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平成16年2月の日誌

2004.2.29(
 
(うっしー)
 今日はうるう日の2月29日ですね。 
 4年に一回の一日おまけの今日の日を充実して過ごされたでしょうか?
 うしは原稿校正とPC打ち込みで目がシッピタッています。「ムラ移動」の原稿、おやかた様の校正で◎がもらえますように・・・・・。
 
 昨日の新聞を読んでショックだったのは、歴史家の網野善彦先生が亡くなられたという記事でした。もう76歳になられていたこと(もっとずっとお若いと思っていました)、肺ガンという病気を抱えていらしたことなど、死亡の記事を見て初めて知りました。
 
 今日の沖縄タイムスの文化欄、「愛国心教育必要か否か」の記事の下に、「妥協なき孤高の歴史家」というタイトルで赤坂憲雄さんが網野先生の追悼文を書いておられます・・・・。
 
 赤坂さんは「戦う歴史家」としての網野先生の業績の一端を記されていますが、この機会に講談社から発行されている「日本の歴史00巻ー『日本』とは何か」を読まれることをお勧めします。帯に「歴史が変わる、生き方が変わる」とありますが、第一章1の「人類社会の壮年時代」を読むだけでも、網野先生が歴史家としてどんな立場に立たれて、何を大事にしようとなさっておられたか、胸深く響いてきます。
 
 それは「仲宗根政善」という人物が言語学者としてどんな立場に立たれ、終生かけて何を大事になさっておられたか、ということと底の部分で深く共鳴する世界でもあります。
 
 仲宗根先生も網野先生も、後に続く世代が受け取ってほしいものが何であるのか、極めてはっきりとした形で遺されていかれました。
 今再び『日本の歴史00巻』をひもときながら、網野先生の言葉を「生き方」として学びたいと思っているうしでした。
 

2004.2.27(金)
 
(う・・・・し・・・・)
 5時になりました。もうすぐ業務終了時間です。
 
 今日も一日パソコンの画面を見てため息つきながら
「ムラ移動・・・・志慶真ムラ・・・・仕明地・・・・」。
 見かねておやかた様が声をかけて下さいました。
「うしのー、具志堅誌に資料があるぞー」
 
 ひえええーっ、これ以上何の資料も見とうない!
 規定の16ページをオーバーしそうです。
 でも何とかまとめます。
 柔道一直線の「足指ピアノ弾き」よりはラクチンだー。
 ちびっとヤケ気味のうしでした。
 
 おやかた様が今夜はご出張なので、本日はこれにて失礼いたします。


2004.2.26(木)
 
(うし子)
 今日は兼次小学校の学習発表会でした。
 うしとおやかた様はまず4年生の教室で発表のお手伝いをしました。
 「北谷ナーチラー」「志慶真ウトゥダル物語」「北山騒動」「名刀千代金丸」、4つの伝説の紙芝居、とても上手に発表できていましたよ!
 後ろで聞いてた大人のみなさんにとっては尚更、興味深い内容だったようです。
 
 体育館の舞台での発表は、「北谷ナーチラー」と「志慶真ウトゥダル物語」組が行いました。ちょっと上がっていたかな? 声が緊張していました。でも練習の成果がしっかりと伝わってきました。
 
 5年生は「伝統と文化」がテーマ。
 エイサーと豊年祭について調べたことを発表した後、棒術グループの演武です。3組出ましたが、みんなかっこよかった! 
 特に最後の組の龍太郎君が、腰も落ちていて、棒も足の運びもビシッと決まっていて、さすが空手やってるだけあるな〜と大人も子供もヤンヤの喝采。10年後のジャー棒間違いなし!!
 (ジャー棒とはその年の豊年祭の最も華となる組)
 
 6年生は「今帰仁の歴史」がテーマです。内容も発表も一番難しいテーマです。
 北山時代から現在までの各時代区分についてざっと読み上げたあと、村政時代の後期(戦後から現在まで)のグループが、「今帰仁城跡の琉球政府による文化財指定」「世界遺産登録」などのキーワードを説明しながら発表し、最後はみんなで校歌を歌って閉じました。校歌には、校区の歴史が歌われていますからね!
 なかなか準備が大変だったと思いますが、よくまとめることができました。
 みなさん(担任の先生方も)、本当にお疲れ様でした!
 
