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2012年11月13日(旧9月30日)天気:☁/☀ 気温:23/17(歴文センター:tama)
 10月の動きを10月中にはまとめるつもりでいたものの・・・スケジュールが詰まったまま、時の流れゆくまま・・・(;一_一)さて、少し時間を巻き戻してご覧下さい!
(館長のページにて詳しく、すでに紹介されている部分もあるのでそちらとあわせてご覧ください!)


2012年10月1日(月)

 今泊の方より「字の書いた石がある」とのことでセンターが受け取りました。
館長が拓本をとります。それをtamaが撮ります。(実測図や詳細は館長のページ参照)

 拓本、実物共に今回の企画展にて公開しておりますので、ぜひ足を運んでください!

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2012年10月2日(火)
 崎山の神ハサギは村指定の文化財になっている。その茅葺きの立派なハサギだが、台風の影響で屋根の“ちょんまげ”部分が崩れてしまった・・・そしてこの日に台風の片づけ(豊年祭に向けて)作業を行うと連絡を受けたので出かけていきました!
 大先輩の指示が飛ぶ中、手際良く作業は進みきれいに直りました!
ただ見ていただけの我々にてんぷらをすすめてくれました。優しいですねぇ~。
そんな崎山には「崎山共同売店」が生きています!!素敵です!!


  

  

  


2012年10月4日(木)
 2012年10月4日~5日まで台風後の与論島調査です!踏査した場所については館長のページにて・・・こちらでは面白くて素敵な与論が伝わるような画像を紹介します。
 与論島は沖縄が返還される前は“日本最南端”とし、南国リゾート地として賑いをみせたようだ。沖縄から目の前というだけあって、どことなく琉球らしさが感じられるものの、お酒は泡盛でなく黒糖酒になり、御嶽は神社に、薩摩的な整備を感じることができ比較をすると面白い。

 まずフェリー内にて、可愛い双子ちゃんがいたのですが寝相がスゴイ(笑)さすが双子ちゃん。連結してますね♪
 宿泊先は「星砂荘」さん。オーナーさんも優しく、すごく良かったです!映画『めがね』のロケ地にもなったようです!我々の他にも観光で来たような人達や台風後の復旧作業のために沖縄本島から来たという建築関係の作業員のお兄さん方々がいました。
 宿泊先に荷物を置いて、さっそく島巡りぃ~~~。古墓にグスクにと廻ります。与論城跡には不思議な配色のヤンバルクイナがおりました!見つめる先には国頭があります。

 「集落を見るにはまずは公民館を探せ!」by館長。ということで車を走らせていたら、公民館横に二宮金次郎像を発見!そのすぐ横には“親孝行集落宣言”の看板!すばらしい集落ですね。

それから、車を走らせていると拝所らしき所を発見!と、車を停めて撮影をしていたら・・・唸り声をあげるワンちゃんが・・・何か可愛いとその子も撮影し、ふと視線をそらすと・・・おんなじ模様したネコちゃん達が!!\(◎o◎)/!皆な視線がこっち向くから可愛いのなんのって♪拝所より、ネコ達にたくさんのシャッターを切っていました(笑)
このワンちゃんは、ネコちゃん達の番犬かな??
 与論にも土地改良の波が押し寄せているようです。何台ものクレーン車が動いている中、ポツポツと緑が残っているのが、古墓なんです。それを「これは先祖が寝る大事な墓だ!」と、ずっと守るおじいさんがいました。(このおじいさんの黄色い交通安全の旗が可愛いのだ!)
 最後に夕暮れの海を眺め、島巡り1日目はあっという間に過ぎていきました。
 夕食は与論名産“フカサメ”のてんぷら。身がふっくらと柔らかくておいしかったです!!あと、お漬物は黒糖漬け。すべてたいらげました!おしかったぁ~♪

  

  

  

  

  

  

  

  

  


2012年10月5日(金)
 与論島2日目。引き続き古墓やシヌグ祭祀場巡りを・・・古墓を見つけては大興奮の3人。お墓の写真を撮る3人組みがいたら「今帰仁組みだなぁ~」とそっとしておいてください(笑)

 黄金に輝く牛とまたもやヤンバルクイナがぁ!!これは正しい配色で、やはり国頭に向いております!!

 この日は与論港に大型客船「日本丸」が寄港していると、にわかに島が盛り上がっていました。我々は遠ぉ~くから撮影。宿泊した星砂荘のオーナー(ご主人)さんも与論の観光ピーアールのために乗り込んでいると、奥さんがお話しされてました。

 公民館の撮影をしようと車を降りると、そのすぐ横が幼稚園。グランドではかけっこ大会で盛り上がってました!“いだくーいだくー みーが わらびんちゅー” 「桜が咲いてる!」と思ったら、造花でした・・・。

 畑の中でカーを発見し、車を降りて撮影。丑之介氏がバケツで水汲みをしようとするのをすかさず館長が「だぁ!!」と、手際良く水をくみ上げ、畑にバァー!!丑&tamaは「おぉー!」と歓声を。(皆さんは他人の畑でやらない様に!(笑)

 そこからすぐのところにもカー。それを覗きこむ館長の図。

 いくつかの海岸まで足を運ぶと、自然とロケ地にたどり着く。与論は本当に砂浜も海も綺麗です!映画見てみようっ♪そして、高千穂神社にて、絵馬に“良いめがねに出会えますように”って、この方は良いめがねと出会えたのでしょうか・・・

 同じく高千穂神社の境内にて、シヌグ祭祀の際にあるサークラはこの岩で御願をすると館長の解説を聞いて、丑之介氏はさっそく登ってみるも・・・高いとこが苦手なようです(^_^;)

 そこからすぐのところには高台が・・・与論は平べったい島なので、数少ない高台から集落の撮影。なぜか青いコンテナに片足乗せて撮影する館長。を、撮影するtama。

 与論民俗村にて高倉が倒れるなどのここでも台風の影響を伺いしることになりました。

 さぁ、フェリーの時間を気にしながら・・・お土産の購入も考えながら・・・この日のお昼は“コープよろん”でそれぞれお弁当を購入しフェリー内でゆっくり食べる。など計画し残りの時間を図書館の見学をしよう!!と思っていたら・・・タイミングが悪く図書館は本の整理期間にて休館(T_T)仕方なく車内でお弁当を食べることに。
 フェリーの時間をチェックし、早めに待合所にて待機。すると見つけたのが「よろん王国 入出国管理国」の立て看板。すぐ脇にドアがあったのですが、何か気になるもののノックする勇気はなく・・・

 いよいよ与論を離れます。港には昔からプレハブのチケット切り替え所があり、何かこの佇まいが好きなtamaです。

 そうそう、与論ではお塩も特産品としていて、その塩を使った“与論ソーダ”というものが販売されていて購入!!果たして味は??

 帰りのフェリーで沖永良部出身のおじさんと仲良くなったtama。最後まで良い思い出できました!!ありがとう、与論!!

 

  

 
  

  

  

  

  

  

 

  

 

  

  


2012年10月6日(土)

 この日は湧川、崎山、仲尾次の豊年祭。今回は崎山と仲尾次をはしごしての見学となりました。

【崎山の豊年祭】

 崎山は3年マーイで豊年祭が行われます。崎山の特徴は“崎山小浜”“こてい節”などがあり、また長者の大主には“叶大主”という人物が登場し「できたー、できたー」のセリフはこの方が言います!!崎山は名護の屋部とムラの繋がりがあるので、豊年祭には屋部の方々が招待されていましたよ!ここでも見られるムラの歴史ですね♪

(前半部分をみて、お隣の仲尾次へ移動・・・)

  

  


【仲尾次の豊年祭】

 仲尾次も崎山同様に3年マーイです。仲尾次では奉納踊りから見学することができました。仲尾次の奉納踊りは“踊りバンタ”という場所にて行われます。

 ここでは仲尾次の長老である長栄さんを先頭に御願を行い、その後「かぎやで風」「豊年口説」「前ぬ浜」が奉納されました。旗頭も強風にあおられながら奉納です。それから6時30分より本番が始まります。

 仲尾次の特徴としては文化財に指定された「亀の甲」でしょう。あと、「加那ヨー天川」のラストも特徴的で面白かったですよ!

  

  

  

  

  

  


2012年10月7日(日)

 字諸志から資料を預り、コピーや目録づくりを行います。貴重な資料ありがたいです!これらはちゃんと字誌へと盛り込んでいきたいと思います!!

  

 6時30分から字与那嶺区の豊年祭へ。与那嶺は5年マーイで豊年祭が行われています。この年、豊年祭の舞台も神アサギも新築し初の祭りということでもあり、盛り上がりました!与那嶺の豊年祭は「方言劇“志堅め”」という演目がみもので、これは消防団の方々が代々“国頭サバクイ”を踊るのです。

 「加那ヨー天川」にはご夫婦で出演。奥さんは舞踊初体験!一生懸命練習したとかで、初々しさが大評判でした♪周りからは「上手よぉ~!」の声が飛び交ってましたよ♪

  

 

  


2012年10月13日(土)

 ムラ・シマ講座は字平敷。字平敷については以前にチラッと紹介したことがありますが、ウタキを中心に原始的なムラの形態をみることができます!

 今回のムラ・シマでは立派な拝領墓を測量してみましたよぉ~。また、お墓に向かう道にはまるでドリフのコントのようなトイレが!(笑)ここもムラ・シマ歩きの楽しいとこっ♪

     


2012年10月16日(火)

 兼次小学校6年生による「今帰仁の歴史」についての総合学習です!前回クバのウタキへ登った子どもたちは、その背景にある歴史について学びますよ!

 8つの班に分かれて、それぞれ「北山王時代」「第一監守時代」「第二監守時代(前期)」「第二監守時代(後期)」「間切時代(前期)」「間切時代(後期)」「村制時代(戦前)」「村制時代(戦後)」のテーマを持っています。グループで勉強したあとは、発表まで行いますよ!!

  

  


2012年10月17日(水)

 文化センターの運営委員会が行われました(2名の方お休み)。センターのこれまでの活動報告やこれからの活動予定などを報告します。それからオープン前の企画展を見ていただきましたよ!!

  


2012年10月20日(土)

 この日から企画展がスタートです!!しかし、肝心な日に館長は大阪へ出張!!

(画像は館長からのお土産のひとつ。お菓子の印刷が・・・?会社オリジナルのお菓子だそう♪)

 あと・・・センターの職員駐車場のとこに、新たな巨大キノコがぁぁぁ!!

これ食べたら、巨大化しないかな(笑)

  

  

  


2012年10月25~26日

 2日間は10月27~28日にある村総合まつりに向けての展示の準備を会場にて行います。センターでは毎年、書道・絵画・木工・写真などの作品展示を任されております!同じ会場にはその他にも子どもたちの研究報告やサークルなどによる作品がたくさん並んで楽しいですよぉ~

 

  


2012年10月30日(火)
 午前中は、兼次小学校6年生。「今帰仁の歴史」前回の続きになります!みんな、自分の原稿を暗記しての発表ができていました!優秀ですなぁ~。これから、勉強した内容を巨大紙芝居か、絵巻物か、にしてまとめていくとのこと!楽しみですね♪

 午後からは、窓口業務の方々を引き連れての研修会です。普段、お客さんに拝所の場所を尋ねられることが多いというのもあり、皆さんの希望により何回に分けての研修会を開催しました!この日は、クバのウタキや今泊集落を散策しました。

  

  

  


 ここまでが10月の動きでした!さて、これから“10月のみーちゃん&グスクねこ達”の動きでもまとめてみようか・・・その前に慌てて11月もまとめなくては(^_^;)



2012年10月25日(旧9月11日)天気:☀ 気温:27/18 (歴文センター:tama)

 さて・・・恐ろしいことに10月が終りに近づいている中、9月後半の調査をやっとまとめおわりましたので紹介します。

(館長のページにて詳しく、すでに紹介されている部分もあるのでそちらとあわせてご覧ください!)

 


2012年9月20日(木)

 19:30~諸志の字誌がありました。今回はなきじん広報からの諸志の記事をピックアップして紹介。懐かしい記事などを皆さんに見ていただき、これらを字誌に盛り込んでいくことを確認!

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2012年9月21日(金)

 この日のランチはセンター&文化財の女子メンバーにて♪

 今月で離職される方がいらっしゃるのでその前に皆で会食です。大きなお腹で頑張ってます!ママさんになるとのことです!元気な赤ちゃん産んでくださいねぇ~。

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2012年9月22日(土)

 豊年祭をはじめとする祭りの季節ですね!さわりだけですが、名護市屋部の豊年祭の見学へ。名護博の貴子さんの姿をみたくて出かけたのですが、衣装姿、凄く可愛くて、よく通る綺麗な声に感動しました♪

(画像がなくてすみません・・・かわりに屋部公民館の画像を。公民館内の舞台で豊年祭が行われます。)

 


2012年9月24日(月)

 新聞などですでにご覧になったかと思いますが・・・この日は12年に1度のお祭り「ガンゴー祭」が豊見城市高安にて行われました。

 ショッピングセンターの裏手にある字高安にて、12年に1度のお祭りはしっかりと、ひっそりと受け継がれています。(詳しくはまた別枠で記載しようかと思います。)

  

 

  

 


2012年9月25日(火)

 兼次小6年生が「校歌巡り」ということでやってきました!

 校歌に出て来る史跡等を訪ね歩くということで・・・今帰仁城跡とクバの御嶽へと行きました!クバの御嶽にて登頂した皆はテンション上がって、校歌を大合唱!!皆のいい思い出になってくれたかなぁ~。

 彼らはこれで終わりでなく、これからグループ作りをして今帰仁の歴史を学ぶ授業を行っていきますよ!

 あと・・・城跡内にきのこがニョキニョキ出ていたんですが、それを見つけた子どもたちは「しいたけ!しいたけ!」と叫んでました♪確かに、しいたけっぽい!

  

 

  

 

  

 

【おまけ】

 城跡にて、桜の花がポツポツと狂い咲き!16号の台風の影響でしょう。

 


2012年9月26日(水)

 この日は字今泊にて「シマウイミ(村拝み)」という祭祀が行われる。

まず、午後3時頃に代理ノロさんを中心に両ハサギにて御願を行います。(時間に間に合わせて行ったら、すでに始まっており途中からの記録となる。)シシ肉をお供えしての御願を行っていました。

  

 

 同じく字今泊にて、夕方6時頃になると、公民館からは路次楽が流れてきます。その音を聞いてムラの人達が集まってきました!

 皆さん「獅子はまだかねぇ~?」と口ぐちに・・・そう、獅子が舞う「ヨーハビ・災厄祓い」が行われるのです。

 獅子を一目みようと、普段静かな夕暮れ時にムラの人達が集まり、ムラがひっそりと盛り上がります。何だかこの光景をみてると肝ワサワサしてきて、凄く素晴らしく良いものを見せて頂きました!!獅子小屋での御願のあと、獅子加那志へ魂が込められる。

(獅子を穿かせながら「今の人は足長いなぁ~、丈が足りてないぁ~」という会話が交わされていました(笑))

 子ども達も大騒ぎぃ~!!君たちのムラには素晴らしい宝があるのね!!

そう、そう、今泊の獅子には“おヒゲ”が生えていました♪

  

 

  

 

  

 

  

 

【おまけ】

 センターの職員駐車場にて、巨大きのこを発見!食べられるかな?

 


2012年9月28日(金)

 館長と共に村内の獅子加那子調査をしてきました!!

 各字の獅子のお顔を比べるとなかなか面白いですねぇ~♪

 獅子自体の素材も様々!!(ビニールのような素材もあれば、芭蕉を使用したものなどがある)

(この日調査した獅子のみを紹介しています。)

 

【今泊(いまどまり)】

 昨日、ムラの厄祓いで出て来た獅子は公民館にて待機。ちゃんとお神酒がそなえられていました。背中には鈴。おヒゲがピンッ!!

