組は浜での拝みがほとんどのため、各所でご馳走を供えた。

■メ モ
 はじめにウタキに向って拝むのは、“神への頼み”。それから浜などをまわり、神の力をかり病気や邪気をはらうための御願を行う。
 ウチカミさんや春夫さんなど、それぞれの持ち場(拝所)を持って積極的に御願をする。
古宇利春夫さん→ お宮、ナカムイ御嶽とフンシンヤー
 山川ツルさん→  ウチガミヤー
 兼次フサエさん(与那嶺家)→ プトゥキヌメー
 玉城ユキ子さん(湧川家)→ マチヂヌ御嶽

 ムシバレーが終わると島内にある原石(三基)と平敷の一基の確認。さらに仲尾次のシマの成り立ちの確認調査を行う。


④古宇利島の嶽願(タキヌウガン)(平成21年5月18日:旧4月24日)

 雨が落ちそう。ナナムイ・ナナタキを回るでしょうか。今年は旧暦の正月から古宇利島の祭祀の動画撮影での記録を行っています。ムシバライ・プーチヌウガン、そしてタキヌウガン。平成21年の祭祀記録としての撮影です。そういう記録は歴史史料になると考えているからです。祭祀は生き物であり、変貌しつつあるということ。それが急激に衰退への道を歩んでいます。

 今日のタキヌウガンの様子はどうだろうか。ナナムイ・ナナタキを回るなら、いくつか確認できればと。

【古宇利島のタキヌウガン】
 タキヌウガンは祭祀と集落、そして神人の出自と神アサギ、さらに近世の山原の村(ムラ)の成り立ちと密接な関係があるとみている。それらのことに気付かされたのは、古宇利島のタキヌウガンである。それとウタキの議論は集落の発生とかかわり、古琉球のマク・マキヨ規模の集落の発生と関わるものである。そのことは『なきじん研究』(15号)「山原の御嶽(ウタキ)」で触れておいた。今回は特に神人の出自と担当するウタキの関係の確認であった(ナカムイヌウタキは古宇利春夫氏、プトゥキヌメーヌウタキ兼次フサエさん、マチヂヌウタキは玉城ユキ子さん)

 『琉球国由来記』(1713年)の古宇利島の嶽(ウタキ)は、以下の三つである。それには登場しない、④マーハグチヌウタキ、⑤⑥トゥングヮヌヌウタキ、⑦マチヂヌウタキがある。それらの七つのウタキをナナムイ(七杜)・ナナタキ(七嶽)と言っている。そこでウタキ(御嶽)は杜全体、イベは杜の中の線香を立てる場所と区別している。そうする必要がある。例えば、サウ嶽御イベはサウ嶽という杜と、杜の中の線香を立てる場所がイベ。そのように区別しているのが、杜全体を「中嶽」、杜の中の拝む場所が「ナカモリノ御イベ」である。イベを神名としているが、そこは神の存在を言っているのではなく地名だと見ている。

  ①中嶽(ナカムイヌウタキ) ②サウ嶽御イベ(ソウヌウタキ) ③カマニシ嶽御イベ(ハマンシヌウタキ)

 『琉球国由来記』(1713年)で古宇利島の御嶽(ウタキ)を三つ掲げてあるのは、島には少なくとも三つの血族集団のマク・マキヨがあったとみている。それと神人が管理するウタキと神人の出自との関係、ある神人が亡くなると引き継ぐのは同系統(一門)から出していくのはそのことを示している。

 『神の島、古宇利島』(宮城真治)でそれぞれの神人噯(アツカイ)の御嶽(ウタキ)につい記されている。
   ①ナカムイヌウタキ・・・・・・・・・古宇利子噯
   ②ソウヌウタキ・・・・・・・・・・・・ノロ等の噯
   ③ハマンシヌウタキ・・・・・・・・・内神の噯
   ④マーハグチヌウタキ・・・・・・根神の噯
   ⑤トゥングヮヌウタキ・・・・・・・ノロ等
   ⑥プトゥキヌメーヌウタキ・・・・ノロの噯
   ⑦マチヂヌウタキ・・・・・・・・・・ヤトバアヤ噯