 ちなみにうちの息子(1年生)は縄跳びとフラフープの発表でした。
 「なーんて、上手なんでしょう!!」と親ばかチャンリンのうし子でした。
 
 ・・・ところで終わったはずの「ムラ移動原稿」ですが、おやかた様が次々と高いハードルを提示するので、うしは鼻を引っ張られて「もーもー」言っています。(・・・・私は研究者にはゼッタイなれない!!)
 早くこの原稿をUPして、『なきじん研究』に掛かりたいです。がんばるぞ!
 (雨乞い御願も継続中ナリ)

.
     
▲北谷ナーチラー          ▲志慶真ウトゥダル物語の一場面

.
   
▲北山騒動の一場面           ▲名刀千代金丸の一場面

(こず)
 こんにちは。春らしい空気を感じている今日この頃です。
ピンクの桜並木も葉桜に変化し、今度は鮮やかなグリーンが通る人を楽しませてくれています。若葉の色って目に優しいですもの。

 めずらしく二日続けて業務日誌を書いております。しかも2月は私もけっこう書いてるつもりです、つもり。うしさんには負けるなぁ〜。

 ムラ・シマ講座の冊子の版下作りをしています。
 カッターでささっと切って、スプレーのりをシュシュッと・・・。カッターを使うのは意外と上手いんですよ〜。絵は苦手だけど、工作は好きだからね^^ 
 ちょうど今、ノートのところの貼り付けが終ったところ。まだまだ作業は続きます〜〜〜。

 館長とうし○さんは兼次小学校の学習発表会へ。
 総合学習で何度もセンターや城址に足を運んだ子どもたち。
 ウチの妹はワラビ細工について調べてまとめたそう。うしさんちの一年生も「いっぱい練習したよ〜♪」と話していましたよ。自信をもって大きな声で発表して欲しいですね。成功することを願っています。
ゲストティーチャーのうし○さんも頑張ってね!

 さて、ひとつ大人になった私。 ♪ 明日私は旅にでま〜す ♪ はい。
 京都、神戸あたりで私をみかけたら「おーい!」と声をかけてみて下さい。


2004.2.25(水)
 
(うしです)
 空は小雨の曇り空・・・。このまま雨になるのか、それとも晴れちゃうのか、業務日誌を書こうかどうしようか、迷うところです。
 シカシカ〜しながら、ちょっと書きましょうかね。
 
 今日はこずさんの18回目(だはず?)の誕生日です。
 おめでとうございまーす!
 いいこと一杯ある一年になるよ!きっと!
 そして、ン年前の今日の明け方、こずちゃんをがんばって生んでくれたお母さんに感謝してくださいね。えーと、もちろんお父さんにも。
 
 志慶真ムラの移動についての原稿ですが、1863年の「仕明知行帳」を参考にした部分を加筆して、大体のところで仕上がりました。
 あとはおやかたサマの校正を待つのみ・・・・。
 その間に図版を仕上げなくては!
 
 ムラ移動の原稿を書きながら、この時代は貧しくて、食べるものもそこそこしかなかったけれど、ムラを移動できるほどの「余裕」がシマにあったんだんなあということを痛感しました。
 今、いろんな事情でムラが疲弊したときに、移動できる場所ってないですよね。「そてつ地獄」の時代もそうだったけど、もうどこに行っても受け入れてもらえるだけの空間は無い。それを考えると、志慶真ムラの移動はある意味で、夢の航跡のような気がします。
 
 それにしても4回ものお引越しは大変だ!
 続きはまた明日(かあさってか、いつの日か・・・・)

(こず)
 昨日はあんなに晴れていたのに、今日はくもり空です。なんでかねぇ??
やっぱり何かあるのかねぇ? うし○さん♪

 今日はホントの私の誕生日です♪♪♪
 昨日、岩手に住む友人から「こ〜ずぅ、誕生日おめでと〜う!!」と、早朝6時頃にフライングメールが届きました。  
 ありがとう。でも…間違ってるぞ!もしかして岩手との時差を考えたとか(笑)?
 おっちょこちょいな彼女らしいメールで朝から大笑いしました^^