 

  

 

 

【仲宗根(なかそね)】

 台風後、獅子小屋が浸水して獅子が水浸しになってしまい、公民館で乾かし中・・・という情報を聞いて、顔を拝みに。

 仲宗根の獅子は額の星マーク☆がカッコイイですね♪素材は芭蕉で区長さんは「喜如嘉まで芭蕉を求めにいかんとなぁ~」と話していました。

  

 

  

 

  

 

【おまけ】

 仲宗根調査で出会った、美人ネコちゃん♪思わず追いかけて、シャッターを切りました(笑)しかし美人だなぁ~♪(*^_^*)(美女か?美男か?)

  

 

【上運天(かみうんてん)】

 台風にも負けずに豊年祭の準備を行っていました。丑之介曰く「歯並びがいいねぇ~」って、本当ですなぁ。しっぽがピンッ!!

  

 

  

 

【勢理客(せりきゃく)】

 この翌日が獅子を出す祭祀となっていたので、この日は小屋のみを撮影!

 館長曰く「今日開けて、獅子が暴れたら大変だからな!」とのことで別の機会に・・・。

  

 


2012年9月29日(土)

 台風17号のため、予定していた村内いくつかの豊年祭が延期となる・・・

  


2012年10月24日(旧9月10日)天気:☀/☁ 気温:26/18 (歴文センター:tama)

 さてはて・・・またもや時間が空いてしまいました・・・その間にいったいいくつの台風が発生しましたかね(;一_一)

 “ネタ”はいっぱいあるので少しずつ整理しながら皆さんにお伝えしていきたいとおもいますので、マイペースにお付き合いください♪


 さすがの沖縄も朝夕と涼しくなってきましたね!皆さん、季節の変わり目体調には気をつけてください!

 秋の訪れを告げに、サシバの飛来も確認できますねぇ~♪


館長のページにも紹介されていましたが、改めて・・・。

2012年9月10~13日の期間で今帰仁中学校職場体験にて、5人のメンバーがやってきました!その様子を画像と皆の実習メモを紹介していきたいと思います!

2012年8月14日:あいさつ
 まずその前に8月14日に職場へごあいさつにやってきたメンバー。めちゃくちゃ緊張してるぅ~。

 メンバーは酢谷くん、久田くん、湧川くん、花恋ちゃん、未稀ちゃん、です。

 

2012年9月10日(月):1日目

 この日は館長とtamaがお休みなので、丑之介氏による実習です。

 まず、職員等にあいさつして、館内の清掃して、勢理客などの調査に出かけたり、今帰仁城跡の見学、今泊のウンジャミ調査などなど・・・なかなかのハードスケジュールをこなしました♪(画像がなくてごめんない・・・)


【酢谷くん(実習メモ)

勢理客ウタキ
・ウタキ・・・その山全体のことで木々を伝って来る神が来る所。その神が最初に来る所をいび(いべ)という。

 ウタキの奥側には男性は入れず、女性は限られた神人以外は入れない場所がある。そこにホコラがあり、石や香炉が置かれていた。勢理客ウタキには戦前、日本の神と沖縄の神をひとつにしようということになり入口には鳥居がついた。

・神アサギ(勢理客)・・・瓦屋根で屋根が低くつくられている。中には香炉や神が座るタモト木がある。壁はない。勢理客のアサギはウタキの正面に来るように香炉が置いてある。

 勢理客の神アサギの向かい側には勢理客ノロさんの家の跡があった。家の中には香炉やわらざんがあった。わらざんとは、王や村人からどんな物をもらったかということを記録する暗号のような物。


・ウイヌハー・シチャヌハー(マーガヌハー)

 ウイヌハー、シチャヌハーは井戸のことで昔の人たちが水をくみに来ていた。

・ウイヌハー・・・昔の集落の上の方にあったのでその名前がつけられた。一年の最初の茶をここの水でわかしていた。5月4日~5日には、水の神様にお祈りをする日がある。

・シチャヌハー・・・下の集落に水を送っている井戸で、向かい側には芭蕉の木があって昔、王様に納める税としてその木から繊維を納めていた。

・崎山神ハサギ・・・崎山神ハサギはだいぶ昔からのハサギで屋根が草でできている。屋根がとても低く、しゃがまないと入れない。中には香炉、タモト木が置かれている。近くに豊年祭に使われる舞台があり、ウタキとハサギの間にある。理由は豊年祭は村の神に見せる物なのでウタキとハサギの間にある。

・諸志のハサギ・・・諸志は約300年前に志慶真村と諸喜田村の2つの村が合併し、両村の頭文字をとって諸志になりました。そのためハサギは2つあります。

 両方のハサギは隣り合っていて、ウタキの方ではなく集落(海)の方向を向いて香炉が置かれています。理由としては神人が神の立場で祈りをするからです。中には香炉とタモト木の代りにブロックが置かれています。ハサギが2つあるのは、村の神は2つを1つにしてはいけないという決まりがあったからです。昭和30年代にアサギを一つにしようという意見でひとつにしてから諸志は不幸な事が続けて起きたのでその1年後にはハサギを2つに戻したそうです。ハサギの後ろ側には豊年祭に使う舞台がありました。

 ちなみに平敷と天底には、豊年祭がないと聞いています。平敷の神は目が悪く、天底の神は耳が聞こえないから豊年祭はないと伝えらえています。

 あと、勢理客は天底小学校の発祥地とされていて、最初は生徒が10人程度で校舎は寺小屋くらい小さかったそうです。


・今帰仁ノロ殿内火の神の祠

 昔はこの祠の近くに今帰仁ノロが住んでいた。しかし、1600年代に薩摩藩による北山打ち払いの際に家など城下町が焼かれ、周りにあった30戸ほどで成り立っていた村等も監守がいなくなり今の今泊のある場所に集落が移ったとされている。今帰仁城跡の宝等は焼かれる前に船につめこんで先に他の場所に運ばれたという説もある。


・アオリヤエ・・・国頭全土の祈りを1人でまとめて行う人のことです。アオリヤエは今帰仁城跡付近に住んでいて、近くに祠で国頭全土に向けて祈ったそうです。祈った祠の前にはウタキがあるそうです。


・ハンタ道、馬車道・・・ハンタ道と馬車道は城跡にある道で、ハンタ道は城に行く道で、馬車道は昭和に新しくできた道のことです。この道で今日祈りが行われていました。


・ウンジャミ(1日目)・・・海人祭のことで、今日から三日間の間行われます。手順は

1、香炉、米、酒を準備する。

2、米を三回取って香炉のそばにそなえる。

3、酒を線香にかける。

4、本部ウーニーの方向を見る。

5、区長さんが線香、米、酒をそなえて終りです。


今度は城跡の門前に行って杖を3回まわして1日目は終了です。


・城跡と世界遺産・・・今沖縄で世界遺産に登録されているのは、今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城、玉陵、園比屋武御たき石門、識名園、斎場御たきの9ヶ所をまとめて世界遺産になります。その中でも今帰仁城跡の石垣は硬く、守りがとても硬かったそうです。

 その石垣は手作りで、石は2億年前の石灰岩を使っていたそうです。城跡の中では踊りや祭りが行われ14世紀ごろに栄えていました。城下町も栄えていましたが、1600年代にあった薩摩による北山打ち祓いにより払いにより、今の今泊の場所に集落が移ったそうです。また、城の中でも祈り事が行われ、火の神→カラウカー→ソイツギ→テンチジ・アマチジの順に祈っていきます。

【久田くん(実習メモ)】

 

【花恋ちゃん(実習メモ)】

(勢理客)
 今日は勢理客にいきました。そこで「勢理客のうたき」を見ました。うたき(村を守る神)で香炉(いび・いべ)ここの山ぜんたいがうたき。もっとも聖なる場所、神人しかはいれない。男子禁止。稲穂はなわの編み方が逆になっていました。

 昔は森で唯一ある場所。鳥居は無かった(沖縄、日本ひとつにしよう)として作られた。

この話をきいて勢理客のうたきをよく知りました。

 次は「勢理客の神アサギ」を見ました。屋根がひくくなっているのは神様に頭をさげるため、低くしたことがわかりました。あと神アサギにはカベがなかったです。その理由も今日聞いてわかりました。たもと木もはじめて知りました。

 神アサギから勢理客のうたきを見れるのがわかりました。

その次は「勢理客ノロのおうち」のあとを見ました。わらざんっていうのがスゴイなと思いました。

次に勢理客の「ウイヌハー」と「シタヌハー」を見ました。なぜこの名前なのかがわかりました。勢理客にこんなスゴイものがいっぱいあったんだなと思いました。

次は、「崎山の神ハサギ」を見ました。サンゴがすごいと思いました。そこにもまた、たもと木がありました。あと「志慶真」と「諸喜田」村を一つにして(昭和40年頃ひとだま事故)があったことがわかりました。それでいま二つあったことがわかりました。今日1日でわかんなかったことをいっぱい学べてよかったです。


(今帰仁城跡)

 私は今日、今帰仁城跡でいろんなことを学びました。まずはさつまはんが、やきうちする前、今泊がいっぱいあったけど今の今泊のほうにうつして、今はここには今泊があったことをのこした。っていうことをしって今泊にいる。ともだちに教えたいなと思いました。

 次は海神祭をはじめてしりました。お米と酒をおそなえする。船のカイ3回、村のまよけ、水なで嵐の波がおさまるように。

 で、次に見たのは石です。今帰仁城跡におかれている4つの石が5~6万のと2億万のがあるっていうことがわかりました。布積み、のずらずみ、あいかたずみとかがわかりました。

 1609年さつまはんがせめて建物がくずれて城になれず、終わってからこのまま14世紀~17世紀、300年の間で4回でできたことを始めてしりました。

 次に世界いさんにとおろくされたところ、どころのせつめいをききました。

 次はきゅうどうっていうのがあって、そこわおおさまとかさむらいとかがとおるみちで、おとしよりとかはとおりにくいから、さかをつくってとおりやすくした。けど、67年前べいぐんがじょうりくして車とかでのぼってくるため、車でとおれないよおに上から下に7・5・3のかいだんにしたことがわかった。

 北でん、南でんには家があったことがわかった。家がなくなっておいのりをした。琉歌8・8・8・6 30文字じゃないとだめ。次にうらもんのはなしはすごいなと思いました。わかりやすくて楽しかったです。ありがとうございました。

 焼き物はタイでつくりかたをならって、それで今のやきものにはってんした。


【未稀ちゃん(実習メモ)】

(勢理客)

(ウタキ)・・・森の中にほこらのような建物があって、神人しか入れない。という場所がありました。森の入口に「とりい」がありましたが、昔はなかったと聞き「沖縄は独特な文化があるな」と思いました。

(神アサギ)・・・頭を下げて入るために屋根の「のき」が低くなっていると聞きました。でも、勢理客の神アサギはそこまで低くありませんでした。中には神様の座る場所として「たもと木」がありました。

 「わらざん」を見た時“昔の人はおもしろい方法で数を数えて、表していたんだな”と思いました。

(井戸)・・・井戸の名前は上の方にあるから「ウイヌハー」下の方にあるから「シチャヌハー」と聞きました。方言なので聞きとって書く事が難しかったです。


(崎 山)

(神ハサギ)・・・屋根は「かやぶき」。さんごの石柱、一番「昔の歴史」という感じがしました。


(諸 志)

(神ハサギ)・・・諸志には2つの神ハサギがありました。昔、志慶真村という集落と諸喜田村という集落があって、その2つの集落が一つになったため、二つの神ハサギがあると聞きました。2つの神ハサギをひとつにした事もあったそうですが、人魂が出たり、事故があったりしたため、また二つにわけたと聞きました。

 「神ハサギにも、いろいろあるんだな」と思いました。


<午前中の感想>

 暑かったので少しつかれました。午後は少しだけ楽しみです。

(今帰仁ウーニ)・・・小さな家のような建物がありました。その建物の周辺には集落があったと聞き“こんな森に中に!?”と思いました。

 国頭全体の「ウガン」と聞いて「規模が大きいな」と思いました。

「ウガン」や「海神祭」「ミジナデー」の説明も聞きました。「海神祭」を「ウンジャミ」と読むとは思わなかったのでおどろきました。

(今帰仁城跡)・・・今帰仁城跡に使われている石は、首里城に使われている石よりも古くて強いと聞きました。

 旧道と散道は行きは旧道、帰りは散道を歩きました。説明を聞いている時「散道は階段の数を数えてみると、七・五・三になっている」と聞いたので、帰る時に数えてみると本当に「七段、五段、三段」になっていました。

 旧道では旧道が「くぼんでいる」という事と、「道がまがっている」理由について聞きました。「くぼんでいる」理由は石など物が飛んできてもくぐりぬけるから。「道がまがっている」理由は時間かせぎに、だそうです。どちらも敵にせめられた時の事と知って“色々考えてお城を作っていたんだな”と思いました。

 琉歌は八・八・八・六の合計、三十字の歌だと聞き“沖縄の文化は独特だな”と実感しました。

 ほかにも祈りは「五穀豊穣」「無病息災」「家庭円満」があるという事も聞きました。


2012年9月11日(火):2日目

【午前】

・お掃除

・朝のミーティング(昨日の報告、今日の予定など)

・講堂にて本並べ

  

  


【午 後】

・今泊の海神祭の見学(まず館内でレクチャーを受けて、いざ現場へ!!)

  

  

 


【酢谷くん(実習メモ)】

・仲宗根政善先生

 仲宗根政善先生は今帰仁村字与那嶺生まれです。今帰仁方言事典を作った方です。その方の資料を整理できてラッキーでした。本は全部で5147冊ありました。新聞の切り抜きやノートがたくさんありました。

・1日目:ウーニフジ(御船漕ぎ)

     レコーラウーニ(原)

     レコーラウーニ(城門前)・・・3礼→3回つえを回す

 2日目:ウプユミ(大折目・城ウイミ)

     カラウカー→火ヌ神→ティンチジ・アマチジ→ソイツギ

     シバンティナ→プイヌモー

 3日目:シマウイミ(村拝み)

     城ウイミ

     妖火日・シマウイミ(獅子・棒術)

 今泊のふたつの神ハサギ   

 今帰仁村+親泊村=今泊


 印部石はさいおんの時に使った測量ずこう、今帰仁村は24個確認されている。

フ 加□寸原 レ いれ原 ミ うへてな原 ウ ちゃな原  等、拓本や写真を展示


・感 想

 午前 昨日は午前中に仲宗根政善さんの資料の整理と展示する作業をしました。仲宗根政善先生は今帰仁方言辞典をつくった人で、出身は今帰仁の与那嶺生まれだとわかりました。その人に関する資料は全部で5147冊あって驚きました。

 本以外にも新聞の切り抜きやノートが沢山ありました。展示する作業は大変だったけど、昔の資料や新聞の切り抜き、ノートなどが見れてうれしかったです。

 午後 午後は海神祭について学習しました。ウンジャミは3日間行われることや、ウーニフジ、レコーラウーニ、ウプユミ、シマウイミ、城ウイミなどに分けられている事、一つ一つやることに名前がついていることなど、ウンジャミについていろいろなことがわかりました。その後に、今泊の歴史と印部石について学習しました。今泊は今帰仁村と親泊村が合併してできたことが初めてわかりました。あと印部石には文字が刻まれ、今帰仁村には24個確認されていると聞きました。この印部石はさいおんが土地を測量するために各地に置いていたことがわかりました。学習が終わるとウンジャミの2日目を見学しに行きました。まず城跡に行って、カラウカー→火ヌ神、ティンチジ・アマチジ→ソイツギ→シバンティナ→プイヌモーの順で回り祈りました。その後に海に行って祈りました。

 感想 今日は展示作業やウンジャミなどいろいろ大変だったけどとてもじゅう実した一日でした。


【久田くん(実習メモ)】

(この日のスケッチなし・・・)


【花恋ちゃん(実習メモ)】

・仲宗根政善先生の資料整理をしました。仲宗根先生は、今帰仁村与那嶺生まれです。

 今帰仁方言辞典をつくったかたです。その方の資料整理ラッキーでした。本の合計は5147さつありました。新聞のきりぬきやノートなどがたくさんありました。かぞえたりするのはたいへんでしたけど、今帰仁の方言辞典があることにびっくりしました。おもしろかったです。