 神人の出自と、担当するウタキとの関わりから、古宇利島の近世の行政村(ムラ)と古琉球のムラ(マキヨ・マク)との関係を読み取ろうとするものである。現在の祭祀は、近世の行政村になってからの形ではないか。継承されている祭祀に近世以前のムラ(マク・マキヨ)の形態がベースとなっているのではないか。近世からの行政村と古琉球のムラとは、大分異なっているように見受けられる。土地利用や税制、祭祀の形態含めて。タキヌウガンやプーチウガンを調査していると、・・・
   
①マーハグチヌウタキへ遥拝



②トゥングヮヌウタキ


▲トゥングヮヌウタキのイビに行けない神人は入口で遥拝  ▲イビでのウガン

③ソーヌウタキへ遥拝


④プトゥキヌメーヌウタキ(イビ)




              ▲途中、東方へ向かっての祈願あり


              ▲クッワチモーでの直会(いろいろ御馳走がでる)

⑤ハマンシ(ビジュル)ヌメーヌウタキ(イビは洞窟の中)

 
      ▲ハマンシヌウタキの中へ              ▲イベは洞窟の中にあり

 
            ▲途中、西側に向かってのウガンあり

⑥マチヂヌウタキ


     ▲マチヂヌウタキの中へ              ▲マチヂヌウタキのイビでのウガン

⑦ナカムイヌウタキ(遥拝)



   ▲ナカムイヌウタキへの遥拝                ▲ナカムイヌウタキの遠景 

フンシーヤの祠でのウガン


         ▲フンシーヤの祠でのウガン(ナカムイヌウタキのイビでウガンの体?)


⑤古宇利島の五月ウマチー(平成21年6月7日、旧暦5月15日)(調査記録)

 6月7日(旧暦5月15日)のウマチー調査をする。二月にも同様なウマチーがある。これまで、それら二つのウマチーについての調査はしてこなかった。それは理由があった。朝の5時ということもあるが、5時以前に行われる古宇利春夫氏(フンシー神)氏が行う重要な部分がある。それはフンシー(古宇利春夫氏)が行く途中で人に出会うことは避けなければならないということ。それと島の人々が寝静まってから家をでるなど、そのような理由があってのことである。その部分については了解があろうとも慎まなければならない。

 五月ウマチーは他の地域では「稲穂の結実」であるが、古宇利島では稲作は行われていないので、粟の結実の祈願なのであろう。それらの作物の豊作祈願も当然のことながら、もう一方で米や麦などは税であったことも念頭に入れておく必要がある。食するためというより、豊作で税を納められることの祈願部分が忘れられているのではないか。祭祀が首里王府の統治している手段であったことも。

 今回の調査は朝5時以降の調査である。二月と五月のウマチーについての様子は、これまで聞いてきた。また、宮城真治の「神の島、古宇利」(昭和12年頃)で以下のようにある。

  二月御祭、五月御祭の時、
   夜十二時よりクンシーが仲森を七度巡る。祭の前々夜及び前夜とも。仲森の南於いて森に向ってウッサリーを唱える。
   衣装を着け、トリゴシャンを持つ。家族も他家へやる。
   近所の人も声を立てたりセキをしたりさせない。
   クンシーに行遭うことを嫌う。
   五月御祭の稲の穂の代りマージンをゆで上げる。(アシャギで神人がする)

(調査メモ)
①【ヌルヤー】
  ・午前5時 ヌルヤーに神人と区長(今回神人一人)
  ・先に電気が点けられていて、ヌルヤーは開けられている。
  ・暗いため参加者の確認がヌルヤーに入るまでわからない。
  ・神人と区長と神人(玉城ユキ子さん)の補助の方
  ・神衣装に着替える
  ・神酒・線香などの供え物をする。
  ・五月ウマチーの唱え
  ・ヌルヤーでのウガンが終わると神人二人(兼次フサエさんと山川シズさん)の二人を兼次さん宅で
   車に乗せて横太原の海岸(ハヤハンシチ)へ。

②【海岸:ハヤハンサチ】
  ・ハヤハンシチの海岸で。明るくなってくる。
  ・神人は兼次房子さん、山川シズさん、玉城ユキ子さん。
  ・兼次さんと山川さんは、そこで神衣装をつける。
  ・区長さんが供え物の手配をする。
  ・東に向っての祈願(塩屋にむけて:姉妹の観念あり)。
  ・線香・塩の三組をセットする(線香碑をつけない)。
  ・酒・米を三組の線香のところに供える。
  ・ウガンが終わると御神酒のウサンデーをする。
  ・神アサギに向かう前に、ハヤハンサチで粟にみたてた草の穂をとる。