 で、いくつになったの〜?
 知らないうちに24歳になってしまいました。母に「もう24かぁ。でも、24ですっ!!ってまだ言いやすいんだよねぇ〜。」と言われました。そうなのかなぁ。
 今日からの一年、イイコトがいっぱいありますように。


2004.2.22(日)
 
(うし丸)
 今日の日付は楽しくなる数字のつながりですね。
 あひるちゃんが旗持って行列しているみたい。
 
 さて!やっとヤンバルにも雨が降りました!  
 しかもうしがお休みで業務日誌を書かなかった日に!
・・・・これは御願が通ったとみなすべきか、
はたまた、業務日誌が毎日続いていた「異常事態」からの回復宣言とみなすべきか、複雑な心境で判断に苦慮しているうしです。
 今日の業務日誌の後、雨が降ってくれたら御願が通ったということだし、またもや晴天が続けば、雨の神様からの業務日誌に対する挑戦状と考えられよう! よおし!
受けて立とうやないけ!!(んな、オーバーな・・・・)。
 
 さて(その2)、私事で恐縮ですが、先月「なきじん海辺の自然学校」で「海辺の自然体験活動リーダー(初級)養成講座」を受講し、無事初級リーダーとして認定証をいただいたのですが、その2月生受講のメンバーが、なjきじん海辺の自然学校の岩井なる教頭先生(!?)の引率でお見えになりました。
 今回は先月より海水の温度も高かったようで、泳ぎやすかったそうです。先月は天気に恵まれてはいましたが、とっても寒かった!(詳しくはなきじん海辺の自然学校のHPをご覧ください。http://www.umibe-nature.com/
ちなみにうしは記念写真の前列右端に写っています。歯がガチガチいっていました)。

 なる教頭先生のご依頼で、「ガイドーその光と影」について15分ほどお話をしました。
 なんだかんだ言っても、要はその人の「人となり(感性)」が大事ですよ〜ということだと思います。その上にガイドのテクニックがある。伝えたいもの(感動や発見)をもっているか、伝えたい気持ち(この楽しさを分かち合いたいっていう気持ち)があるか、それが相手に届いたとき、すごく嬉しい。相手の反応でまた自分ももう一度初心の感動を感じられる。ガイドの楽しさってそこかなあと思います。
 たとえば城址を案内していて「今帰仁グスクがよく分かった!」と言ってもらえたら、とっても嬉しいです。私が感じているグスクの魅力を分かってもらえたら、私もまたグスクがもっと好きになる。
 案内がうまくいかなくて落ち込むときも(よく)あるけれど、今帰仁と「あなた」を下手でもつなげる機会を与えられて、ありがとうと(無理にでも)考えるようにしています。
 いつか、別の、もっといい形でこの人が今帰仁に出会えることがきっとあるさ!とか自分をなぐさめて・・・・・。
 
 さ〜て明日は月曜日!
 歴分センターは休館です。一日停電だから、休日出勤もできませんので、ゆっくりおうちの用事をすませますね。
 ではまた来週!(お天気の行方が楽しみだ〜)

2004.2.20(金)
 
(うし山)
 おかしいなあ、雨乞いの御願が通ってないなあ・・・と、今朝の美しい日の出を眺めながら首をかしげていた私です。 
 朝、水をやり忘れると畑のコリアンダーがぐったり。雨水のタンクも底を尽きかけて、水道代を気にしながら水まきをしています。
 
 来週の木曜日(26日)は兼次小学校の学習発表会です。うしは教室での授業参観のときに、教室で4年生の「ゲストティーチャー」として(!)お手伝いです。
 4年生は 先日HPで紹介した「北山そうどう」や「名刀千代金丸」などの伝説を紙芝居にして発表します。
 それに向けての打ち合わせを担任の先生といたしました。すると、子供たちから紙芝居の内容について、次のような質問があります、と先生が出された用紙を見ると・・・
 
1.「北山そうどう」について
 ・めしつかいってどんな意味ですか?
       (→辞書引いてね)
 ・「みんな宴会をしていたので思うように戦うことができませんでした」
  とは、どういうことですか?
    (→お酒飲んでベロベロのお父さんとプロレスしてみましょう!)
 ・「北山そうどう」ってどんな意味ですか?
 