1日目:ウーニフジ【御船漕ぎ】ウーニ=船

    2つのレコーラウーニ

2日目:ウプユミ【大折目・城ウイミ】

    カラウカー→火ヌ神→ティンチジ・アマチジ→ソイツギ

    シバンティナ→プイヌモー

3日目:シマウイミ【村拝み】城ウイミ  妖火日・シマウイミ


まとめ

・4時から行く海神祭のスライド(パソコン)で見ました。

・もう一つのてんじのさぎょう しるべいし

 今帰仁村には24点確認されています。


かんそう

 ほってみたいなぁー じきれいだなぁーとおもいました。


【未稀ちゃん(実習メモ)】
・展示作業

 仲宗根政善先生の資料の整理をしました。仲宗根政善先生は今帰仁村与那嶺生まれです。

 「今帰仁方言辞典」を作った方です。

 その方の資料整理ができた事はラッキーでした。

 本の合計は5147冊ありました。新聞の切りぬきやノートなどがたくさんありました。

 「今帰仁の方言辞典があると、初めて知りました。本を数える事は大変でした。」


・海神祭

 1日目はウーニフジ

 2日目はウプユミ

 3日目はシマウイミ と、決まっていると初めて知りました。


午後

・4時から行く海神祭のスライドをみました。

・展示物の作業をしました。

・原石は測量する物だったと聞いて「おもしろいな」と思いました。印部石は今帰仁村に24点確認されていると聞いて「昔はもっとたくさんあったんだろうな」と思いました。


2012年9月12日(水):3日目

【午前】

 ・お掃除

・朝のミーティング(昨日の報告、今日の予定など)

 ・玉城、天底の調査

   


【午後】

 ・展示作業

 ・今泊、シマウイミ(村拝み)の見学

 

 

  


【酢谷くん(実習メモ)】


・玉城ウタキと神アサギ

 玉城ウタキは近くに祠がいくつかあり、周辺に玉城ノロさんの住居跡がしっかりと残っていた。祠では火の神をまつっていると聞いた。神アサギは、屋根がコンクリート(瓦)でできていた。だけど昔はかやぶきという草でできていたそうだ。柱は4本あって、いずれもブロックでできていた。アサギの後ろには大きな石があった。玉城ノロさんは玉城のほかにも、謝名や仲宗根でもお祈りをささげていることがわかった。近くにはいびもあり、記念碑も置かれていた。その近くには小さい祠が3つ程あった。玉城は元々、玉城村、岸本村、寒水村があったが人口が少なかったため、3つの村が合併してできた。そのため、神アサギは3つある。村が合併しても、神行事は一つにならないため、今も各地で別々にお祈りがささげられている。

・岸本の神アサギ

 岸本の神アサギはアサギの横に3つの祠らしき建物があり、そのうち一つは岸本ノロさんの家跡であるが残りの2つ建物についてはまだ、わかっていない。その3つの建物にはいずれも香炉があった。アサギの柱は6本あって、屋根はコンクリートでできている。


・寒水の神アサギ

 寒水の神アサギも柱が4本で屋根はコンクリートでできている。寒水では豊年祭が行われていて、お祈りは岸本のノロさんが行っている。周りには獅子小屋と記念碑があった。祠もあり、香炉があった。祠の屋根には昭和時代の新聞がはってあった。

 記念碑は昭和8年に創られたもので、獅子小屋には今でも豊年祭に使われている獅子舞があった。

・天底のウタキとアサギ

 天底にもウタキ、アサギがある。神アサギは柱が3本(前に2本、後ろ2つがつながっている)しかなく、屋根はコンクリートでできている。アサギには香炉があった。アサギの横にある森の中に、天底ノロさんの家があるが今日は見ることができなかった。ウタキはアサギの近くにあり、階段が特徴的だった。階段の手前からいびで、ウタキの中は見ることができなかった。


【久田くん(実習メモ)】

 

 


【花恋ちゃん(実習メモ)】

玉城の神アサギ

・柱(コンクリート)4本だった。6本もあった。

・玉城ってこんなところに神アサギがあったんだなぁーて思いました。すごかったです。カーもいっぱいいました。

・玉城には神アサギが3つあることがわかった。


天底の神アサギ

・天底の神アサギを見て、けっこうめだつところにあるんだなぁーと思いました。

 あと、天底は玉城よりカがすくなかったです。


【未稀ちゃん(実習メモ)】

玉城の神アサギ

・昔の神アサギの建物とは違っていて、柱の数が減っていたり屋根が瓦になっていたりしていました。

・玉城村の神アサギが一番印象に残りました。


天底の神アサギ

・天底の神アサギは他の字の神アサギと違って「案外目立つな」と思いました。


今泊の神アサギ

・シマイイミ(村拝み)を見学しました。

・1日目と2日目とちがって、豆腐をおそなえしていました。

・「貴重な体験をしたな」と実感しました。


2012年9月13日(木):4日目(最終日)

【午前】

・お掃除

・朝のミーティング(昨日の報告、今日の予定など)

・本部町具志堅の調査


 

 

 

 


【午後】

・ノートのまとめ、製本作業

・職場体験を振り返って!


  

  

  


【酢谷くん(実習メモ)】


・具志堅のウタキ

具志堅のウタキは森みたいな場所にあって、イベまでの道は天底のウタキに似ていて階段があって、けっこう急だった。ウタキのイベに行くと中にお宮があった。お宮の中には香炉があり後ろには最も神聖な場所のイベがあった。このお宮は昭和時代にアメリカからの寄付によって再建された。後にあったイベは線香の消し忘れによる火事で建物は焼けて無くなってしまった。だけど建物跡のブロックなどは残っていた。

 そもそも具志堅は、具志堅、上間、真部の3つの村が合併してできている。そのため神アサギも3つある。


・具志堅の神アサギ

 具志堅の神アサギはウタキの中にある。昔からずっと同じ形で屋根はかやぶきという葉、柱は石の柱で10数本あった。屋根はとても低くてタモト木が置かれていた。その周辺には大きい木々や石垣などが並んでいた。


・上間のアサギ跡

 具志堅のアサギから少し行った所に、上間の神アサギ跡があった。今はアサギ跡しか残っていなかった。隣りには当時の学校の跡があると聞いた。見ただけではわからない程普通の土地に見えた。奥の方には上間のノロさんの家の跡があった。家跡は以外と新しかった。家の中には火の神をまつっている香炉と、ノロさんの家族(先祖)をまつっている香炉と2つの絵があった。香炉はけっこうたくさんあって、香炉の支えの部分が3本あり、3本の理由として犬に関係があることがわかりました。2つの絵の一つは千手観音がえがかれ、もう一つの絵には龍が描かれていました。


・大川(ふぷがー)

 大川は具志堅の間部にあり、大川の後ろには間部のウタキがあった。ウタキ近くには昔の道跡や家跡があった。家跡の石垣は今でもちゃんと残っていたが、家があった場所は今は草や木が茂っていた。大川は今でも水源があり、水がわいている。水源の周りは石で囲まれていた。水源の上に木(木の枝)が9本置かれていて、神木の代りに置かれていると聞いた。囲まれている中は1年に1度大掃除があり、神本代わりに置かれている木は1年に3本代えられる。水源の上には水がわきすぎないように岩が置かれている。昔は掃除の後に水がたまっている所にエビやカニ、ウナギなどを入れて、豊作を願って行事が行われていた。また近くに香炉があったことから、お祈りがされていたことがわかる。水溜ねからは川に向けて放水されている。

・感想

 ぼくは職場体験4日目を終えての感想は、とても勉強になったと思います。今までは今帰仁の歴史についてだけ勉強していたけど、本部のことについても勉強できたからです。今帰仁よりも原形がとどまっていてとても原形がとどまっていて、とても歴史的だと思いました。特に大川がすごいと思いました。水はきれいだったし、水溜めの構造がとてもすごいと思いました。今帰仁との違いなどもわかってとても勉強になりました。帰りには本部の道の駅で館長にぜんざいをおごってもらいました。とてもおいしかったです。また、おごってくれた館長に感謝の気持ちでいっぱいです。この4日目は各地を巡ったりと大変だったけど、とても充実して、いろんなことが勉強できて良かったです。

 またここで学習したことを将来社会人になったときにつなげていきたいと思います。


【久田くん(実習メモ)】

(この日スケッチなし・・・)

【花恋ちゃん(実習メモ)】

本部町具志堅

・線香をけさなかったから火事でやけた。

・具志堅の神ハサギ(アサギ)は古い姿を残していることがわかった。とても貴重なものであることがわかりました。こうぞうは石柱でのきの低いかやぶきで床や壁のないのが特色である。

次に具志堅の上間家をみました。小さな学校やしょうてんがいがあったことがわかった。

次はフプガー(大川)にいきました。9本のきが中に入っていました。まいとし3本かえるってきいて、すごいなぁーと思いました。

 フプガーは具志堅のせいち、ウガーミ(うたき)のふもとにある「音にひびく」名水。

 水量が豊富で涸れたことがありません。農業用水として人々の暮らしをまもってきた。


【未稀ちゃん(実習メモ)】

本部具志堅の神アサギ

・具志堅の神ハサーギは崎山の神ハサギと同じく、茅葺きでした。

・近くにあったかんばんに学術上貴重だと書かれていました。

・「屋根は茅葺き、柱はさんご、崎山の神ハサギに似ているな」と思いました。

フプガー(大川)

・フプガーは水がとっても綺麗でした。水の中をよく見るとプクプクと小さい泡が出ていました。

「湧き水だからこそ海老や蟹が生きて行けるのだろうな」と思いました。

・水の中には9本の木の柱が組まれていました。


2012年9月20日(旧8月5日)天気:☁/☂ 気温:27/24 (歴文センター:tama)

 「平成24年度 学芸員実習(終了)」のページにて、遅ればせながら実習生のノートより、実習内容や感想などを紹介していますので、ご覧になってみてねぇ~♪

(画像は組み写真。塀の上のみーちゃん、寝起きでのびするの図。)

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 台風の影響でめくれていた床のタイル・・・館長が修理!!さすがです!!

  

 何だかお墓づいている今日この頃・・・連日お墓関連の連絡が入ったり・・・

今回はこんなお墓と出会いました。とても綺麗で感動です!

  

 豊年祭シーズンですね!作業現場見学の帰りに上運天公民館に立ち寄り、豊年祭の道具などを見せてもらいました。獅子がイイ顔してるんだなぁ~、これがまたっ♪

 黒板には・・・「おどりをおぼえる→みんなと動きをあわせる→かっこよく、大きくおどる→もっとかっこよく本気でおどる(元気な声をだす)」と、書いてありました。練習の成果は本番にて楽しみにしておきましょうぉ~♪


 



2012年9月18日(旧8月3日)天気:☀ 気温:29/23 (歴文センター:tama)

 大型台風16号が発生し、こちらセンターでも台風対策を!ドアに目張り作業する館長。何度か雨が吹き込んで来てしまうことがあったので、新聞紙で対応したり・・・

雨風が出て来た15日(土)の夕方・・・はて?みーちゃんは台風対策大丈夫かしら?と、あたりを探してみると・・・居ました!室外機の上でうたた寝。

いやっ、これが、みーちゃんなりの台風対策か!?

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 大型台風16号が通過した17日(月)は、文化センターはもちろん、今帰仁城跡も皆総出で後片付け。木の葉などが大変ですね・・・センター正面のコバテイシの木が根っこから倒れてましたな・・・センター内での浸水などの被害はなかったのですが、浸み込んできた?水の影響で展示室床のタイルがめくれてるぅ~~~!\(゜ロ\)

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 台風一過で青空が見える18日(火)の早朝に今帰仁城跡まで登ってみることにしました。昨日のうちに片付いており、いつも通りの城跡です。朝一番だったので、お腹を空かせたグスク猫たちがワラワラ集まってきました。(城跡ではなく、ネコたちの撮影に力が入るtama(笑))

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2012年9月4日(旧7月18日)天気:☀/☂ 気温:30/25 (歴文センター:tama)

 9月になりましたね!夏休みが終わり、新学期がスタート。

大型台風15号が過ぎ去り、旧盆が過ぎ去り、いつしかアカショウビンの声が聞こえなくなったかと思うと・・・トンボの大群を見るようになったり・・・季節の変わり目でしょうか・・・

 前回、字平敷についてちょこっとふれましたが・・・平敷オリンピックなどが開催される“平敷パーク”の場所が館長と共に気になっていたのですが、見つけてきましたよ!

 広く、きれいな芝生の所でグランドゴルフなどをする字民の憩いの場所になっているようです。素敵ですねっ♪
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 皆さんは、大型台風15号の影響などは大丈夫でしたでしょうか。街路樹などが塩害で茶色くなっているのが目立ちますね。

 ここ歴史文化センターの後ろにあるクボウの御嶽のハゼノキも紅葉しておりました!

館長によると「一週間くらいしたら元にもどるよ!」っておっしゃっていたのですが・・・本当に紅葉がなくなっておりましたぁ~



 お盆の間は各地でエイサーが盛んに行われたことでしょう。ここ今帰仁城跡でも日替わりで村内の青年会等が演舞を披露して下さいました!今回紹介するのは字渡喜仁青年会です。男女共に力強い太鼓の演舞に将来が楽しみなちびっ子の姿もありました♪

  
 台風も何のその!な、ネコ達・・・

  


2012年8月22日(旧7月5日)天気:☂ 気温:32/28 (歴文センター:tama)

 とある日、字平敷出身の方が資料(家譜など)を見せてくださるとの連絡が入った。その前にチラッと平敷を歩いてみた・・・なんと良いとこなんでしょうか♪

 前々から気になっていた字のひとつですが、実際に集落内を歩くと凄く気に入りました♪

 味わいある公民館!!屋敷囲いの石垣が残り、その横にはゴツゴツと手作り感あふれる小道。なんとも言えないこの曲線美!!大通り沿いには手書きの横断幕!!

(今回はお盆のエイサーのお知らせ。前回は4年に1度開催の平敷オリンピックのお知らせの横断幕がありましたが、そちらは写真を取り損ねました・・・そのかわりに平敷オリンピックの新聞記事(2012年8月14日沖縄タイムス)を載せておきます。)

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 そして、資料をみせてくれるという方との約束の日、公民館に行くと・・・なんとどうやら「勉強会」というかたちの集まりだったようで・・・

 まぁ、皆さんお元気でたくさんいろんな話を聞かせてくれました。

 「神アサギのとこの小屋で神人たちが三日三晩こもっていたよ!」「白い神衣装を着て、馬に乗っていたノロさんの姿を覚えている!」など、私からすると資料から知りえる情報をこの方々は実際に見聞きしての話しにはとても力強さがありました。

 その後、連絡をいただいた方の家譜などの資料や学芸員実習中の学生達をも引き連れて、平敷の印部石(ハル石)やお墓などの踏査を行いました。

 

  


 (おまけ)

①平敷公民館の黒板に描かれた可愛いイラスト。

②今帰仁城跡のネコ(はなちゃんと殿)

③みーちゃん。ちょこん・・・。


  

 




2012年8月7日(旧6月20日)天気:☁/☂ 気温:30/28 (歴文センター:tama)

 続報!!前回より職人2人による台は、すだれが付いてさらにカッコよくなり・・・さっそく水槽が置かれ展示されております。


 水槽の中にはすぐ近くの親川(エーガー)にて採取し、訪れる方々に今帰仁城跡周辺で生息する生き物を間近で観察できるようになっています!

 テナガエビとギンブナが中に・・・まだ試験展示らしいですので、今後さらに賑やかになるのを期待しましょう♪

 この水槽はチケット売り場(休憩所)になっている「グスク交流センター」という所で見る事ができますので、気軽に足を運んでみてくださいねぇ~♪

 テナガエビは卵を抱えていたので、増える可能性も♪


 おひとつおまけでみーちゃん。ドアを開けてもらうのを待っているの図。です!!

 


2012年7月28日(旧6月10日)天気:☀ 気温:31/27 (歴文センター:tama)

 文化センターにて、“職人”発見!普段は今帰仁城跡内の清掃等を行う働き者のお兄さん2人が何やら黙々と草刈り機を彫刻刀に持ちかえてやってるではありませんか!!