③【神アサギの側】
  ・神アサギの側で鍋に湯を沸かす。
  ・最初にどこの方向から湧くかを神人が確認する(最初に沸くところから台風がくると)。
  ・新聞紙を燃やしてお湯を沸かす。
  ・お湯が沸くと粟にみたてた草の穂を鍋に入れる。
  ・草の穂を持って神アサギの側へ。

④【神アサギ】
  ・神アサギの中から東の方へ向ってウガンをする。 
  ・島の東側の海岸(ハヤハンサチ)でも東方(神人は塩屋へ向く観念あり)に向かってウガンをしている。

⑤【フンシヤー(古宇利春夫氏宅)の離れ】
 神アサギでのウガンが終わると神人や区長などがフンシヤーの離れにあがり談笑をする。実はその離れは、二月と五月のウマチーの重要な場所である。宮城真治調査の「家族も他家へやる」ことを今でも行っているということである。わざわざ離れをつくり、その儀式を今でも引き継いで行っているのである。

 古宇利春夫氏は、13日の夜半と15日の夜半にきまった道筋をまわるという。稲や粟などの花は夜半に結実するという。
   
(参与観察記録)

①ヌルヤー

 

②島の東側の海岸(ハヤハンサチ)


  
           

③神アサギの側

 

④神アサギ(東側に向く)

 

⑤フンシヤーの離れ

 

⑥古宇利島のカミサガイ(神下り)(平成21年8月13日:旧6月23日)

 古宇利島でカミサガイ(神下り)の祭祀が行われた(午前8時頃から)。新しい神人の誕生の祝いの観念があるようだ。今回は神人の誕生はなかったのでヌルヤーでのウガンで終わる。

 カミサガイは各村(ムラ)によって異なるようである。村によっては神アサギ、古宇利島ではヌルヤーで行っている。新任の神人の誕生があれば、拝む場所や参加する行事や役目、それと祝福などの所作があったのであろう。「神職の新任式」の要素が大きいようである。

 大宜味村謝名城における「あらたもと」の儀式を見ると、古宇利島のカミサガリの様子を彷彿させる。他の地域での神サガリ(神人の誕生)は盛大に行われている。その状況を示す文書は何点もある(古宇利島のは未確認)。謝名の故親川ウ戸から大城菊の場合は、8月1日に玉城ノロ殿内、内神殿内でウカタビの祭祀を行い、8月10日に謝名の神アサギで「あらたもと」を行っている。村挙げての祭祀である。

 ・嘉慶15年庚午□月饒波村根神代合入め割付帳(大宜味間切)
 ・同治13年庚戌十月饒波村根神死去ニ付御殿御供池原にや女かまと江居替ニ付入めわふり帳(大宜味間切)
 ・「あらたもと諸入費取立帳」(大正6年)(今帰仁村謝名)
 ・「故親川ウ戸身変根神人入費取立簿」(昭和15年)(今帰仁村謝名)

  「神職が死亡して欠員を生ずると神意を卜い、その一族より後任者を定め、陰暦七月の海神祭の四日前にのろ・うち神・
  根神等の神職にのろ殿内に集合を乞い、新任者もまたその一族と共に参殿し、新任者の一族より線香・花米・御酒を
  うち神に捧げ、うち神はこれを受けてのろ火の神の前に供える。そこでのろを始め神職一同は火神の前に着坐し、新任
  者もまたそれに加わり、海神祭の前の晩のかみさがりに神々が降臨せられるよう、火の神に取次ぎを願う旨のおたかべ
  を上げる。それが済むと一族より神職一同に酒肴の饗応がある。・・・」(『山原―その村と家と人と―』宮城真治)。



       ▲ヌルヤーでのウガン        ▲ヌルヤーでのウガンが終わ

⑦古宇利島のユーニゲー(平成21年8月14日:旧6月24日)
 
 古宇利島ではユーニゲーの祭祀が行われる(旧暦6月24日:夕方から)。ユーニゲーを豊穣願いの意もあるでしょうが、「世果報願い」(ユーガフーネガイ)ではないか。村人の幸福や平和の願い。古宇利島のユーニゲーの時、タコ(タフ)を吊るしてあるのは「多幸」(タコー・タフー)に掛けてのことか。ニゲーは願いでしょうが、ユーと豊穣とは結びつかない。世果報願(ユガフネガイ)がユーニゲー(果報の脱落)か。そんなことを気にしながら今日のユーニゲー調査をしてみることに。