2.「名刀千代金丸」について
 ・海外貿易とは、なんですか?
 ・「いっきうち」ということがわかりません。
    (→辞書引いてね)
 ・切腹の意味がわからなかった。
    (→同上)
 ・護佐丸という人は本当にいたのですか?
 
 その他、受けたのは、
 ・田イモとか、菜っ葉ってどんなものですか?
 ・「気品と色香をただよわせている」ということがわかりま せん。
   (→そうねぇ、うしにもあなたにも無いものよね)
 ・城にめされるとはどんな意味ですか?
   (→ムムム・・・・これはなかなか10歳児に理解させるのは難しいで!)
 
極めつけは、
 ・「今帰仁は美人の産地」って本当ですか?
   (→おうちに帰って、お母さんの顔をよーく見てみよう!)
 
・・・・などなど、へぇー?とこちらが思いもしない質問があって、笑ったり、なるほどねーと子供の視点に気がつかされたり、新鮮な時間をすごしました。
 当日が楽しみですなあ。ではまた!


2004.2.19(木)
 
(うし野)
 いいお天気もいいけど、ダムの貯水量が50%を切ったとか!!これは一でーじ!!
 恒例の「雨乞いの祈り」をしなければ・・・・。
 
 昨日はあこがれのT先生率いる沖縄女子短大のみなさんを館内と城址までご案内いたしましたが、いやー、若いって元気がありますね! いいですね!
 このゼミは、去年も書いた気がしますが、ちゃんと筆記用具を持って参加してくれるのがスゴイ。聞いた話をメモしている。大学生らしい大学生だなーと思います。
 
 今日は今帰仁小学校3年生のみなさんが「昔の道具調べ」で来館。
 木炭アイロンを見せて「どうやって熱くすると思う?」と聞いたら、期待通り「お湯〜!」と言ってくれる子がたくさんいて、嬉しかったです。アイロンには空気穴がたくさん開いているので、ちょっと考えたらこぼれちゃうことが理解できるはずなんだけど、このわからなさが、3年生という年齢の宝物だと私は思うのです。
   「ほら、穴があいてるから、こぼれちゃうでしょ?」
   「あーはー!!」
 穴が開いていて、こぼれることが分かっている人に、この「あーはー!!」はないのですから。
 
 さて、沖縄のみなさん、今日は気合入れて、雨乞いのウートートしてくださいね!
 うしもがんばります!


2004.2.18(水)

(ウシ)
 ヤッター!!
 やっと「今帰仁グスクが抱えたムラー今帰仁ムラ・親泊ムラ・志慶真ムラのムラ移動ー」の原稿が終りましたーーー!ひゃっほー!
 今は、もみじ饅頭クリーム味で余韻にひたっているところでございます・・・・。
 これで志慶真ムラの移動について、続きが書けますね。
 今日は余力はありませんが、いつとはお約束できませんが、ちゃんと書きますからね〜。

 今日はオヤカタ様は広島のお姫様を連れて「与那城町で山原の港(山原船)のことで講演をする」から、その下見に行かないといけない」と、何故か眉間にしわを寄せて物々しくお出かけになりました。(まー、可愛いこと!) 

 これから私は沖縄女子短大の皆さんを館内から城址へとご案内いたします。
 あこがれのT先生もご一緒です。
 あ、お見えになりました!
 では、行ってきまーす!