 これ、なにやら水槽を置く台だとか・・・生き物展示が実施されるらしい・・・どんな生き物が展示されるのかな?楽しみですなぁ~♪また随時報告をしたいと思います!

彫って、焼き入れて、脚にはコロコロキャスター付きです。


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2012712日(旧523日)天気:☀/☁ 気温:31/28 歴文センター:tama

某日、某所にて発見した可愛い井戸。その名も「かあー」。

 ウチナンチュの真髄を見た気がします(笑)これぞっ!!

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 みーとトラ。撮る前はちゃんと向かい合って可愛かったのに……絶妙な距離感を醸し出す2匹のネコ。

 

2012年7月11日と12日の「琉球新報」から記事を二点紹介!

 石野学芸員が「運天の歴史」散歩

 今泊のコバテイシにて羽を休めるアオバズク!

 子育て中のようで……今月の調査にて私も可愛い姿、写真撮れるといいな。

 台風が来る前には、うまく巣立ちしてほしいものです!




2012年7月11日(旧5月22日)天気:☁/☀ 気温:31/28 (歴文センター:tama)

2012年7月7日(土)

 7月7日はお休みをいただき沖縄大学までゆく。それはアイヌ魂に触れるためである。

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 「アイヌの母のこころ~4世代へとつなぐ~」と題し遠山サキさんをはじめとする家族たちがそのアイヌ魂をみせてくれました。

 まず、会場に着くと皆で一旦外へ出て「カムイノミ」を行う(皆でそれを見守る)。

 それから遠山サキさんはじめとする家族の自然とカムイと共に生きる様子を映し出した記録映画の上映。

 そして、いよいよ出演者シンポジウム!自己紹介やムックリの演奏・・・続いてウポポ(歌)を・・・と、思ったらお時間がきたので終了とな・・・これからもっと素晴らしい時間だったはずなのに残念でした\(゜ロ\)ぁぅぁぅ。

 最後はこちらからのお返しにと高良勉さんの奥様による舞い。普天間宮などで神前にて舞いられるという「初穂」という奉納舞いを披露して下さり、この企画は終了となった。

またの機会を期待したものである。さて、帰ったら引き出しにしまったままのムックリ、練習してみようかしらっ♪

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2012年7月8日(日)

 7月8日は皆で面白いことを企画してみました!その名も「やんばるの博物館・女子会」。


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 記念すべき第1回は名護博物館!名護博(名護市史)、今帰仁をはじめ・・・恩納村誌、本部、チラッと伊是名などの皆さんが集まりましたぁ~。

 展示についての解説はもちろん、その展示室の“秘密あれこれ”や普段見る事のない収蔵庫内部へ侵入したり、お待ちかねのランチは名護博お手製の「カレーライス&ソーキ汁」という素敵な組み合わせをたいらげて、それぞれの職場での“あれこれ”話しで盛り上がり解散しました。

 参加して下さった皆々様、受け入れてくれた名護博の皆々様、ありがとうございました!涼しくなった頃にはin今帰仁を考えておりますのでぇ~♪城跡登るかも?(笑)


 この会はこれからどんどん固めていったら中南部進出を野望に抱いておりやす!

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 面白いことだらけでしたが、ここではほんの少~しだけ紹介。さて、博物館(又は市史/誌)女性職員の皆さん、この会に参加したい!と言う方は気軽にど~ぞ~♪

 ひとつだけ反省・・・程順則像の前で集合写真撮ればよかったな・・・とっ(;一_一)


2012年7月5日(旧5月16日)天気:☀ 気温:31/28 (歴文センター:tama)

 6月20日~22日は歴文センターがくん蒸処理のため閉館になりました。(その間ご迷惑おかけいたしました。)

さぁ~!これはチャ~ンスっっっ!と、普段なかなか研修など出かけることのできない窓口業務のお姉さま方々を引き連れ、丑之介氏を筆頭に約3日間の研修会へと出かけてきました!その様子をざっと画像で紹介!



6月20日(1日目)

座喜味城跡→恩納村博物館→字恩納(神アサギ・恩納松下の碑)

 午前中はくん蒸処理のための作業を行い、午後から研修へ出発です!

 窓口の方々はシフトの関係上なかなか全員一緒とは行かないのが現状・・・今回はお二人を引き連れてです。

 台風5号の影響もあって、風が強いこの日は座喜味城跡の城壁には登れず・・・

  

  


  



6月21日(2日目)

 午前:恥うすい坂(東村)→ヌルドゥンチ(東村)→東村山と水の生活博物館→フクギー自然館→塩屋ムラ・シマ(塩炊大主、ハーミンゾー)→お昼

 この日は午前と午後のメンバーに分かれて巡検。お昼は大宜味産の蕎麦を提供してくれるお店にての食事であったのです!

  

 

  

  


  

午後:本部町博物館→本部の市場→名護市博物館→名護の市場

 間の市場見学もなかなか魅力的で楽しめました!本部と名護とそれぞれの魅力あるお店が並んでいて、改めてじっくりゆっくり見学したいものです!

 名護博学芸員さんおすすめの「刺身のみそあえ」と「ウツボ」などなど夕食の買い出しに張りきっていました。

  

  

  


  


6月22日(3日目)

 宜野座村博物館→喜名番所(読谷村)→座喜味城跡、読谷村博物館・美術館→お昼

 研修最終日のこの日は、前回城壁が登れなかったのと館の見学ができなかったので座喜味城跡(読谷)をリベンジです!しかし、あいにくの雨でした・・・そして午後からはくん蒸を終えた館内へ潜入・・・お掃除しての終了となりました。

  

  

  

  

 と、ざっと研修の様子を画像にてご紹介しました!女性だらけでかなり賑やかで華やかで楽しいものでした♪

 今回はあいにくの雨模様が続いたので館を主にめぐるものになりましたが、また機会をみつけては、今泊(今帰仁城跡周辺)の史跡めぐりも検討中・・・他館での窓口業務の応対や展示の様子などを見学し、こちらのいい刺激になりました。(基本、反省でしたが(笑))

 改めて、この場をお借りし・・・見学させていただきた館及び、関係者の方々ありがとうございました!おじゃましました!

そして、3日間の案内に運転手と引張ってくれた丑之介氏に感謝です!お疲れさまでした!


201273日(旧514日)天気:☀ 気温:31/27 (歴文センター:tama

 最近、tamaが心奪われたもの3つをご紹介♪


①映写機

 やんばる学研究会の石野さんによる報告でも登場した“映写機”。これ、可愛いと思いませんかっ♪このシンプルなボタンの配置など・・・。

 現役で動くんです!昔の機械ほど強いですよね!

  

  

②うるま市のマンホールのフタ。

 Tamaはずっと、マンホールのフタのデザインを写真記録にとるのが好きなんですが・・・この小さな丸いマンホールのフタにはその土地の特産や特徴などがぎゅ~と凝縮されていて面白いんですよぉ~♪

 そして、最近目にしたのはうるま市のマンホールのフタ。さすが!牛!闘牛!

 小さいのと大きいのとで、牛の数が違います。この牛、けっこうつぶらな瞳・・・。

  

③みーとトラのツーショット♪

 久しぶりにセンターに遊びにきたトラちゃんは、みーちゃんのごはんに無断でガッついてました。負けじとみーちゃんも食べる!しかし、この2匹、痩せたなぁ~。

 撮影後すぐにトラちゃんは追い出され、仕方ないので自分の餌場へ向かいました。



2012年6月29日(旧5月10日)天気:☀ 気温:31/27 (歴文センター:tama)

 今帰仁村文化協会は創立10周年を迎え、その記念に記念誌の発行を!それらの編集委員として仲原館長が!そのお手伝いを私もさせていただきました。

 そして、その出版祝賀会が昨日の6月28日に行われました。その様子を画像でご紹介。こんな私にも大きなお花を下さいました!恐縮です!

  

  

      

  


2012年6月28日(旧5月9日)天気:☀/☁ 気温:28/26 (歴文センター:tama)

 とてもとてもご無沙汰しております。皆さまいかがお過ごしでしょうか・・・

“ネタ”はたくさんたまっているものの、なかなかそれをまとめるまでの道のりが遠く・・・遠く・・・果てしなく・・・

 あんまりご無沙汰してしまい、この間に6個の台風も発生したり・・・

 さて、これから少しずつまたマイぺースにネタを披露していきたいと思います!

やはり、復活最初のネタはこれでしょう↓

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6月27日、塀の上のみーちゃん。夏の夕日を浴びてスヤスヤ・・・。

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6月28日、センター玄関前のみーちゃん。股おっぴろげぇ~!女子なのに!

 と、台風にも梅雨明けのこの暑さにもくん蒸の煙にも負けないみーちゃんです!

 今回は「生き物ネタ」を!まず、約3年振りくらいに「アオバズク」が帰って来ました!

今泊集落には県指定の天然記念物、樹齢300年とも言われる立派なコバテイシの木があります。そこで文化財調査をしているのですが、今年その愛らしい姿を見せてくれたのです!

 クリっとした黄色い目と、木漏れ日にまぎれるお腹の模様がステキですねぇ~。いつまでもここからムラの守り神として、子ども達などを見守ってほしいものです。

 また、調査中に御嶽からはサンコウチョウの鳴き声が聞こえたり・・・夏ですなぁ~。

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 今朝、センター前にて我々に見つかってしまったのが(笑)クワガタ君!メスはよく見かけますが、オスは久しぶりに見た気がします!今帰仁スイカあげてみたりして、しばし観察・・・(笑)虫屋のT氏がいたら詳しいことを教えてもらえたのにぃ~。

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2012年3月8日(旧2月16日)天気:☁ 気温:22/18 (歴文センター:tama)

 今年は桜の開花が乏しかった年でした・・・また、桜の開花が終えるとすぐに開花を始めるのが“コガネノウゼン”(沖縄では“イッぺー”の名で親しまれていますね♪)の黄色い花であるが、今年はこちらの開花が例年より遅い気がするなぁ~。なんて思っていたら、先週土曜日に歴文センターの裏にあるイッぺーの木にひとつの花が開花しているのを発見し、喜んでいたら・・・日、月曜日と気温があがり、お陽さまが出ていた影響か一気に開花!

   

  ▲鮮やかなビタミンカラー♪             ▲ブラシの木にも新葉と蕾が!

 

 また、同じく歴文センター後方からみえるクボウの御嶽には、新緑がみえはじめています!

  

▲新緑のクボウの御嶽         ▲クボウの御嶽とみーちゃん

 

最近のみーとトラ・・・

 トラは、みーちゃんに肉きゅうパンチをくらうも懸命に仲良くしようと後をついていきます。

  

▲ひなたぼっこ中・・・        ▲何だかんだで仲良しなのだ・・・


2012年3月2日(旧2月10日)天気:☁/☂ 気温:23/18(歴文センター:tama)

遅ればせながら・・・2012年2月8日(水)に行われた「第9期運営協議会研修会及び第2回運営協議会in読谷村」のまとめです。

 

【巡見コース!】

 ・読谷村立歴史民俗資料館・美術館

   ↓

 ・座喜味城跡(座喜味親方寄進燈籠など)

   ↓

 ・お昼(都屋漁港)

   ↓

 ・喜名番所跡(讀谷山村道路元標)

   ↓

 ・サシジャー(湧泉)(旧伊良皆集落)

   ↓

 ・尚巴志王之墓(その他周辺古墓やカー)

   ↓

 ・渡具知港(特攻艇秘匿壕など)

   ↓

 ・泊城公園(今帰仁と関わる伝承を持つ墓など)

   ↓

 ・運営協議会

   ↓

 ・今帰仁村へ戻る

 

読谷村の概要

 読谷村は沖縄本島中部に位置し、比謝川を境に南は嘉手納町と隣接。三山分立時代の中山圏の最北端にあたるので、昔は大北(ウフニシ)または大西ともよばれました。

 日本の村としては2番目に人口が多い!

 

読谷村立歴史民俗資料館・美術館

 読谷村立歴史民俗資料館は、村立美術館を併設した施設で、世界遺産のひとつ座喜味城跡の麓にあります。

 展示には読谷の歴史資料などの中には、米軍基地に収容された読谷村の様子をつたえる写真や資料などもあり、現在の風景と照らし合わせることで読谷村の一面をみることができたように思います。

 また、資料館の一画で“読谷村の民話”を紹介するコーナーといったものにも引かれ、歴史文化センターでもこのアイディアを取り入れられないかなどといった、刺激になりました。

 建物2階には・・・“小粒ながらも地域に根ざした美術館”として、織物や焼物を中心とした作品等で多様な企画展を開催する読谷村立美術館があります。

今回は「やちむん展」という企画展がちょうど開催されていたことで、さまざまなアーティストさんによる多彩な焼物をみることができました!


    

▲読谷村の博物館・美術館へ   ▲仲宗根館長さんに資料館内の案内をしてもらいました!

 

座喜味城跡

 2000年12月に今帰仁城跡と共に世界遺産に登録された座喜味城跡は読谷村の歴史的・文化的シンボルで、読谷山按司「護佐丸」によって15世紀初頭に築かれました。城は頂上の標高は130m近くあります。丘の地質は本島北部から続いてくる国頭礫層群の「名護層」です。沖縄のグスクでは、座喜味城のような軟質な地質条件は多くありません。この地質条件はこの城の造りを左右しており、石垣の基礎は土層を掘り込む方法で、どっしりと幅広く築かれています。石垣の曲線が美しいグスクです。

 沖縄戦において日本軍の高射砲陣地となり、戦後は一部が米軍基地となっていたため破壊や削平が多いが、幸いにも基礎部分が残っていたので、それを基に復元をしました。

  

  ▲座喜味城跡へ            ▲アーチ門では古い形態とされる!

 

(座喜味親方寄進燈籠)

 座喜味城跡内にある座喜味親方寄進燈籠。「道光二十三年癸卯三月吉日 奉寄進 副使 座喜味親方」と文字が刻まれています。道光23年は中国年号で西暦1843年に当ります。

ここに登場する座喜味親方とは座喜味盛普です。護佐丸の子孫で「毛氏」に属します。盛普は読谷山間切の総地頭(いわゆる領主)を務め、後に琉球の国政をつかさどる三司官の職までついた人物です。琉球国を代表し約100名の使節団で江戸上りに行き、約10ヶ月を要した副使の要職を無事に果たし帰国できた感謝の念から領地である座喜味城の拝所に燈籠を奉納したと考えられています。

 (資料には燈籠には頭の三角石があるのだが、現場ではその石が無く窪みを利用し賽銭入れになっていた・・・)

    

 

 

お昼(都屋漁港)

 字都屋は、読谷村の西側海岸に面している。かつては字座喜味の屋取集落であったが、1947年(昭和22)に分立。都屋港は戦前、漁港または山原船による砂糖や木材の移出入港としてさかえ、現在は漁業の本拠地として整備されています。

 都屋漁港では、大型定置網漁業体験などのレジャーも楽しめ、沖縄美ら海水族館のジンベエザメもここの定置網にかかっていたとか・・・

 漁港内には新鮮な魚介類が食べられる“いまゆうのお店・海人食堂”があり、この日はここでの昼食となりました!

  

 

喜名番所跡

 王府時代の役場である読谷山間切の番所跡。読谷村喜名の国道58号にまたがった箇所にあります。当初は座喜味にあったがのちに喜名に移されました。1908年(明治41)役場に改められ、戦前まで使用されていました。74年(昭和49)国道工事によって敷地中央を分断されています。戦争で焼失したが1996年(平成8)に戦前の石垣と正門が修理され、2004年(平成16)に古い写真や出土した瓦などを基に琉球王府時代にさかのぼる木造瓦ぶき建物が再現されました。正門門柱の左右には1853年のペリー一行来訪時に描かれた版画を元にリュウキュウマツが植えられました。また古くからの屋敷囲いの土手やフクギも残っています。

 門前には南部と北部を結ぶ宿道が通っており、もっと古い時代には「読谷山駅」と呼ばれ、琉球王府の命を伝えるために間切を結ぶ早馬が準備されていたようです!

ここは役場兼宿場の性格を備え、ペリー提督配下の探検隊もここで休憩し、地元民から鶏や卵、などのサービスを受けたとか・・・現在も読谷村の観光案内所兼休憩場所となっています!