 夕方七時過ぎ、ヌルヤーに神人(三人)が集まり、祭祀が始まる。前半のヌルヤーでの神人は兼次フサエさん、玉城幸子さん、玉城タエさんの三人。それと区長さんと書記さん。後半のヌルヤーには渡具知綾子さんが参加。島の方が二人(神行事見学)。

①ヌルヤー(ウガン)
②サブセンター(ユーニゲーの歌あり。吊るされたタコの回りをウタを謡いながら三回廻る)
③サブセンターからタコを運ぶ。ウガンが終わるとタコが配分される。お神酒が回される)


      ▲ヌルヤーでのウガン             ▲ヌルヤーでのウガン


▲サブセンターにはタコが吊るされている   ▲タコの回りをウタいながら三回廻る

     
 ▲再びヌルヤーでのウガン              ▲ヌルヤーにタコが運ばれる 

⑧古宇利島のサーザーウェー(旧暦6月26日)

 古宇利島でサーザーウェーとピロシーが行われた(旧暦6月26日)(概要報告のみ)。

 サーザーウェーの一日目。島の祭祀が4日間連続して行われる。島の神人全員がどの祭祀にも参加するのではない。神人に祭祀の分担があることがわかる。サーザーウェーが行われているのは古宇利島(2日間)と天底(旧6月26日)と上運天(旧6月25日)である。サーザーウェー? 他の地域ではウカタビ・ヒチュマ・ウマチーなどの呼称。内容は?

【サーザーウェー1日目】(旧暦6月25日)

 ①ウンナヤー ②新築中の店 ③ウチガミヤー  ④フンシヤー


   ①ウンナヤーでサーザーウェーの舞いとウタを謡う(古宇利春夫氏)


     ②新築中の店で(ウタと舞い)      ③内神ヤーで(ウタと舞い)


    
④フンシヤー(古宇利子ヤー)でウタと舞い)をする(古宇利春夫氏)

【サーザーウェー2日目】

 ①サブセンター ②ヌルヤー ③しちゃぐや ④お宮(クッワサヤー)


    ①ウンナヤー(公民館)でサーザーウェーの舞いをする古宇利春夫氏


                        ②ヌルヤーでのウタと舞い


             ③しちゃぐやーでのサーザーウェーのウタと舞い


                  ④お宮(クワッサヤー)でのウタと舞い


⑨古宇利島のピロシー

【ピロシー】


 ピロシーはイルカを捕獲する漁の名称のようだ。

 ①お宮前 ②塩屋へのウガン ③イルカの囲み  ④イルカの捕獲  ④慰労


               ①②お宮前での塩屋に向かってのウガン


    ▲イルカ囲いの準備をする                ③イルカは囲いの中を三回逃げまわる


   ③最後はイルカを捕獲する                    ④ピロシーが終わって慰労


 6月23日~26日にかけて行われる他地域の祭祀は、以下の通りである。名称が異なる。新米の頃である。
 ・シンメー(旧6月25日)(国頭村浜)
 ・ミーメー(チキシウユミ)(国頭村比地)
 ・ウイミ(旧6月25日)(国頭村宇良)
 ・アギウイミ(旧6月25日)
 
 ・ウシマチ(稲のフパチ)(旧6月)(今帰仁村今泊)
 ・フチマチー(シチュマ)(旧6月15日)(今帰仁村兼次)
 ・ウカタビ(旧6月23日)/ウンジャナシー(旧6月23日)(今帰仁村諸志)
 ・ヒチュマ(旧6月25日)(今帰仁村与那嶺)
 ・ウチマチ(旧6月15日)/ウカタビ(旧6月25日)(今帰仁村崎山)
 ・ウチマチ(旧6月15日)(今帰仁村平敷)
 ・ウカタビ(旧6月13日)/ウチマチ(旧6月15日)/ウユミー(旧6月25日)(今帰仁村謝名)
 ・ヤリヌウガン(旧6月25日)(初稲取り入れ・収穫祈願)(今帰仁村仲宗根)
 ・ウマチー(旧6月15日)/シツマ(旧6月25日)(今帰仁村玉城)
 ・サージャエー(旧6月26日)(今帰仁村天底)
 ・ウユミ(旧6月26日)(今帰仁村勢理客)
 ・シチュマ・サーザーウェー(旧6月25日)(今帰仁村上運天)
 ・サーザーウェー(旧6月25日、26日)(今帰仁村古宇利)