 (こず)
 毎日いいお天気でプロ野球のキャンプ日和ですね。「キャンプを見に来ながら今帰仁まで来ましたぁ」というお客さまもいましたよ。
 
 私も名護でファイターズがキャンプしているので友達とふたり、「SHINJYO選手見に行かなきゃ!キャー!!写真とか撮れるかなぁ」 北谷に行けば「監督見たいよね」と、ここぞとばかりにミーハー丸出しで騒いでいたのですが・・・。その頃は毎日、雨雨雨・・・ショックー!見れなかったさぁ(T_T)
 
 でも、日曜日居酒屋さんでのこと。背が高くてカッコイイお兄さんが私たちの目の前を。「あ、あ、あぁ〜!お〜!!」と騒ぎ、「新庄さぁ〜ん!!」と黄色い声♪を出すのを忘れて残念がる私に友達は「追いかけて声かければいいさぁ、俺は行かないけどよぉ」と冷たい声。 ひとりでは行けないので、目撃したことで喜んだこずなのでした。


 今日は私の後輩であるお嬢さんたちが、うしさんの案内で今帰仁を学んでいます。メモを取りながら説明に耳を傾けています。

  「みなさんより4年先輩になります」と自分で言ってしまってから、またまた月日が経つのは早いなぁと実感いたしました。
 ただいま今帰仁城跡へと出発しました。お天気もよく、まだ明るいのでゆっくり見れるかな。

2004.2.17(火)
 
(うしまる)
 本当にいいお天気続きですね!
 うしの日誌もめずらしく続いているので、異常気象だったりして!?
 空気が乾燥しているので、鉢物がすぐにカラカラになってしまいます。そろそろちょっとお湿りが欲しくなってきました・・・・。
 
 今日は、昨年広島から学芸員実習に来た新田さんと田村さんがはるばる来館!
おみやげのもみじ饅頭のおいしいこと!!
あっと言う間に、箱の半分が消えていました。
 オヤカタ様、みんなで食べましょうね。
 
 何だかバタバタしていて、今日も3行しか書けなかった原稿です。
もうじき、残業が始まります・・・・・。
 

2004.2.14(土)
 
(うし子)
  いいお天気が続いていますね〜。今帰仁グスクもお花見のお客様でいっぱい!
  歴史センターにも(駐車場がこんなに不便なのに)、まあまあお客様がいらして、展示を楽しんでくださいました。
  「監督〜、なんでここに来たのおお」とちょっと不満そうだった、北谷の少年サッカーチームの男の子クン、お館サマのお話で、今帰仁グスクのことがよく分かったかな?
 
  今日は文書の受付や、たまった新聞のチェックや、あと予算の確認(ゾーッ)などで忙しく、
  ムラ移動の原稿が書けませんでした。
  締め切りが・・・・お尻に火がついてるのよ・・・・。
  パソコンの周辺が「仲原化」し始め、資料の地層があっちにもこっちにも・・・・。
  3畳くらいの机が欲しいです。
 
 本日受け付けた書籍のなかに、「短歌・琉歌とエッセイ 季刊『黄金花』」という冊子がありました。
  今年の一月に石垣島で行なわれた第15回沖縄県短歌大会&短歌フォーラム・歌人交流祭八重山大会の特集号ということで、
  数多くの歌がおさめられています。
  そのなかに、今帰仁の大城和子さんとおっしゃって、私もよく存じ上げているとーっても素敵なお姉さま(と言わせてくださいね)の歌が
  選者賞(星野京賞)をとられ、掲載されていましたので、ご紹介しましょうね。
 
  暮れ進む 野に解けたる穂すすきは
       新北風(ミーニシ)描き 揺らめき止まず
 
  季節はちょっと後戻りしますが、冬に向かう風景の広がりが、色んな感情を伴って胸にせまってきますね・・・。
  以前にも和子先生の歌をご紹介したことがあったのですが、大好きです。
  あこがれの世界・・・ですね。
  
  ではまた来週!  


2004.2.13(金)

(うしまる) 
 今日もぽかぽかいいお天気でした。午前中は兼次小学校4年生の総合学習で今帰仁グスクへ! 
 桜は見ごろをちょっと過ぎて、初々しい葉っぱに主役を譲り始めています。それでも、ピンクピンクの並木が青空に映えて、きれいなこと!!
 