  

 

 

(讀谷山村道路元標)

 喜名番所跡の正門土手には「讀谷山村道路元標」の文字が刻まれた石柱が残っています。道路元標は距離測定の基準点で、読谷山村が行政の中心地であった役場敷地内に設けられたのだと考えられます。(いつ建てられたか確かな資料はない・・・)

 戦後、村名は「山」をとって「読谷村」となりました。この元標は「読谷山村」という過去の村名をしっかり伝える証人です。

  

 

サシジャー(湧泉)(旧伊良皆集落)

 サシジャーは旧伊良皆集落の北側にある湧泉です。伊良皆集落は戦前純農村で闘牛が盛んであったようです。戦後はサシジャーのある一帯は米軍基地(嘉手納弾薬庫)に接収されたため、新宅地を国道58号線西側に造成して居住。サシジャーをはじめとする湧泉が多く、水が豊富で豊かな田園風景が広がる集落であったようです。

 サシジャーは昔から水量・水質とともに良好で、主に飲料水に利用していました。現在でも年2回の清掃が行われ、野菜の土落しにと、伊良皆集落の方々から大切にされています。

  

 

尚巴志王之墓(その他周辺古墓やカー)

 サシジャーの後方の森に尚巴志王之墓があり、その森はサシチムイとなっています。ムイやカーの名称も尚巴志の出身地である佐敷にちなんで名づけられたものだと思われます。

 墓は改築がなされ、岩陰をコンクリートブロックでおおわれています。当初、第一尚氏王統の墓は首里の天山陵にありました。伝説によると金丸(のちの尚円王)擁立の政変で一族は先祖の遺骨をたずさえ各地に逃げました。尚巴志王、尚忠王、尚思達王の遺骨は平田之子、屋比久之子によってここ読谷の地に隠されたようです。また、近くにはそれら平田之子、屋比久之子の墓も残っています。

 その他周辺には伊良皆集落の人々が生きた証として、火の神やカー跡などが点在しています。


  

 

渡具知港(特攻艇秘匿壕など)

 比謝川河口にあるのが渡具知港。戦前はここからサトウキビなどを乗せた船が那覇港へと出港したりと重要な港のひとつでした。戦争がはじまるとここは米軍物資の陸揚げ用港となりました。港には「特攻艇秘匿壕」がいくつも見られました。旧日本軍が沖縄戦の直前に特攻艇を隠すために掘ったといわれていますが、実際に使われることはなかったそうです。

 周辺にはその他にもカーの跡やノロ墓が見られました。また、港から見える対岸(嘉手納町)の岩壁の古墓は圧巻!

  

 

泊城公園(今帰仁と関わる伝承を持つ墓など)

 渡具知港からほど近くに泊城があり、現在は公園へと整備されている。ここは昭和12年には「沖縄南八景」のひとつとして絵はがきで紹介されるほどの景勝地であったようです。

 伝承によると、千代松(丘春)はここへと逃げのびてきたとのことです。近くにはその丘春を葬ったと伝わるお墓があります。

 

  

 

運営協議会

 巡見を終えて、ここで一服しながら運営協議会を行いました。今回廻ってみての感想などをお一人ずつ伝えてもらいました。皆さん、お疲れさまでした!次年度もぜひよろしくお願いします!

 

 参考資料:『読谷村 文化財めぐり』


2012229日(旧28日)天気:☁/ 気温:2116(歴文センター:tama

 

2月24日(金)に歴文センターに可愛いお客さんが来館されました。

古宇利小学校から!3人(3年生・2年生・1年生)!昔の道具についての調べ学習です。

今は“あたり前”になっている「電気・ガス・水道」が昔の人々はどうやって生活していたかをお勉強。それを知ることで心豊かにしてゆくのです・・・

 古宇利島は特に水の便では苦労したのを子供たちに知ってもらい、古宇利のおじぃー、おばぁー達がどんなにすごいかに気が付いてくれたらいいですねぇ~。

 

  

  ▲ランプについて            ▲パンドーについて

▲みんなスケッチがうまい!!

 

 

 みーちゃんネタは・・・コピー機の上!!

お尻が暖かいのでしょうか・・・それとも何かの意思表示なのでしょうか・・・

      ▲ちょこんとっ♪


2012221日(旧130日)天気:☁ 気温:2115 (歴文センター:tama

 

 ついに旧暦の1月が終わり、2月へと突入しますね。寒くなったり、温かくなったり・・・まだこれから2月じゃあしばらく続くかもしれませんね。

 

 さて、歴文センターの談話室にて、国頭地区文化財行政連絡協議会 パネル展「やんばるの歌碑展」と題して、只今企画展を行っています!

 国頭地区12市町村。北は国頭村から南は金武町・恩納村に伊江島・伊是名・伊平屋などの離島を含めそれぞれの地区から沢山ある歌碑の中から選出していただきパネル展示しています。

 展示のみならず、自ら歌(琉歌)をしたためる体験コーナーも設けているので、ぜひ足を運んでそちらもチャレンジしてみて下さいね!!

 

  

    ▲「の」が歌っています♪                ▲展示の様子・・・

  

   ▲キャプションも充実して解りやすい!    ▲チャレンジャーお待ちしています!  

 さて、ここで“ネコネタ”♪

みーちゃんのもとにお友達がやってきました。お城の主である“トラちゃん”(♂)。

おじぃネコとおばぁネコってことで「老人クラブ」なんてスタッフから言われたり(笑)

 しかし、ここのネコ達はご長寿ですことっ!!

  
 ▲2匹仲良くお食事中・・・        ▲とっても気の優しいトラちゃん
 

    ▲絶妙な距離感!!


201222日(旧111日)天気: 気温:1512 (歴文センター:tama
 

 寒い日が続きますね・・・太陽が出たのはほんのつかの間・・・

 

 ある日の昼休み。女性スタッフ2人が、本を見ながら何やら編み物をしていた。可愛いですねぇ~。何を作ってるのかたずねると・・・・

 

「練習です!今年は間に合わないので、来年に向けて(笑)とりあえず、みーちゃんの敷き布団を目標に!」

 

なーんて話をしていたら、気がつくと手編みはみーちゃんのヘッドドレスに!

何をされても構いなしのみーちゃん。

温かい敷き布団を楽しみにしてるんだなっ♪

みーちゃん、愛されてていいなっ♪

  

   ▲いいなぁ~手編みぃ~

 昨日、スタッフ皆でグスクへ行き、現場視察。グスクのねこちゃんたちも元気に過ごしておりました。

  

    ▲屋根の上でくつろぐ・・・              ▲食事中の茶トラ

  

      ▲白黒くん。名は無い・・・           ▲最近、人馴れしてきたよ♪


2012年1月26日(旧1月4日)天気:☀/☁ 気温:16/12 (歴文センター:tama) 

 今日1月26日は「文化財防火デー」となっています。法隆寺でも放水したようですね。
こちら今帰仁城跡でも防災訓練が行われましたよ!
 いざという時の通報手順やお客さんへの避難誘導などをチェックしました。
しかし、放水は迫力あってカッコイイですね!
   (訓練以外ではお目にかかりたいものではありませんが・・・)
 日頃からの意識が必要だと改めて感じました・・・ 

  
   ▲館内アナウンスもスタンバイ       ▲訓練びよ~り♪

 

  

  ▲志慶眞城郭で火災発生!まずは初期消火!     ▲オレンジ部隊、放水開始!!

  

   ▲虹できていました♪          ▲無事に鎮火、訓練終了の記念撮影

  

 お天気はいいが、吹く風が冷たいやんばる。桜の開花に拍車がかかります。
ミツバチさんたちがせっせと桜蜜を集めていました! 

  

     ▲賑やかになってきました           ▲濃いですなぁ~
 

  

   ▲その頃みーちゃんは・・・         ▲(おまけ)グスクねこ。殿くん。 

 文化財に限らず、各家庭での防災も心がけることが必要ですね!
 ちなみに・・・tama家は旧正月早々に、危くマイホーム焼くとこでした・・・床が黒く焦げただけで済みましたが(^_^;)


2012年1月18日(旧12月25日)天気:☁ 気温:20/14 (歴文センター:tama)

 

 いよいよ、旧暦も御願解きから、クリスマスに突入!!桜も開花し始めるでしょう♪

2012年1月21日~2月5日には今帰仁村桜まつりが行われます!!

 昼間見る、雄大な城壁も素晴らしい今帰仁城跡ですが、桜と共にライトアップされた城跡もまた魅力的ですので、足をお運びください。

  

 さて、歴文センターも桜まつりの雰囲気を!ということで、玄関口を華やかに飾ってみました!って、私ではなくスタッフの方が演出してくれたんですが・・・

 (注意:この桜は折ってきたのではなく、倒木の枝打したものですからぁ~)

 ひと足先に訪れたお客さんを喜ばせてくれたようです。

 桜の開花情報は、こちら歴文センター・ホームページにて館長が更新しているものと・・・グスクを学ぶ会(ボランティアガイド)さんによるホームページにても情報が得られますので、来場の参考にして頂けたらとおもいます!!

  

    ▲玄関も華やか♪                ▲キャプション付きです

    ▲キレイな色をみせています。


2012年1月11日(旧12月18日)天気:☁ 気温:17/15 (歴文センター:tama)

 

文化環境研究所発行『Cultivate №38』今回の特集「文化財の保存と再生」となっていた。そんななかでも「博物館学芸員による文化財レスキュー」という記事には胸を打たれた・・・。それは東日本大震災による“博物館(文化財等の資料)による被災”についてである。マスコミ等による報道で人々による被災は映像などで目にすることはあったが、博物館または文化財に関わる人間からすると資料の被災もまた重要な問題であるということを改めて気づかされる。しかし、それはただ専門人たちだけによる問題ではない。その文化財等と共に生きてきた地域の人々とも深く関わる。

 

 この記事には岩手県遠野市立博物館の前川さんによるインタビューになっている。

 前川さんが震災後初めて一人車で変わり果てた陸前高田市立博物館へと向かったときのこと、建物は残っていたものの・・・

 

「正面入口には瓦礫が押し込まれ、中に入っていくことができません。それでも中をのぞき込むと、2階の一部に民俗資料が引っかかっているのが見えたのです。(これは何か残っているんじゃないか)と期待しました。建物の後ろに回り込んだら、1箇所、ドアが開くところがあって、中に入ることができました。その部屋にはカモシカの骨格標本や縄文の土器のカケラが散らばっていましたが、私より先にどなたかが散乱した物を寄せた痕跡があって、ノートの切れ端のような何かのメモ書きが残されていました。そのメモ書きには、(博物館資料を持ち去らないでください。高田の自然・歴史・文化を復元する大事な宝です。)と記されていた・・・。

それを見た時に、亡くなった博物館職員の声のように感じました。博物館とともに生きた人間であれば、誰もがそう思う言葉です。結局そのメモ書きは、いまだにどなたが書いたものなのかわかりません。」

 

  「レスキュー初日は、海と貝のミュージアムで岩手県立博物館、陸前高田市の皆さんと一緒に標本を岩手県立博物館に運び出す作業をしました。私は民俗専門ですから、県立博物館の自然、考古、歴史、民俗、文化財科学といった広い分野の学芸員が一緒に働いてくれたことが、本当に心強かったと思います。

 陸前高田市立博物館の専任職員は全員亡くなったか、行方不明になってしまったのですが、これまで博物館に関わってきた陸前高田の方々が、ご自身たちも被災されてご自宅を流されているにもかかわらず、避難所から集まってきてくれて・・・

 常時10人近い方が常駐し、そこに被災文化財等救援委員会が募集したレスキューの方々や博物館、学会有志などが集まり、自分の得意な分野の技術を駆使して、洗浄・修復作業が行われています。」

  

 「“レスキュー文化財展”を開催きっかけは、個人では持ちきれないという文化財が出て来るのではと気づかされました。もしかするともう処分された方もいるのでは、と。“文化財レスキュー”という活動を行っていることを知らせなければいけないと思ったのです。そうでなければ瓦礫と一緒に「泥にまみれた紙」「壊れてしまった古い道具」として、文化財が捨てられてしまう・・・それらのことを知って欲しかったのです。それがこの展示会を開催した理由です。そしてレスキューは、文化財の専門家だけではなく、市民レベルでも、小学生でもできることがあることを知ってもらいたかったのです。

実際に小学生にもレスキューを体験してもらいました。“高田の宝物は残っているよ”って教えてあげたかったんです。そして“みんなの力で高田の宝物をきれいにしようね”って。子供たちはイキイキと興味を示してくれます。それに自分たちがしていることが、歴史を残すことにつながっているんだとわかってくれれば、それが今後、高田に生きる子どもたちの誇りになって残っていくと思うんですよ!」

  

「これほどの被害を受けた三陸では、100年後に文化財を残すためには、私たち博物館、文化財関係者だけではなく、市民レベルでも強く意識しないと残っていかないのではないでしょうか。

 遠野市立博物館は、文化財レスキューに関わるだけでなく、博物館の復興に向けた支援活動を模索していきたい。今回の東京での文化財レスキュー展は、ひとつのモデルケースです。こういった長い目での博物館の復興支援を、ぜひ全国の皆さんにお願いしたいと思います。」

 

(上記「」記載は、文化環境研究所発行『Cultivate №38』「博物館学芸員による文化財レスキュー」前川さんによるインタビューより抜粋)

  

 これらの記事を読んでいると、思い起こすのは2010年にあった奄美大島の豪雨被害である。こちらでも民家はもちろんのこと、博物館関係施設などの建物や民家にあった資料、アルバムなどが泥にまみれてしまった。復興に向かおうとしている奄美を実際に訪れた時、住んでいる人達の力強さを感じたのは確かではある。

 研修会での来島であったのだが、報告をしてくださった際に奄美文化財の方は「奄美は元気です!」との言葉で締めくくった、その言葉が何よりも胸を打たれた!

 奄美の人達もまだ傷は癒えていないかもしれないし、我々も忘れてはならないことであろう。

  

 冒頭にも記したように、この記事をどうしても多くの方々に紹介したかったのは、文化財等とは、決して専門の人達だけのものではなく、それらと共に生きてきた地域の人々とも深く関わるのだということである。そのことから守ることも専門の人達だけではなく、地域の人々の意識も必要であるのだ!そして、それらはもちろん、大人たちだけのものではない!ということ。それらのメッセージがこのインタビュー記事から伝わってくるのではないだろうか・・・

 津波や豪雨といった災害にあって、もしくは失ってからではなく、今一度、自分たちの足元にある地域の歴史を示すもの(決して文化財に指定なんてされていなくてもいいんです!)それらと対話し、周りの子供たちに伝えるという作業をしてみてはいかがでしょうか??

 

 

▲文化環境研究所発行『Cultivate №38』「博物館学芸員による文化財レスキュー」
前川さんによるインタビュー記事(写真)


2012年1月7日(旧12月14日)天気:☂→☁ 気温:18/15 (歴文センター:tama)

 

 年が明けて、2012年が始まりましたね。今年もどうぞ館長、職員、みーちゃん、そしてこの歴文センター(HPも!)共々宜しくお願いします!!

 

 さっそく新年からみーちゃんネタで♪

 寒いこの季節は、ストーブと向き合います。この後ろ姿がいいですねぇ~。

    ▲ストーブが恋人

  

      ▲カゴに納まりぬくぬく♪           ▲狭くないかい?(^_^;)

  

 新年にみーちゃんは、気前よく皆にお年玉を持ってきてくれました!!

 でも、それはちょっと・・・・(;一_一)

 まだまだ現役ネコのみーちゃん。まだまだ長生してほしいものです。

  

    ▲「ほらっ、お年玉♪」              ▲アニメの世界の2ショット!


2011年12月7日(旧11月13日)天気:☀ 気温:24/21 (歴文センター:tama)

 

 とある日・・・

お客さんより館内に“ネコ怪獣”その名も「みー」が現れたとの情報を聞きつけ早速、調査隊のtamaが出動!!なんとそこには巨大化したネコ怪獣「みー」の姿が!!