⑩古宇利島のウンジャミグヮー(平成21年9月14日)

 古宇利島のウンジャミグヮーへ。そこでの動きにいくつか興味深いことが見出される。午前中(7:30頃)、神人が浜(ウプドゥマイ:大泊:神浜)に降りてヌミを洗う(清める)所作がある。前年度の役割を終えて、新しい年度への区切の清めなのだろうか。今の頃(8月)が正月ではないかと言われるのはそれに起因しているのかもしれない。具志堅のシニグの一連の流れと古宇利の海神祭の一連の流れから今泊(今帰仁グスクと関わる)海神祭(ウプユミ)の流れの復元が可能とみられる。それは今帰仁ノロを中心としたシマの祭祀と監守や今帰仁阿応理屋恵の祭祀とは別で、グスクでの祭祀はムラ中心(今帰仁ノロ)の祭祀であることの認識が必要。

 ウンジャミグヮーは五時頃から行われた。神アサギに神人が洗い清めたヌミ(弓)と神衣装、ハーブイ(リュウキュボタンヅル)を持参して集まる。神衣装をはおり神アサギ内からウタキ(ナカムイヌウタキ)に向かっての祈りから始まる。アサギミャーに出て、四人に神人がコの字型の線上を三回往復する。そこまででウンジャミグヮーは終わる。
   

▲ウプドゥマイ(神浜)でヌミの清めの洗いをする。     ▲洗い清められたヌミ


▲神アサギ内でウタキに向かってのウガン   ▲アサギミャーでの所作(予行演習?)


⑪古宇利島のウンジャミ(旧盆明けの最初の亥の日:旧7月27日)(調査メモ)

 海神祭(ウンジャミ)と呼ばれているが様々な要素が含まれている。「一言で」と「かわかりやすく」とかの問い合わせがいくつもやってくる。戦前から研究者が研究をしてきているが、まだわからないことが多いようだ。昨日からはじまっている海神祭という行事をみていると、場面場面で意味を持っているようで、どこに海神と関わる部分はもちろんあるが、一連の祭祀に流れている多様性に注目しての記録が大事だと考えている。すると海神との関わりは、祭祀全体からすると一部にすぎないことに気づかされる。

 それと20年余島の祭祀と関わってきたきたが、祭祀は生き物であり、変貌していくものであるということを実感させられている。神人が参加する神行事として継続していくにはもう限界にきている。神人が関わる祭祀としては、もう閉じてもいいのではないか(神人達はやるというでしょうが)(今回の画像を見ていると、神人の動きより、取り巻く撮影者の頭ばかり。体や頭をポンポントリミングせざるえない画像のみ。切られた方には申し訳ないです)


【神アサギ内とアサギミャー】
 ・神アサギ内からナカムイヌウタキに向かってのウガン(ウタキからスタート)
 ・神人の持つヌミ(弓)棒(山のものを射る道具、舟を漕ぐ道具、作物を計る道具)
 ・唐船旗(トーシンケージ)(航海安全・豊漁祈願)
 ・アサギミャーでコの字に回る(本来7回廻る。その七は七森七嶽と関係ありか)
 ・アサギミャーで東方に向かっての祈願(神人には塩屋に向かっての祈願の観念あり)
 ・ヌミで穀物を計る場面がある(穀物の出来具合を測る。五穀豊穣の祈願)
 ・餅降らしの所作(米の豊作、人類発祥伝承との結び付き)
 ・ヌミを持つ神人と神アサギ内に座した神人(役割がありか。根人の役割をする男神人と勢頭神役の参加あり)

【フンシヤー】
 ・フンシヤーは古宇利島の祭祀を司る根人的役割を果たすフンシー(古宇利子)をだす旧家。
 ・フンシヤーの庭に小さな祠あり(男根の石が納められている。人類発祥や島の繁盛を願いうものか)。
 ・小さな祠を舟先に見立て、二本のロープで舟の形をつくる。
 ・ロープ(舟)の中にヌミを持った神人がはいり、後ろの方では海勢頭の神役を務める男神人が
  ロープを持つ。
 ・ヌミを持った神人達が舟を漕ぐ動作を七回する。
 ・七回は七森七嶽、つまり島の人々は七つの集団からなるとの観念が根底にあるのではないか。
 ・舟漕ぎの所作は航海安全や豊漁祈願が含まれている。
 ・今では行われていないが、男女まじわりの所作があった(人類発祥や島の繁栄)