 午後はこずさんと、グスクの石の中にあるアンモナイトの化石を発見しに行きました。けっこう大きい化石を見つけて、感動〜! 3億5千年の歴史と触れ合った想い・・・・・。
 
 さて、志慶真ムラの移動の話が続く予定だったのですが、「北山騒動(ほくざんそうどう)」のお話が4年生にはちょっと難しかったので、これも私の方で分かりやすく書き換えることになりました。
 よってもってかって(おやかたサマの口癖)、ムラ移動の話は休憩しまして、今回も伝説の世界で遊んでくださいませ。 一応、志慶真ムラの乙樽(うとぅだる)さんのことが出てくるので、まったく関係ないわけではありませんよ。
 
         それでは始まり、はじま〜り!!
 
 「北山騒動」
 王子が生まれてすぐ、国頭の方で北山をたおそうといううわさがお城ににも届き、北山軍の大将である潮平大主が軍隊とともに、国頭に出発しました。
 お城にはもう一人の武士である本部大主が留守番として残りましたが、実はこのうわさは、潮平がいない間にお城を乗っ取るために、本部大主がわざと計略したものでした。
  
 その夜、王子の誕生のお祝いが開かれているところへ、本部大主の軍隊がなだれ込んできました。
  みんな宴会でうかれているので、思うように戦うことができません。
  必死で本部大主の軍勢と戦いましたが、一人、二人と倒れ、
  王子やおきさき様の命もあぶなくなってきました。
 
 そこへ、国頭から潮平大主の軍が帰ってきました。
 城の様子を見た潮平は、兵士を裏の志慶真門から突入させ、そのすきに一人で城の奥に突進し、王子を背負い、おきさき様や、王子の世話をしていた乙樽を守って、なんとか志慶真門にたどりつきました。
 しかし、敵においつかれそうになったので、おきさき様は、
 
  「わたしは赤ちゃんを産んだばかりで、これ以上歩けそうにありません。      二人にこの子をたのみます」
と言うが早いか、志慶真川へ身を投げて、命を絶ってしまいました。
 
 潮平は乙樽をはげまし、はげまし、ようやくクバの御嶽の中にある洞窟にかくれ、夜になってから、恩納村に住んでいた、味方の山田大主のところへ向かおうと決めました。

 大井川を過ぎるころ、王子はおなかがすいて、火がついたように泣き始めました。そこで乙樽が海のそばにある泉の水をすくってのませると、なんとかおちついて泣き止みました。
 疲れきっていた乙樽は、
  「足の弱い私と一緒では、とうてい逃げきれません。王子様をお願い
  します」
と泣きながら王子を潮平に手渡し、お城のそばの志慶真ムラにもどって、連絡をまつことにしました。
  
 王子は山田大主のところですくすくと育ち、八歳になったとき、北山の城を乗っ取った本部大主は、王子が山田大主のところにいることをかぎつけ、王子を殺そうと兵士を送り込みました。
 山田大主の耳にその知らせがはいったので、王子は召使に姿をかえ、名前も岡原と変えて、北谷間切の砂辺ムラで召使として暮らしながら、
   「いつか本部大主をたおしてやるぞ!」
とそのチャンスをうかがっていました。
 
 10年後、そのチャンスがやってきました。大宜味に逃げ延びていた、もとの家来たちが、本部大主を倒そうと集まり、王子を探しにきたのです。
  
 王子に味方する兵士が羽地のかんてな港にぞくぞく集まり、その数は三千人となったそうです。この数の多さに、城の中の兵士たちは戦う気力をなくしてしまい、城は王子のものとなりました。
 城に戻ってきた王子を見て、乙樽は嬉し涙を流しました。王子は乙樽が命をかけて自分を守ってくれたことに感謝して、神人(カミンチュ)の位をさずけたということです。

   めでたし、めでたし!
 
  ・・・・と、こういう伝説が伝わっています。
 
  書き換えしながら感じたうしの素朴な疑問・・・・・。
  潮平さんはもう亡くなっていたのでしょうか?
  私ならまず最初に潮平さんにお礼するけどなあ。
  お母さんのことも忘れない王子になっていて欲しいなあ。 
 
 ところで今日はおやかたサマの誕生パーティ(というほどでもないけど)をしました。おやかた様の好きなモンブランのケーキを食べながら。
 こずさんからは「いつもの」ポテトチップとジョージアコーヒーのプレゼントでした!
  おめでとうございまーす!
  明日はバレンタインデーですね。甘いもの続きで、嬉しい館長ですね! 