巨大化したみーは大暴れで、ドシンッ!ドシンッ!と、今帰仁村や古宇利島の上を破壊する勢い!!大変なことに・・\(゜ロ\)(/ロ゜)/


 その一部始終を記録したのでお知らせします。

  

 ▲巨大化したネコ怪獣・みーを発見!!  ▲我が物顔で今帰仁の上を“ドシン!ドシン!”

  

  ▲何かを発見し、次の瞬間!!         ▲古宇利島をネコ怪獣「みー」が襲う!!

 

その後の古宇利島は大丈夫だったのでしょうか・・・心配です。 

 

 それから今日の午前中のみーちゃんは・・・

お客さんに「ネコ、死んでるよ!」と言われてました・・・

写真撮りにいってみたら「擬態中」でした・・・(^_^;) 

地面と色がいっしょのみーちゃんです。

  

       ▲みーちゃん、擬態中・・・              ▲地面に同化してます。

  

     ▲黒い肉きゅうのもち主!                 ▲ろーあんぐる。


2011年12月3日(旧11月9日)天気:☁ 気温:21/17(歴文センター:tama)

 

 黄色いツワブキ、クリスマス花の赤いポインセチア、童謡などにも歌われるサザンカにと、冬の花がぞくぞくと咲き始め、沖縄にも冬の気配が漂ってきましたね♪

 そんなある日、「12月3日(土)に本部町で面白い事があるらしい!」との情報が館長のもとに・・・

  

 しかし、この日館長は・・・

今帰仁グスクを学ぶ会(ボランティアガイド)20名余を引き連れて“南山へ攻め入り”を決行!エイッ!ヤァーッ!やっているので忙しく・・・(詳細は報告を待ちましょう!)

 

 丑之介氏は・・・

 修学旅行から帰ってきたばかりの息子さんのことやら何やらと忙しく・・・

 

tamaは・・・

 「みーちゃんのお腹、あったけぇ~」っと、ふぬけるのに忙しく・・・

 

  ▲「みーちゃんのお腹、あったけぇ~」 

 

 って、わたくしtamaがいちばんフリーなのが発覚し、本部へと乗り込むことに!!

 本部博物館では「沖縄の衣装展-琉球時代から現代に至る衣の変遷-」という企画展が開催され、関連イベントとして「琉舞と講演会」が行なわれました。

 展示では、植木さんによる甦った沖縄の衣装たちが展示されていました。神衣装なども再現されていました!

 講演会では、その植木さんよる沖縄の衣装たちへの思いをお話ししてくださり、

「忘れないように、忘れてはいけないものを再現している!」

「再現した衣装を琉球舞踊や組踊などにも積極的に取り入れてほしい!」などの言葉が並びました。

 舞踊では、植木さんによる再現された衣装に身をつつんだ可愛い子どもたちの姿や綺麗な女性たちの姿をみることができました。

 また、あいさつをして下さった友利さんの和服も植木さんによるものだそう!お似合いでしたぁ~!

 またまた、最後のアムシラレを勤めた方の娘さんが来場されており“母の衣装”の再現を喜ばれたようです。

 と、センターをお留守にしていたので最後まではいれなかったのですが本部町でいいものみれました!

 

  

  ▲行ってきました!本部博物館!      ▲行ってきました!企画展!

  

     ▲再現された沖縄の衣装たち!       ▲神衣装もありました!

  

    ▲会場は満員!               ▲キマってますねぇ~!

  

  ▲当時の晴れ着などを再現           ▲伊波普猷の写真資料から再現

▲再現されたのがこの衣装(伊波普猷写真資料)


2011122日

 

 各ムラを守ってきた、又はムラの歴史をつくりあげてきた、御嶽などの拝所が時代の流れとともに姿を変えようと・・・もっと最悪には姿さえ消そうとしている・・・

 

 沖縄は戦後アメリカ統治下におかれ、昔の面影がなくなってしまうという時代を体験し御嶽などの拝所なども翻弄されてきた。それから沖縄は本土復帰をむかえ再び“現在という時代”に御嶽などの拝所は翻弄されようとしている・・・ 

 

 瀬長島(瀬長グスク)はまさに“2つの時代”に翻弄された。いやっ、今まさに現在進行形でされようとしている・・・。

 瀬長島は豊見城村に属する無人島である。那覇市と隣接し海中道路で結ばれ、ゆっくり車で島一周10分程度の小さな島で、那覇空港に隣接し航空機の離発着が真近でみられるスポットして有名である。

【離島だった時代・・・】

瀬長島はサンゴ礁のイノーにあり、干潮時には干潟に囲まれる。「中山伝言録」巻4に「砂嶽」、1890年(明治23)の沖縄県全図に「砂長島」と記される。「琉球国由来記」によれば、瀬長島は志茂田(すむだ)・我那覇の沖にあり、干潮のときには浅瀬を歩いて、満潮のときはクリ舟で渡ったという。これは渡し舟で字内の各家庭が自前のクリ舟をだして輪番で漕ぎ手を担当することが字で定められており、クリ舟を所有しない家がこの担当になった場合には他家から舟を借りて役目を果たしていたという。

 また、この島ハブが多く、ニワトリを飼うと必ずハブに襲われたので、ニワトリを飼わなかったという。戦前は36世帯ほどが暮らしていた。カーは按司井・波平井などがあり、小さい島だが水が豊富であったようだ。我那覇ノロの崇所として瀬長ノ嶽があったとか。

 

【アメリカの時代・・・】

 沖縄戦後は米軍の弾薬庫として接収された。そのため住民は島に帰れず、以後現在も無人島である。1977年(昭和52)に返還されるも、那覇空港を離発着する航空機の騒音が激しく、市営野球場以外に跡地利用はなされていない。

 米軍接収以後、島の拝所の神を現在の対岸にあるアカサチムイに合祀したようだ。

 

【グスク時代・・・】

 小さな島であるが瀬長グスクが存在していた。瀬長按司の居城であったという。規模や縄張りは不明で、米軍基地として使用されたため地形が大きく変形し、遺物なども失われた・・・。

 

【現在という時代・・・】

 瀬長島には綺麗なリーフがわずかながら残っている。しかし、空港拡張工事でそれも失われる可能性があるとか・・・・

 また、瀬長島の危機はこれだけではない。ホテル建設に入っている。完成予想図からすると島全体がホテルになるようだ・・・

 実際、高台の拝所(グスク?)のほんの数メートルのところが工事現場だ。拝所はどうなるのだろうか・・・

  

  ▲神社風の社殿や鳥居(アカサチムイ)      ▲カーもここに合祀された(アカサチムイ)

  

     ▲按司墓など(アカサチムイ)           ▲地質調査も楽しそうだ!


  

    ▲整備された瀬長交差点            ▲航空機から自衛隊機から・・・


  

    ▲島内の竜宮神            ▲子宝岩の石碑

  

   ▲合祀された拝所のひとつ(カー)      ▲高台にあった拝所(瀬長グスク?)

  

▲対岸は空港、手前は開発工事現場  ▲綺麗なリーフ、これが「砂島」の面影?


▲市営野球場内の巨大な「シオマネキ親子」(親:滑り台 子:手洗い場)

  

   ▲平敷屋朝敏関連の石碑(3つ)              ▲平敷屋朝敏関連の説明板

     ▲瀬長島にゃ~~~
 

 豊見城村はもうひとつ、大切な場所が消えようとしている・・・・

それは、豊見城グスク(豊見城御嶽)である。

 

【豊見城グスク】

 ラムサール条約の登録湿地で貴重な鳥獣や湿地の生き物が生息する漫湖の北側に面したところに位置する。山南王の弟、汪応祖が築城したという。それは14~15世紀初頭と思われる。グスク内には豊見城御嶽がある。

 

【豊見城御嶽】

 豊見城ノロの管轄である。ハーリーの発祥地・祭祀と雨乞いの拝所として大切にされてきた。漫湖に隣接しているだけあって、自然豊かな場所である。

 ここまでの記述をみるとさぞかし立派な風格あるグスク(御嶽)があるように感じられますが・・・残念ながらその面影はありません。

 ここは以前に「豊見城城跡公園」として、県外企業管理・運営であったそうですがそれも閉園となり今は立入禁止。拝所はもちろん城跡を拝むには“関係者への許可”が“事前”に必要だという。

 ハーリー祈願での祭祀も事前許可をもらって行なっているとか・・・ムラの行事をムラの人が行なうのに、事前の許可が必要って・・・なんだが寂しいお話し・・・その聖地が再び侵されようとしている・・・これが“現在という時代”なのであろうか。

 やんばるも、うかうかしていられないのだろう。

  ▲「守りたい!」とのメッセージが込められたチラシの一部。

  

参考文献

 『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社/『沖縄の地名』平凡社/『豊見城市史 第二巻 
  民俗編』豊見城市役所


2011121日(旧117日)天気:☁/☂ 気温:23/21(歴文センター:tama

 

 ついに12月・師走(旧暦も11月へ)。年末の大掃除に合わせて、いろいろ調査し、ため込んだ画像などを整理しながらこちらにアップしていきたいと思います。

  

 まず、つい先日のこと。映画の撮影が行なわれましたよ!

映画『カラカラ』出演には工藤夕貴さん。あまりの美人さんで大興奮のtama。

撮影風景を遠くからパチリッ!映画公開の際はみなさんもご覧なってくださいね!

ちなみに・・・

①沖縄・カナダの正式共同製作映画とのこと!
②プロデューサーは宮平貴子さん。
(沖縄県出身の監督で、jimamaさん(シンガーソングライター )は実姉。) 

 と、何気なく映画の話題を打ち込んでいたら・・・

なんと!なんと!今日、12月1日は「映画の日」だそうですよ!

 なんでも、1896(明治29)年のこの日に映画『エジソンのキネトスコープ』が日本で初めて一般公開されたのを記念して、1956(昭和31)年に制定されたとか!

歴史ある記念日なんですねぇ!

  ▲チケット売り場前にて撮影中・・・ 

 

 先月、恩納村恩納にて10年に一度の神アサギ屋根の葺き替えが行なわれた様子をお伝えしたかと・・・あれからしばらくしてドライブがてら出かけてみると、立派に完成しておりましたのでご紹介!(完成したのを報告するための御願も行なわれたのでしょう。ひじゅるウコーがありました。)

  

    ▲生まれかわった恩納神アサギ                ▲骨組もキレイですね!

  

     ▲赤い線がまだ残っています               ▲ここに使われたのね!

  ▲こちらもキレイに剪定されていました

 

 

 『読谷村の文化財ガイドブック』というものを持っているので活用しよう!ということでガイドブックを片手に出かけてみました!

 まず、何気なくたどりついたのが「泊城」というビーチ公園(渡久知泊城・渡久知ビーチ)。“城”という名にわくわくするtama・・・散策開始!

 ここは今帰仁と関係ありましたよ!若按司の岡春が身を隠していた洞窟があるとか!

  

     ▲誰が書いたか手書きの看板!            ▲これが伝説の洞窟!?

    ▲アーチ型がきれいです

  

▲比謝川河口。屋良城跡とツナガル・・・(対岸は嘉手納町) 
 

▲かつては港が存在していたようだ・・・

    ▲読谷は・・・唐船か?!

  

 民話・伝承で有名な「赤犬子」。初めて行きました・・・なんだか思っていたより、住宅街の中にひっそりとありましたよ。入口は特に分かりにくかったのです(^_^;)

  

     ▲立派な鳥居を発見!        ▲祠前の広場では芸能が奉納されるそうです


2011年11月18日(旧10月23日)

 とある日・・・歴文センターに可愛い仔猫が迷いこんできました。

 前夜の大雨でママとはぐれたのでしょうか・・・むちゃくちゃ怯えていた・・・

救出を試みたのですが逆効果で外のパイプをつたって手の届かないところへ・・・

その後予想通り、足を滑らせ3階から落下(;一_一)

 まっ、そこはネコなので無傷で勢いよく逃げていき、可愛いお客さんはいなくなりました。逞しく生きるんだぞぉ~~!達者でなぁ~~!

ちなみにみーちゃんは・・・最初は鳴き声を気にしていたものの、周りが仔猫に注目するので焼きもち焼いてました!自分が一番のみーちゃんです!(笑)

 

  

    ▲はじめまして、仔猫です。           ▲綱渡り状態に・・・

    ▲「ママ!ママ!(叫)」 

 

 自分が一番のみーちゃん。夕方になると館内へ・・・閉館時によく展示室内で身をひそめてしまうので、姿を隠される前に先手を打つことに!その手法は、ヒモつけちゃう!

 イヌは違和感ないけど、ネコがヒモで繋がれるのは何か違和感ありますね(^_^;)

 最初は鳴いて凄い顔して抵抗していたのですが、最終的には“ハイビーム”の上であきらめました。 

  

    ▲繋がれ、うな垂れ中・・・             ▲凄い顔中・・・


    ▲あきらめ中・・・


20111116日(旧1021日)天気:☀/☁ 気温:25/21(歴文センター:tama

 

 11月13日(日曜日)は、tamaにとって初めてづくしの1日でした!

 

 まず「①ツール・ド・おきなわ

 国内最大の自転車ロードレースが家からすぐ近くで行なわれているにも関わらず、ただ一度も見たことがなかった・・・

 今回は恩納までいくので早起きしたんだからみて見よう!と思い立ち見学。

 自転車いっぱい!!しかし、国道を完全に止めて自転車ロードレースができるのも沖縄だからだろうなぁ~・・・と妙に納得・・・

  

   ▲はっ、早い!!          ▲サポーター車も続きます! 

 

②恩納神アサギの葺き替え

 恩納村恩納の神アサギは現在でも原始的な姿を残す、立派な竹茅葺き屋根です。葺き替えは10年に一度のものなので、これを調査できることは幸運なことであり、とても有り難いことであります。

  

  ▲恩納の神アサギ、葺き替え前・・・        ▲神アサギの内部、葺き替え前・・・

  

  ▲骨組に刈りたての竹茅をのせていく      ▲大きな屋根にはたくさんの竹茅が必要

  

    ▲掛け声合わせて作業していく!        ▲別作業中・・・

  

    ▲どんどん、竹茅が搬入される        ▲どんどん、おじさん達も搬入される

  

    ▲こちらは竹茅を束ねる作業場。       ▲皆が休憩中、ひっそり結びの練習中。

 

 女性たちは調理室でなにやら忙しそうにしていたのがみえた。男性達は秋晴れの下で神アサギの茅葺きに奮闘中・・・みなさんとにかく、ワイワイ・ガヤガヤと楽しそうに作業をしていた!「女性達のヤグラ作るのも大変だなぁ~(笑)」と、冗談が飛び交っていました。

 完成した様子はまた、今度!!

    ▲(おまけ)恩納にゃー。

 

 

「③ピージャーオーラサイ」

 まだ間に合うかも!!と、恩納の神アサギの完成を見ずに慌てて北上。今度は瀬底島です!!なんとか、最後の勝負・一戦だけ間に合いました!!

 ヤギの闘い初めてみるのですが、角のぶつかる音はすごいです!

 

                 ▲これが、対戦表だ!

 

  

     ▲立派な横断幕!                 ▲もちろんあります!!

  

       ▲賑っています!                ▲これが、ヤギのぶつかり合い!

  

    ▲ヤギさん達の楽屋での風景・・・           ▲ヤギさんズラーっと!


2011年11月9日(旧10月14日)天気:☂ 気温:25/21(歴文センター:tama)

 暦の上では「立冬」を迎えましたが、沖縄はまだ半そでで過ごせる気温ですね。

 

 さて、丑之介氏おすすめの可愛い“マチヤー小”ができたとの事で、案内してもらいました!これが本当に可愛いの!何が可愛いって?画像をご覧あれ!(^o^)/

(店内の写真撮ったのですが・・・ブレテタぁぁぁ・・・・また行こう♪)

  

 ▲可愛いその① 手書きの看板!    ▲可愛いその② 手作の小さなお店!

  

 ▲可愛いその③小窓もあるよ!     ▲可愛いその④ミニ手書きの看板!