【神 道】
 ・シチャバアサギに移動する道筋を神道と呼び、ナカムイで招いた神(神人)を導いていく道。
  ウタキから次の場所へ移動。

【シチャバアサギ】
 ・シチャバアサギは下の神アサギのこと。神アサギが二つあった時代があり、島が二つの行政
  ムラがあった証。そのため上の神アサギと下の神アサギで同様にコ字型に往復する所作を
  する(今回は三回)。七回の往復は七森七御嶽(少なくとも古宇利島は七つの集団の集まり)

【シラサ】(岬)
 シラサ(岬)では神人が一列に並び、東方へ向かって舟を漕ぐ所作をする。神人達の観念は姉妹
 の塩屋への合図。神送りか。

【シチャバアサギ】
 シチャバアサギに戻りヌミを置き、大きな棒を神人が持ち漕ぐ所作を七回する。山原船の帆かけ
 棒である。舟の航海安全の祈願か。ここでも穀物を計る所作がある(五穀豊穣祈願)。

【神浜:ウプドゥマイ】
 (今では見られないが、神人が浜に降りて手足を清め所作があった。ウタキから神人が下りて、
 五穀豊穣や豊漁や航海安全や島の繁栄を祈願しながら下りてくる。最後は浜で島の悪疫や
 悪しきもの海へみんな流してしまう)。

【神浜からの舟出】
 今ではウプドゥマイ(神浜)からハーリー舟が出ていく。ハーリー舟に託して島の悪疫などを流して
 しまう(流れミャー)。

 この時期に行われる他の地域のシニグやウプユミやワラビミチなどを見ていると、古宇利島の海神祭は、海神のみでなく、場所や所作や道具などから多様な要素を持った祭祀である。一言で言い当てようとしても、それは無理なことである。他の祭祀も同様である。明日の豊年祭は、一年間の祭祀の重要な位置づけがなされる場面である。


  ▲神アサギ内でナカムイに向かってのウガン    ▲アサギミャーでの三回の往復(今回)


   ▲アサギミャーの東側でのウガン              ▲餅落としの場面


                   ▲フンシヤーでの舟漕ぎの儀礼


     ▲ヒチャバアサギ跡での三回の往復        ▲フンシー神人や居神など


         ▲シラサ(岬)での神送り                 ▲山原船の帆柱で七回漕ぎ


   ▲一通りのウガンが終わって             ▲ウプドゥマイ(神浜)から東・中・西組が舟出

 大正の海神祭(『沖縄県国頭郡志』285頁)

 古宇利島海神祭も同期日(旧七月盆祭後の初亥の日)にしてノロ、内神、神女十三人の外男四人、神アシアゲに集り、各戸より一戸宛捧げ来れる黍餅と外に玄米二升とを御膳に供へ、白衣の装束に大弓を持ち七回程廻りたる後、船漕真似をなし(七回)一人の神女オモロを奏して祈祷を行ひ(今はオモロを記憶せず)海岸に下り、地頭代掟(代理にても可)及びノロを舟にのせ、縄を寄せては舟を沖へ押しやり、押しやりては、又縄を引寄せかくすること七回に及ぶ。
 而して後、舟を転覆せしめノロ地頭代の一行を苦しむ。これ却って漁獲の多きを祝せんが為めなりといふ。而して其の翌日より村踊を行ふ(七月之を行ふ故に此村盆踊なし)。古来此の島にありては村芝居に際し東方に向ひて神迎えをなし又御送りをなすの例あり。

⑫古宇利島の豊年祭(平成21年9月16日)

 古宇利島の「豊年祭」を海神祭と呼ばれる祭祀の一連のものとして見ている。そこで祭祀(神人)と関わりで調査してみた。前日のハーリーの日に二本の旗頭は港の会場に立てられていた。豊年祭の道ジュネーはサブセンターからスタート。サブセンターを出発した長者の大主を先頭に。旧ムラヤー跡地で二本の旗頭(海神遊・祈豊年)と合流し、そこで旗頭の回りで舞い。そこから旗頭を先頭に神アサギの豊年祭の神アサギの会場へ。(旗頭の道筋は決まっている)