2004.2.13(金)
(こ)
 久しぶりの日誌に向かっています。 「何書こうかなぁ・・・」
今日も暖かいお外です。明るい空に桜のピンクと緑が輝いています。
最近は桜を聞きながら、桜並木の通勤5分を楽しんでいます☆
 
 ようやくムラ・シマ講座のノートの整理が終りそうです。小学生のノート、なかなか上手く書けています。 みんな絵も上手ですよ。
やっと冊子作成の為のコピー・編集作業に入れるかな〜早め早めにやらなきゃ3月はもうすぐだぞ!!と自分に言い聞かせながらスピードあっぷしないとね。
なにかと忙しい2月は気合いで乗り切る!!


 今朝から、ヒンヤリとした館内で、「もしかして今日が13日の金曜日だから?…館長とうし○さんが総合学習に出かけたスキに狙われたかも!?」 ひとり背中がゾクゾクとしています。

  「今年は風邪ひかないって決めた!!」とみんなに宣言したものの…昨夜から、ちょーっと調子悪なのです。用心してたのになぁ(ToT)
 ♪よーく考えよぉ〜♪…ここ2、3日、友人の結婚式の余興の練習の為、外出・夜更かしが原因でしょうね。今日はゆっくり寝るコトにしましょうかね^^
ストーブとティッシュがはなせない一日になりそうです。
 でもでも、まだひいたわけじゃないからね。やっぱり今年は風邪ひかないって決〜めた!!



2004.2.12(木)

(丑)

 今日は本当にいい天気。ちょっと冷たい風も逆にいい気持ちでした。

 城址の桜はまだまだ満開が続いていますよ! 

 御用とお急ぎでない方は、どうぞゆっくりごらん遊ばせ!

 (そしてセンターにも来・て・ね)

 

 今うしは、志慶真ムラの移動について、原稿を書いています。

 

 志慶真ムラは、ムラそのものが移動していった歴史を持ちます。

 伝承によるとムラは故地を移動した後、さらに二回移動し、最終的に諸喜田ムラの隣に落ち着いて、明治36年の土地整理期に諸喜田ムラと合併し、諸志ムラとなりました。

 

 移動前の志慶真ムラは、今帰仁グスクの後方(南側)の窪地あたりにあったと見られます。

 「具志川家家譜」という資料に、

「今帰仁村志慶真村之儀、城近方ニ有之候処、・・・・・」と、志慶真ムラが城近くにあったいう記録が残っています。

 

 志慶真ムラの移動理由や移動時期については、今帰仁ムラ同様記録がなく、『具志川家家譜』によると、

   「今帰仁村志慶真村之儀、城近方ニ有之候処、場所能無之故、
   当村江到敷替候ニ付而、・・・・」

と、「場所が良くないため」という理由が書いてあるだけ。もうちょっと書いてくれたら、たくさんの人が頭をかかえないですんだのによ!

 ですが恐らく、ムラ移動の背景に薩摩軍による今帰仁グスク焼き討ちがあったことは間違いないでしょうね。同じころ、グスクの前面にあった今帰仁ムラも海岸のほうに移動しています。

 

  ・・・・どんな気持ちで、どんな風にして、ムラを後にしたのでしょう。

  大人も子どもも、きっと不安でいっぱいだっただろうなあ。

 

 志慶真ムラの移動先について、家譜資料は「当村」と記載するのみで具体的なことはわかりません。

 大正8年に出版された『沖縄県国頭郡志』(島袋源一郎著:大正8年)の「志慶真川」の項に、
 

  「昔今帰仁城の背後に美人乙樽を出せる志慶真村ありしが、後是れ
  より城の前方アタイ原に移り又今泊の大兼久に転し更に東漸して兼
  次の西方志慶真原に引越し遂に兼次諸喜田の二村落に交り、明治
  三十六年諸喜田に併合せられて諸志と改称せり」

とあります(『国頭郡志』422ページ)。

  ややこしいので、まとめてみると

  志慶真ムラ(元ムラ)

    ↓

 アタイ原(どうも今帰仁ムラ・親泊ムラの跡地)

    ↓

 今泊(今帰仁ムラ)の大兼久(今の北山病院の北側あたり)

    ↓

 志慶真原(今はない小字、どうも今のシュク原のシトゥバンナという台地)

    ↓

 兼次ムラ・諸喜田ムラの間(現在地)

 

・・・・4回も引っ越している! 