     

▲可愛いその⑤一番可愛いのが“カズ子”さん ▲可愛い?その⑥館長購入のツナ缶

 
 今朝のみーちゃん。外が雨模様ということもあってか、館内でくつろぐ・・・
 ってか、高校生の団体を狙って“かまってもらおう!作戦!”を決行したみーちゃん。見事にかまってもらい、みんなにチヤホヤされて上機嫌のみーちゃんでした!

 お客さんから目立つ所にスタンバイするみーちゃん。そこ、配布資料の上ですから・・・一応・・・(;一_一)

  
  ここでスタンバイしていれば!! ▲“かまってもらおう!作戦!”成功!


 ▲客足が途切れたので休憩中…

 


2011年11月5日(旧10月10日)天気:☁ 気温:27/24(歴文センター:tama)

  今月のムラ・シマ講座は「久志」となりました!行き先決まれば早速3人で下見です!

 久志についての詳しい内容やムラ・シマ講座の報告はまた今度にするとして・・・

このコーナーならではのゆるい内容をお届け♪

  まずは、久志にゃー(ネコ)の報告!

 何匹か見かけたのですが、みんな美人ネコさんでした!(ひとつは・・・ネコ科か?)

  

   ▲ドアのすき間から・・・警戒中            ▲集落内を優雅に歩いてました

  

  ▲井戸に五右衛門風呂にネコ          ▲どーしちゃったの??

 

 いいムラだなぁ~と、3人で散策していると、ふとみつけた石碑。下一部が埋まっていて何かの文字が隠れている。気になったので少し掘ってみることに・・・掘ってみる・・・誰か!スコップ!ってことで、今度のムラ・シマ講座でスコップ持参して行くべし!!

何の文字が隠れているのかなぁ~?ご存じの方いましたら、教えてください!!

  

       ▲掘る、仲原・・・             ▲掘る、仲原・・・見守る、丑之介

  

     ▲掘る、掘る、仲原・・・            ▲一文字出て来たよ!!

   ▲埋め戻しました・・・

  さぁ~。下見も終わり、お腹がすいた一行は新しくできた二見バイパスを通り「大浦わんさかパーク」にて昼食をとることに。すると、無類のぜんざい好き館長はすかさず注文し、パクパク・・・すると「このぜんざいは、氷がさらさらで・・・」と“ぜんざい論”を語り出す!!

 ぜひ、ムラ・シマ講座参加するさいにでも館長のお隣に座って“ぜんざい談議”繰り広げてみてはいかがですかなっ。

  

▲わんさか大浦パークです     ▲「ぜんざいの氷と豆とがな・・・」

  

   ▲試食できます!                 ▲地元野菜が並びます!


20111026日(旧930日)天気:☀/☁ 気温:26/21 (歴文センター:tama

 

 沖縄も朝夕と涼しくというより、肌寒くなってきましたね!

季節を知らせるサシバが飛来し、クボウの御嶽から早朝鳴き声が聞こえてきます! 

 

 さて、ため込んだ“ネコネタ”をここで一挙に出していこうかと!! 

 

 まず、みーちゃん。陽が傾いてくると館内へやってきます。そんなある日のみーちゃんはチケット半券を入れる小さな箱へと納まっていました。うつむき加減がいいですね!

 

  

      ▲箱入り娘。      ▲首の大きな鈴が後に悲劇をうんだ・・・

 

 たまには、お城のネコちゃんたちの様子もご紹介します!(ほんの一部です)

 

 (tamaは城主のトラちゃんが一番好き!見た目に反して鳴き声が可愛いのだ!)

  

      ▲城主のトラちゃん。               ▲トラちゃんのお手て

  

    ▲ネコ界の美人さん!               ▲ペロッ♪

  

  ▲オオタニワタリから生まれた?     ▲この子は緑のベットが気に入り♪

  

      ▲手前と奥・・・2匹。             ▲城壁と共に・・・2匹。

  

    ▲「殿」って名前↑               ▲城は我らの庭!! 

 

 

 ネコネタの番外編!!

 歴史文化センター近くに「ネコライオン」というカフェができました!(ネコ好きにはたまらないネーミングですね!)ってことで、丑之介氏と共に“偵察”に行ってまいりました!!(^o^)/

 こだわりの雑貨と美味しいドリンクがあり、注文したラテには可愛いお顔が!!

 かんちょーがイタリアンに行ってる間、しっかりと調査しましたよ!(笑)

高台にあるので、晴れた日には古宇利島が間近にみえました!

     (主にネコがいそうだが・・・見当たらず・・・)

  

    ▲綺麗なウッドデッキ♪           ▲主は白ネコか!?

  

 ▲手書きがいいね♪     ▲ラテには可愛いネコライオンの顔。


20111022日(旧926日)天気:☀ 気温:27/23 (歴文センター:tama

 

 みなさまご無沙汰しております!

館長がイタリアンに行っている間、こちらもバタバタ・・・

例えば?! 

 

丑之介氏とムラ・シマ歩きしたり・・・

優雅にお茶したり・・・(^_^;)

広島県の高校生の案内を助っ人の助っ人としてtamaが引き受けたのですが・・・

高校生のあのダラダラ感はなんなんでしょうか(;一_一)

まぁっ、「生もみじ饅頭」が美味しかったからいいかっ♪ 

 

と、そんなことをしてる間に今帰仁村では「第2回 総合まつり」が2011年10月22日・23日に行なわれます!!

そして、歴史文化センター3人は会場にて展示のお手伝いを行います。

書道・絵画・工芸などを丑之介氏、館長の指導のもと進められました!

お祭りでは、沖縄初!!芝にゴロゴロして花火が見れる!らしいですよ。他にもみどころ満載となっているのでぜひ足を運んでみて下さい!! 

 

 

   ▲今年のポスターデザイン!         ▲旗がゆらいで通りも賑やか!

 

 

   ▲オシピンと闘う丑之介!               ▲イタリアン帰りの館長!

 

  

   ▲他の作品も並べられてゆく・・・          ▲展示かたまりました!

 

  

     ▲きのこ形の看板可愛い!          ▲みなさんの力作♪

 

  

     ▲うさぎ雛が可愛い!                   ▲中学生のセンスが光る☆
  

 

     ▲おいしそうなのも並ぶ!             ▲綺麗なのも並ぶ!

 

▲遊園地もあるとか・・・子どもたちは待ちきれない様子!



  さて、旧暦も8月にはいると中秋の名月・十五夜に向けて各地で盛んに豊年祭などの祭りが行われたことでしょう!

 やんばるも例外ではありません。今帰仁村でも今年は今泊・湧川・上運天・勢理客・謝名の5字で豊年祭が行われました!

 

 今回はtamaが調査した今帰仁村や村外の豊年祭(村芝居)の様子を画像でご紹介したいと思います!画像から少しでも雰囲気が伝わればと思います!

 

【今帰仁村 5字の舞台】

 豊年祭本番が近付く、とある日、今帰仁村5字の舞台を館長、丑之介氏と共に確認してまわりました!

 

【謝 名】

 謝名では五年マールで豊年祭が行われている。謝名独特の演目がいくつかあり「クルク節」や「ヌンフル」「サンスル」などあるが、やはり「アヤーチ(操り獅子)」は文化財指定に選ばれるほど重要なものであり、謝名豊年祭の最大の特徴ともいえよう。

(謝名については、道ジュネーから舞台、アヤーチにいたるまで見学することができたので別枠で紹介する。)

 

  

     ▲字謝名の舞台              ▲地謡の幕にはウタが・・・おしゃれ♪

▲アヤーチ獅子のからくりをのぞき見る?

 

【勢理客】

 勢理客は五年マールで豊年祭が行われている。勢理客から渡喜仁が分字した過去をもつためか、プログラムには“渡喜仁婦人会”の名があり古地との繋がりが今だ感じられる。

  

  ▲勢理客農村公園の看板♪花笠♪            ▲舞台も準備OK!

    ▲道ジュネーはここを通るようだ

 

【湧 川】

 湧川区豊年祭は毎年行われている。湧川は「路次楽」が文化財指定を受けている。また、「七福神」の演目も湧川独特といえるだろう。

(棒・路次楽・獅子舞など道ジュネーの様子を記録したので別枠で報告する)

 

  

       ▲湧川の舞台                 ▲“前ヌピヤー”にて演武が披露される
 

獅子屋でも舞をみることができるのだ!

 

【上運天】

 上運天区の豊年祭は毎年行われている。舞台の地番は運天区となるのだが、上運天が使用。(かつて運天と上運天はひとつのムラであったのだ)

 

  

    ▲農村公園へのぼると舞台がある          ▲雨除けはバッチリ!

 

【今 泊】

 公民館前、コバテイシの横に舞台が設置されていた。今泊は五年マーイで豊年祭が行われる。賑やかな道ジュネーや太鼓を持たず男性のみのエイサー「ユーニゲ」などの他、“棒の今泊”と異名をもつほど、馬場跡(大道)にズラリと並ぶ棒術の勇姿は圧巻である。

(この日9月8日は今泊はムラ人へのお披露目の日、その模様を記録。別枠で報告する)

 

  

   ▲舞台では入念なリハが行われていた       ▲獅子加那子もスタンバイ! 

 


今泊区豊年祭 2011年9月8日(旧8月11日)

 今泊は五年マーイで豊年祭が行われる。今年は9月8日と中を入れ10日が正日となっている。初日8日の奉納踊り~道ジュネー~舞台の記録を画像で紹介する。

 

【奉納踊り】

 ヌルドゥンチから阿応理屋恵御殿の2ヶ所で御願、かぎやで風、棒術の奉納を行う。

 

【ヌルドゥンチ】

 長者の大主、二才、若衆、棒術、地謡のメンバー等をヌルドゥンチ(仲尾次さん)が迎える。区長さん、書記さんと共に御願を行い、お神酒のウサンデーを行う。それらを終えると、地謡の演奏でヌンドゥンチ内で若衆がかぎやで風を舞う。その後庭では棒術の演武が行われる。

 

  

  ▲大主、二才、若衆の到着!      ▲御願し、お神酒のウサンデー

  

   ▲奉納踊り                     ▲大主、二才も見守る

  

     ▲ドラの音に合わせ                ▲棒術を奉納

    

【阿応理屋恵御殿】

 ヌルドゥンチから移動し、御殿前にゴザを敷き大主、二才、若衆、地謡、区長さん、書記さん等が座り御願を行う。その後その場で若衆のかぎやで風を奉納し、御殿かたわらの道にて棒術の奉納を行う。奉納踊りはここで終わり、道ジュネーの準備へと入る。

  

      ▲御殿での奉納踊り             ▲見よ!この勇姿!

  

     ▲殿内の内部(位牌・香炉)      ▲供物(お神酒、お菓子、花米)

 

【棒術・道ジュネー】

 棒術は馬場跡(大道)にずらりと並び行う。30組ほどの棒術の演武がいっせい行われる姿には迫力がある。しかしかつてはもっと多くの勇姿を見る事ができたようで、これ以上の迫力があったと想像すると興奮を覚える・・・。

今泊の道ジュネーは賑やかである。他の字のように舞台出演者のみが列をなして歩くのとは違い、道ジュネーもひとつのステージであるのだ。獅子舞いに婦人会や老人クラブ、子どもエイサーをはじめ、今泊の伝統である“ピーヒャルラー”も練り歩く。

  

   ▲棒術の旗頭「進神遊」            ▲ズラ~っと並びます!

  

    ▲道ジュネーの旗頭「祈 豊年」        ▲今泊の獅子加那子

 

  

      ▲長者の大主御一行様            ▲華やかなのは丑之介氏ですよ♪

  

     ▲「南洋踊り」は見ものです!          ▲舞台前には大勢の観客が!

 

【舞 台】

 棒術・道ジュネーも終わり、間をおいてから舞台が始まります。今泊では長者の大主からはじまり、棒術、今泊の独特で伝統的なエイサーであるユーニゲなど20ほどの演目が披露されます。

  

     ▲大道に椅子が並ぶ!                  ▲青年会によるユーニゲ

  ▲トリを飾るは松・竹・梅(鶴・亀) 

  


謝名区豊年祭 9月10日(旧8月13日)

謝名では五年マールで豊年祭が行われている。謝名独特の演目がいくつかあり「クルク節」や「ヌンフル」「サンスル」などあるが、やはり「アヤーチ(操り獅子)」は文化財指定に選ばれるほど重要なものであり、謝名豊年祭の最大の特徴ともいえよう。

謝名では道ジュネー~舞台という流れで見学できた。

 

【道ジュネー】

 公民館~金城ミート隣りのアジマー~舞台へとゆく。

  

    ▲「みんなで成功させよう」!      ▲横断幕が道ジュネーの先頭です

  

     ▲操り獅子は担いで道ジュネー          ▲踊り手も道ジュネー

  

  ▲背中、カッコイイです!           ▲アジマー?では老人会が踊ります!

  

  ▲「祈豊年」とムカデの旗頭        ▲花と諜の旗頭

  

      ▲折り返して舞台へ      ▲道ジュネーを楽しむ乙女達♪

  ▲旗頭を神アサギへ立てる

 

【舞 台】

 舞台は31項目の演目が披露された。謝名独特の「クルク節」や「ヌンフル」「サンスル」などはもちろん、「アヤーチ(操り獅子)」には観客からひときわ大きな歓声があがった!

 

 

  

       ▲御礼満員です!                   ▲クルク節!

  

     ▲花風、キレイでした(^-^)         ▲これぞ!謝名のアヤーチ!

    ▲獅子使いの男達!!

  


湧川区豊年祭 9月11日(旧8月14日)

 湧川区豊年祭は毎年行われている。湧川は「路次楽」が文化財指定を受けている。また、「七福神」の演目も湧川独特といえるだろう。

 湧川の豊年祭は「棒・路次楽・獅子舞の部」(前ヌピヤー・獅子屋にて)と「踊の部」(公民館野外ステージにて)との大きく2部に分かれているようだ。今回は前半の「棒・路次楽・獅子舞の部」の記録がとれたので報告する。

 

【舞台広場から】

 ドラの合図で旗頭、棒、路次楽、地謡、長者の大主、若衆、二才の面々は新里屋の前を通り前ヌピヤーへと向かう。

 

      ▲舞台前での記念撮影!          ▲湧川の旗頭「祝豊年」

  

      ▲旗頭を先頭にして・・・           ▲新里屋前を通過する

  

      ▲のどかな道をゆく               ▲さとうきび畑をぬけてゆく

 

【前ヌピヤー】

 前ヌピヤーへ到着すると5時のサイレンが鳴るのをまち、5時ちょうどに路次楽のラッパと鼓の音に合わせて広場にて棒術、路次楽、長者の大主、若衆、二才踊りが奉納されます。棒の白い武着と黒い武着にわかれているのは、型が違うのです。

  

  ▲手前に路次楽、奥に地謡       ▲型がカッコイイ棒術!(白い武着)

  

   ▲広場では円になって              ▲絶妙なリズムの路次楽

  

        ▲大主の口説と踊り              ▲獅子屋へと向かう

 

【獅子屋】

 獅子屋では棒術、路次楽、長者の大主、若衆、二才踊りに加えて獅子舞いも披露される。“小屋から出てくる獅子”の演出は圧巻である。

  

    ▲獅子屋にはすでに見物客が!     ▲獅子加那子もスタンバイOK!

  

      ▲棒術を見守る獅子加那子         ▲路次楽を見守る獅子加那子

 

     ▲大主から獅子加那子へ口説      ▲奉納踊りを堪能する?獅子加那子

  

     ▲出番です!獅子加那子!       ▲いよいよ眠りから覚め動き出す

  

    ▲玉紐もらってはしゃぐ獅子加那子      ▲ツートンカラーの湧川の獅子加那子

 

 ここで前半部「棒・路次楽・獅子舞の部」は終了となる。

 湧川はここまでみて、名護市川上へと移動する。 

 


川上区豊年祭 9月11日(旧8月14日)

 名護市川上は2年マールで豊年祭が行われているようだ。川上でも操り獅子をみることができる。しかし謝名・伊豆味と違うのは、沖縄で一般的な人が中に入る獅子もおり、それを「獅子舞い」、操り獅子を「子獅子舞い」と呼び区別しているようだ。実際舞台でも操り獅子が演じられるかたわらで大きな獅子舞いも見守るようにいたのが印象的であった。

  

      大盛況です!             ▲人情劇、白い煙が上がります!