 豊年祭の最大の目的は二本の旗頭の「海神遊」と「祈豊年」にあるとみていい。その祈りは神人がやるということになる。

①道ジュネー
②舞台に向かって座る神人達
③豊年祭のプログラム(長者の大主、新しく二頭の獅子登場など)
④締めのウガン(神人達+出演者+有志の方々)
⑤旗頭をサブセンターに納める


 ▲サブセンターからムラヤー跡地まで道ジュネー         ▲旗頭を中心に


   ▲二本の旗頭を先頭に神アサギへ             ▲長者の大主に続いて子供達


         ▲長者の大主                  ▲舞台の正面で見守る神人達


       ▲新しく獅子舞が登場                 ▲すんどう(プログラムの最後)


       ▲豊年祭のプログラムが終わると神人達がナカムイヌウタキに向かってウガンをする


      ▲全日程が終わると旗頭は道ジュネーの帰り道を通りサブセンターへ


⑬古宇利島のミチュンウガミ(旧暦8月10日)

 ミチュンウガミは午後2時頃から神アサギから始まった。神アサギ内に神人が集まり、区長と書記とが供える品々を揃えて神アサギへ。神アサギでのウガンは古宇利春夫氏が取り仕切る。お盆の米の山に線香を立て、ナカムイヌウタキに向かってウガンをする。供え物はお酒・お米・線香・お餅(長方形)を二つづつ入れた包み)。お餅は参加した神人に配られる。

 神アサギでのウガンが終わるとナカムイヌウタキの西側へ神人は移動する。そこではウガンの唱えとナカムイヌウタキに向かって手を合わせるのみ。「神行事のウガンが終わった」との報告。古宇利春男氏は、そこには参加しない(神アサギのみ)。

 旧暦8月の祭祀をいくつか拾ってみると、地域によって行われる日は異なり、そして名称も異なっている。古宇利島のミチュンウガミは他の地域ではみられない要素をもっているような。ミチュンウガミにどのようなことをウガン(祈願)に込めているのか。旧暦の8月は、どの地域でも農作業が一段落する月で、農閑期となり豊年祭(ムラウドゥイ)が行われていた(古宇利島は海神祭の翌日)

 宮城真治資料で「八月上旬に水祭」とあるがそれは雨乞いのウガンである。雨が少なく、雨が欲しい時に雨乞いのウガンをしていたという。ミチュンウガミは「神行事の終わり、締めのウガン」との認識がある。ミチュンは「満ちるや終わる」の意味か。この頃、雨が降らないので「雨乞い」のウガンも一緒にしたとのこと。

  ・8月8日(トーカチ)(家行事) ミジマチ(古宇利島:家行事)
  ・8月9日(柴差)(今帰仁村今泊) ヨーカビー(与那嶺)(9~13日の間)
  ・8月10日(ミチュンウガミ)(古宇利島) シバサシ(与那嶺) 八月カシチー(小豆入りの赤強飯を供える)
  ・8月11日(ヨーカビー)(今泊) イリチャヨー(伊是名島)
  ・8月15日(フチャギモチ供え)(家行事)

 「神の島、古宇利」(宮城真治:昭和2年調査)に、「八月十日のみ出る居神四人」と「八月十日柴差」についてのメモがある。
  ・八月上旬に水祭といって餅 肴 香幸を持って墓参をする。もとはミーサもした。
  ・八月十日柴差
     十日に屋敷にしめ縄を廻らした。(九月家々で毛作の御願あり)
  ・八月十五夜 伊々で月祭があった。今も旧家はする。
     トージミ餅、大なる丸餅。切ってつめて祖先に上げて月を見ながら・・・

※古宇利島では柴差の行事はシマの祭祀ではなく個人的のもの。宮城のいう水祭は、雨がなく干ばつになりそうな時、
  ナカムイの南側で水捲きをして雨乞いのウガンをするもの(不定期)。今日のミチュンウガミのウガンは雨乞いの
  ウガンも兼ねての祈願がなされていた。(その後、島に雨がもたらされていた。雨乞いのウガンがかなったか)


  ▲ナカムイヌウタキに向かってのウガン       ▲アサギの中で餅が配られる


    ▲ナカムイヌウタキの南側へ移動       ▲ナカムイヌウタキに向かってウガン

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       (平成21年の調査終了)