座間味村阿嘉島(メモ)

トップへ
  今月へ

 阿嘉島へ渡る。それは粟国島で戦後復活した祭祀がある。その祭祀を復活したのか。復活に時間を必要としたようである。復活するかどうか、躊躇があったように見受けられる。それが何故なのか。今では神人(女性)が中心となっている祭祀は、男性も役割があった。その様子が粟国島の祭祀によく残っているような気がする。そのことと連動させて座間味村の阿嘉島へ渡ってみた。それと明治18年の知事事務引継の「一村一社建立」のとき、座間味村で神職候補者をだした例があるのでその確認も。

 阿嘉島へ渡るの理由の一つは、明治末から昭和にかけての宗教改革の流れを座間味島と阿嘉島で見てみたいとの思いがあってのこと。
 
 粟国島で、戦後祭祀を復活するのに躊躇している部分がある。それは、どうも明治43年の「社録処分」、そして昭和初期の各地の神社の建立、さらに昭和18年の「沖縄県知事事務引継」が大きく影響していると見ている。つまり、国策として部落の御嶽や拝所を廃止しようとする動き、部落レベルで根強く継承されてきた沖縄の祭祀。神社建立とノロクモイ廃止に向けての動きは、現在根強く継承されている祭祀の流れが読み取れる。

 今帰仁村上運天のお宮、本部町伊野波のお宮、国頭村辺土名ヌルドゥンチなどにある「敬神」の変額は、「一村一社建立」によるものに違いない。それとは別に、昭和初期に神殿と拝殿を建立した時期がある。その動きについて確認の必要。昭和初期に建設された神殿と拝殿。昭和18年の「一村一社建立」による建立があるようだ。 
 
・昭和18年 全県的に「一村一社建立」を目的とした「神社建立調査会」によるウタキ・
  ウンガンジュ
調査あり。
・県当局は沖縄県神社創立計画書を作成、ウタキを神社に移行することにする。

・昭和18年知事事務引継書類に「一村一社建立ニ関スル事項」として以下のように記してある。
   県下ニ於ケル神社ハ官幣小社波上宮、沖縄県護国神社、県社沖縄神社、郷社世持神社
   ノ外無格社ニ琉球八社(略)ノ十三社ニシテ、尚外ニ固有ノ神祇ヲ祀ル御嶽、拝所アルモ、前記
   ノ如ク正規ノ神社少キ為、時局下敬神崇祖ノ実ヲ挙ゲ国民精神ノ昂揚ヲ図ル要切ナルモ之ガ
   普及徹底ニ障碍トナル点少カラズ、就テハ神社ナキ五十町村ニ対シテ五年計画ヲ以テ一村少ク
   トモ一社ヲ建立セシメ県民斉シク祭祀ヲ厳修シ、敬神ノ本義ヲ完フシ・・・・神国郷土ノ基礎ヲ築
   カシメントスルモノナリ(『県史料近代T』(552頁)。

 『座間味村史』(上)によると、「こうした方針に基づいて各町村の古来からの民間信仰の対象である御嶽が、1944年(昭和19)3月を期して神社に移行させられることになったのである。それによって、県内に900あまり存在する御嶽が村社60社、未社(部落)150社を目標に統合されることになり、そしてそれまで神事を司ってきたノロらは当分傭人として用い、次いで正規の神職に切り換えることになった。ただその前に神職候補者を町村長に推薦させ、那覇の世持神社か護国神社で講習を受けさせ、神職として新たに養成することになった。」(326〜327頁)

  (工事中)


       ▲イビガナシのお宮                 ▲御殿(木下の建物)


▲神社と一体化された阿嘉ノロドゥンチ(ヌル宮)        ▲阿嘉ヌル宮


     ▲阿嘉の上殿(クサトゥの殿)     ▲阿嘉島の「ひ おんたち原」の原石


       ▲阿嘉のウフガー                ▲シムンダカリの獅子