  

   ▲劇を食い入るように見つめる彼は・・・     ▲「大浦節」


  

      ▲川上、親獅子!                  ▲可愛い耳がついてます

  

     ▲「操り獅子」と「獅子舞い」                 ▲親見守り、子遊ぶ

  


東江区豊年祭 9月12日(旧8月15日)

 十五夜であるこの日。東江区では3日間行われる、中の日となる。東江では毎年行われている。珍しい演目としては「猿舞い」であるがこちらに後ろ髪ひかれながら移動してしまった。

 舞台の幕が上がると、すでに獅子加那子はおり、大主の口説もお神酒も獅子加那子へと捧げられるというオープニングはなかなか他では見られない演出である。

  

    ▲東江区公民館、屋台あり♪          ▲旗頭「東山榮歡」(裏)

  

  ▲幕が上がると獅子加那子がすでに     ▲凛々しい顔の東江の獅子加那子

  

    ▲可愛いかぎやで風に観客魅了♪          ▲東江区の獅子舞いです

 

 ここまで見て、慌てて伊豆味へと移動・・・来年こそは「猿舞い」を!! 

 


伊豆味区豊年祭 9月12日(旧8月15日)

 伊豆味は5年マーイで豊年祭が行われる。こちらも操り獅子が有名である。その他にも「大願口説」、最後に総出演で踊られる「スーウドゥイ」などが特徴的である。

 一瞬雨が降ったりもした。伊豆味区の踊り手は力強さを感じ、とにかく上手かった!!

  

     ▲テントの中にもたくさんの人           ▲テントの外にもたくさんの人


  

      ▲リズムのある「大願口説」          ▲これが、伊豆味の操り獅子

  

       ▲総出演で「スーウドゥイ」         ▲やっぱり締めはカチャーシーよね!

  

    ▲旗頭「豊年祭」             ▲お宮も着飾って!

      

 ▲公民館前にサガリバナが咲いていた           ▲横断幕と十五夜

 

 


仲尾次区豊年祭 2011年10月5日(旧9月9日)

 現名護市かつて羽地であった仲尾次。毎年菊酒の旧暦九月九日に豊年祭が行なわれる。明治23年から行なわれ今年はなんと120年目をむかえた。集落入口には横断幕がありました(9月末撮影)。

 五穀豊穣・無病息災・平和と3つの願いを豊年祭にこめる。豊年祭は全4日間(現在は3日間)行なわれる。

 

 1日目 ナージュクミ(シマの人のみ招待)

 2日目 スクミ   (敬老)

 3日目 ソーニチ  (正日) 旧9月9日:本番   (招待客)

 4日目 ワカレ(別れ)旧9月10日

(今年は10月4~6日の3日間)

  

    ▲仲尾次集落入口にて            ▲横断幕には“120年祭”の文字

 

 御願、奉納踊り(棒術)、道ジュネーは旧9月9日に行なわれる。

(この日は調査出来ず・・・14:00~御願、15:00~奉納踊り(棒術)、道ジュネーが行なわれたようだ。2009年に行なった調査画像も参照。)

 

【御願・有志親睦会】

 御願は神アサギなどを含め周辺拝所にて行なわれる。仲尾次の神人さんは現在ひとり。源清屋(ゲンセイヤー)の松田花子さん。

 神アサギ庭にて、供物のご馳走やお神酒、餅などが振る舞われていた。

  

     ▲仲尾次の神アサギ(09’撮影)    ▲仲尾次の神アサギ(09’撮影)

  

     ▲お神酒を注ぐ(09’撮影)        ▲仲尾次有志の方々(09’撮影)

 

【道ジュネー・奉納踊り(棒術)】

 公民館から太鼓とドラを鳴らしながら、旗頭を先頭に道ジュネーをして神アサギ庭にて「かぎやで風」と「棒術」の奉納が行なわれる。

  

    ▲道ジュネーの様子(09’撮影)            ▲棒術の奉納(09’撮影)

  

     ▲かぎやで風を奉納(09’撮影)          ▲旗頭は“鯉のぼり”(09’撮影)

 

【アジマー】

 神アサギ庭での奉納が終わると、神人、有志らと共に道ジュネーしながらアジマーへと向かう。アジマーに到着するとここでも奉納踊り(棒術)が行なわれる。

 

 

  

    ▲アジマーでの御願(09’撮影)           ▲旗頭らも共に御願

  

   ▲背中、カッコイイです!                  ▲奉納棒です(09’撮影)

 

 雨が心配されたが、道ジュネーの間は雨があがった。区内放送で「無事、道ジュネーを終えました。氏神に守られた。」などを言っていた!御願が通ったか?!

 

【舞台(広場)】

 舞台まで道ジュネーを行い、広場にて太鼓・ドラ・三味線に合わせて棒術を披露。神人も舞台から見守る。旗頭は広場後方へと設置された。

  

    ▲舞台での地謡と神人(09’撮影)          ▲広場では棒術(09’撮影)

 

【記念式典】

 今年は120年祭の式典が行われ、豊年祭への継承に功績を残した関係者らに表彰状などがおくられた。最後は万歳三唱をして今後の仲尾次豊年祭の発展を願った。

 受賞者の一人にブラジル在住の方がいて、その方の御親戚が代わりに賞状を受け取った。この方の賞状は他と違い、ポルトガル語にも訳されたものでそのままご本人へと郵送できるように工夫されていた。

 何よりも記念誌の発行を準備中とのことで、楽しみで仕方ない。

  

      ▲受賞をうける方々                  ▲記念式典の様子

 

【舞 台】

 御願・奉納踊り・記念式典を終え、6時半から舞台演目が披露された。今年は120年の記念というのもあり、「幕開き」にて中南部の郷友会の方々による三線・琴の演奏が行なわれた。その他にも松明をもって踊る「谷茶前」や「高砂」「平和踊り」「猩猩」などのプログラムには仲尾次独特の演目が続いた。踊りだけでなく劇にも歴史ある仲尾次はどれをとっても見応えありです!

 また、二人の有志の方々から舞台の幕が寄贈された。ひとつは「かつての仲尾次全景図」で、羽地大川と真喜屋大川の間にある仲尾次ムラ。たのう岳、黄金森、田んぼが広がる。

もうひとつは「浜辺」で、綺麗な青い海が描かれた幕である。

  

   ▲仲尾次ムラ全景と寄贈者のお2人           ▲浜辺の幕と寄贈者お2人

  

  ▲松明を手に「谷茶前」掛け声も面白い         ▲本土から伝わった「高砂」

  

  ▲現代劇「仲直り三良小」(親子出演)   ▲「平和踊り」(諜々・ぼたん・おし鳥)

  

  ▲歌も踊りも演奏も真喜屋小1~6年生     ▲独特の動きをみせる「猩猩」


  

    ▲仲尾次の「松・竹・梅」             ▲扇ではなく笠をもって踊る

  

▲時代劇「真壁チャーンと糸満マギー」(座員総出演)

 

 ここまでが舞台での演目。大きな拍手で終えると、観客は余韻に浸る間もなく慌てて立ちあがり広場を空ける。そこで棒術が披露されるのだ。

  

  ▲広場にて棒術。観客はまわりを囲む       ▲可愛い棒使い。今年のアイドル!

 

―メ モ―

 仲尾次の棒術について・・・

かつて松田鉄次氏(旧鉄次ヤー)は、今泊や湧川など祭りがあるときくと出かけて行って、その棒術の型を研究していたという。それらを持ち帰り、ムラの青年たちを集め自宅庭で酒を飲みかわしながら、練習をしていたという。そこから仲尾次の棒術が代々受け継がれているようだ。

 鉄次氏が亡き後も自宅庭は棒術の練習場とされてきていたが、スペースなどの問題で十数年前からは庭での練習は行なわれていない。

 また、鉄次氏の義理の娘、松田ナベ氏(旧姓津波)は長年神人を勤めた一人である。

(松田ナベ氏については歴文ホームページトップより「ヨリサゲ(名護市仲尾次)」にて調査報告してあります!)

 

  

     ▲豊年祭門(表)            ▲豊年祭門(裏)

  

   ▲故鉄次氏自宅庭

 


城区奉納祭 2011年10月6日(旧9月10日)

 名護市城は菊酒の旧9月9日を正日にして翌日、別れと2日間行なわれる。また呼称も“奉納祭”となっており、ナングスクへ奉納するという意識が強いようだ。実際去年、奉納御願・踊りの見学をさせていただいたので、その様子と今回の奉納祭の舞台の様子などを報告する。

 

【御 願】

 御願・奉納踊りがナングスクにて行なわれた。その様子を画像で紹介する(10’年調査)

まず、ガジュマル近くにある拝所で御願し、それからナングスクへ移動。

 まず神殿(女性のみ)での御願を行い、その後は根神屋とフバヌヒチャー(女性のみ)の二手にわかれての御願。

 御願を終えると神アサギ庭へと移動し、奉納踊りが行なわれる。

  

  ▲アパヌクでの御願(10’年画像)   ▲ムラの人達も共に御願(10’年画像)

  

 ▲神殿での御願(女性のみ)(10’年画像)  ▲拝殿には有志の方々(10’年画像)

  

  ▲根神屋での御願(10’年画像)     ▲フバヌヒチャーでの御願(10’年画像)

 

【奉納踊り】

 グスクにある神アサギ庭にて、地謡と踊手が奉納踊りを行う。

  

  ▲奉納・かぎやで風(10’年画像)      ▲国頭サバクイと布袋様(10’年画像)

 

  

  ▲グスク入口に掲げられた旗頭(10’年画像)    ▲「瑞氣 満城南」(10’年画像)

 

【舞 台】

 19時から公民館にて舞台演武が披露される。「国頭サバクイ」は一番の目玉である。その他にも「名護山樫子」(歌謡劇)や「久志の若按司 道行口説」「鷲踊」などが披露。また、子どもたちの参加も多く、とても可愛らしい。「名護山樫子」(歌謡劇)に関しては、女性部の皆さんの出演。(つまり全員女性!)なんとも頼もしい城区!

 演目最後には「国頭サバクイ」が定番になっているようだ。「七福神」が登場!区長自ら神々を城へ迎い入れ、これで一年間の城区の安泰が保証されるであろう。

 演目表示が行燈のようなデザインで粋なものになっているのも城民のセンスがうかがえた。

 終演後、この日が奉納祭最終日・別れであるからか、外で太鼓と拍子木の音に合わせて旗頭が掲げられた。

  

   ▲公民館前に旗頭と「高仰名護城」          ▲大勢の観客で賑う

  

    ▲ちびっこ「国頭サバクイ」            ▲「名護山樫子」(女性部の皆さん)

  

    ▲青年たちの「国頭サバクイ」            ▲七福神の御出座し!

  

    ▲行燈点いていないバージョン        ▲行燈点いているバージョン

 


2011年10月4日(旧9月8日)天気:☂/☁ 気温:29/24(歴文センター:tama)

 先日、通りかかったところにこんなん見つけました!

 名護市宇茂佐なのですが、拝所は宇茂佐のものではないんです!

 ここは墓地地帯・・・今は土地開発などで大きな道路が通ったり、緑の憩いの公園などになっている。一見ただの公園かと思いきや・・・

  

   ▲門中墓のひとつ               ▲(拝所石)ぷうみちゃ

  

     ▲こちらも門中墓                ▲周りも墓地地帯

  

  ▲公園なので東屋もあります       ▲説明板には当時の写真も!

 

ぷうみちゃ拝み -屋部大一門の牛焼き行事-

 今でこそ河川整備や区画整理により、畑地や宅地に利用されるようになったこの付近も、かつては屋部川の流域に発達した広大な湿地帯であった。満潮時にはさらに上流まで潮がさし、そこに点在した丘(ムイ)は、まるで湖水に浮かぶ島のようであったという。公園内にある南側の丘をプーミチャー、北側の丘を七月森(ナナシキムイ)と呼ぶ。プーミチャーは崖壁に、七月森は山頂の岩陰に墓があり、そこを屋部大一門(プーイチムン)では先祖の墓として拝んでいる。

 屋部大一門では毎年旧暦の11月吉日に、ここで「ぷうみちゃ拝み」を行ない、卯・未・亥年には一門中で買った牛を墓前でつぶして先祖に供え、共食する「牛焼き」が行われる。

 「牛焼き」前日の晩、大一門の宗家の一つである「あじみち」の神屋(ハミヤー)の前に牛がくくられ、当日の早朝、神屋の前で7回引き回された後、プーミチャーに向かう。プーミチャーの墓前で「今日が牛焼きの日である」ことを告げ、大一門の男たちの手で牛が解体され、ゆでた肉(シルページ)や牛汁が準備される。午後になると、屋部を中心に各地に広がった大一門の方々が拝みに訪れ、汁を食べ、肉を土産に交流を深める。拝みは大一門の宗家である「あじみち」と「石垣」の当主が中心になって行い、行事は大一門の三役が取り仕切る。他の地域に見られる「牛焼き」は、ムラに入る悪風などを防ぐために行なうムラの祭りであるが、この行事は一門の繁栄と交流を目的とする一門の祭りである。

平成15年 未年 屋部大一門」

(公園説明板より)

 

「ここの小字、プーミチャーで「大土原」と書く。プーは大きい、ミチャは土の意で「大神」とあてる説もある。」(名護ある記『宇茂佐をあるく』より) 

 

 面白いのが、この拝所ひとつでムラの移動などが垣間見れる!?

かつてここは、屋部ムラのプルジマであったんですよぉ~。屋部ムラはここから現在の場所へと移動・・・その後ここは宇茂佐地番へとなる。そのため屋部大一門は屋部ムラの人、現在は宇茂佐にあるけど宇茂佐の拝所ではないのが納得いくではありませんか!(^o^)/ 

 

「また、プーミチャー近くにナナシキムイ(拝所)という森がある。別名「ガイコツ山」というようです。そこにはある伝承があり、今帰仁からきた落ち武者が七ヶ月かけて上がったという説と、七ヶ月篭ったという説があるようです。こちらも宇茂佐の拝所ではありません。」(名護ある記『宇茂佐をあるく』より) 

 

 おぉ!今帰仁との関係がここに?!\(◎o◎)/!

 

 もうひとつ、ここから話しを枝分かれさせると・・・

公園説明板にあるように「牛焼き」は、今帰仁村天底にもこの行事の“名残り”がある。天底ではムラ行事のひとつで、ムラへの疫病祓いや故地・伊豆味ムラとの交流が目的とされる。

その場所はヤキバレーモーといい、天底団地向いの墓地集落の茂みの中に存在する。かつての道の面影はなく、お墓の敷地に取られている。ここでは牛肉を供えるという神行事が現在も残っている。この行事は天底の神人・栄一さん、区長さん、書記さんの3人のみで行う。ここには香炉があり、おそらく伊豆味に向っている。香炉のすぐそばには大きなクムイ(窪み)があり、かつてはここで牛の屠殺をおこないその肉を鍋で煮込み供えたという。分字である伊豆味と交代で屠殺を行い、供えていたが伊豆味まで行くことが困難になり、現在では遥拝のための場所とされる。

 

 ▲ヤキバレーモーにあるクムイ(今帰仁村天底)  ▲遙拝所とおもわれる(今帰仁村天底) 


2011年9月30日(旧9月4日)

 

 身近すぎて見落しがちな面白いものや珍しいものなどってあるのかもしれませんね。

そんなゆる~いことを、ゆる~く報告するのがこのページってことでこのネタです↓(笑)

画像からわかりますかね・・・(^_^;)

今帰仁城跡入口(今泊)バス停にて・・・

よぉ~~~くみると、うっすら文字がかくれている!

 

 

今帰仁城跡入口

 

兼 次⇔今 泊

 

                                

 

喜 名

 

親志入口⇔伊良皆

 

 

 「今帰仁城跡入口」の文字のとこには「喜名」の文字が・・・

バス停のこの看板はリサイクルなんでしょうか?

それとも発注ミスとかでしょうか?