 

 どうして4回も引っ越すことになったのか?
 志慶真ムラの気持ちになりたくて、天気もよかったし、

 お館(やかた)サマを誘って(ナビゲーターとして)調査に出ました。

  ・シトゥバンナの南斜面

  ・兼次のハーグチ(水門)

  ・兼次の古島原から見おろした今泊・兼次・諸志の風景


  うん、だんだんムラの形がイメージ出来るようになってきたぞ。
  志慶真ムラの移動はですね・・・・と書こうとして時計を見たら

  あら!4時半!!

  もうお掃除の時間です。

  続きはまた明日ですね〜、残念!

 おやかた様、写真の取り込み、お願いしますね。何かプレゼントあげるから!(明日はおやかた様の?回目の誕生日です)

 .

       ▲志慶真村が移転したと言われているシトゥバンナ(遠景と近景)


2004.2.6(金)

(うし)
 今日も花曇りの今帰仁です。
 そして沖縄は「ミー16日」(後生の正月)の日。
 この一年に亡くなった人たちにとって、初めての天国のお正月です。この世の私たちはお墓に行ったり、トートーメーにウートートーしたりして、亡き人をしのび、冥福を祈ります。
 
 さて、本日文化センターには、来週の13日の金曜日に来る予定だった兼次小学校6年生が、ミー16日の今日、予定を変更して総合学習の授業にきました。
 きっと、今帰仁の歴史上の人物たちのはからいでしょうね!(薩摩軍による今帰仁グスク焼き討ちの日も近いことだし・・・・)。
 
 寒いセンターの建物のなかで、今帰仁の歴史について最後の確認と調整をしました。発表は2月26日(木)とのこと。大きな声で、しっかりと、自分の担当の時代について発表してくださいね!私も応援に行きますね!
 
 6年生の授業が終わるころ、4年生の「伝説紙芝居」について頼まれごとがあったことを思い出しました。
 「あひゃ〜、忘れてたよおおお!」
 今帰仁グスクに関わる伝説「名刀千代金丸」(ちよがねまる)の文章が小学生にはちょっと難しく、紙芝居を作った本人たちにもイマイチ分かっていないようだったので、私がわかりやすく文章化する約束をしていたのでした。
 原本を見ぃ見ぃ、易しく書き換えたのが次の原稿です。たまには伝説の世界を楽しんでみましょう!

「名刀千代金丸」

わたしたちは「名刀千代金丸」の伝説を話します。

  むかし、ハンアンヂという北山王がいました。

そのころ、今帰仁グスクの中には外国からの宝物がたくさんあり、ハンアンヂ王は戦いに強く、わがままで、人々を苦しめていました。ハンアンヂ王は、千代金丸という、昔から伝わるりっぱな刀をもっていました。千代金丸には不思議な力があり、ハンアンヂ王を守ってきました。

当時、王様の次に力がある人を按司(あじ)といいましたが、国頭・名護・羽地の三人の按司(あじ)たちは、読谷の按司であった護佐丸(ごさまる)と力をあわせて、ハンアンヂ王をほろぼす計画をたてました。

そのころ、中山に尚巴志(しょうはし)という、とてもかしこくて強い按司がいました。それで国頭・名護・羽地の三人の按司と護佐丸は、尚巴志に助けをお願いして、1416年、2000人の兵士で今帰仁グスクをかこみました。

ところが今帰仁グスクは石垣も高くりっぱで、せめ入るところがなく、志慶真川をはさんでの、にらみ合いとなりました。

ところで今帰仁グスクの中に、本部テーパラーという人がいました。本部テーパラーはハンアンヂ王のけらいでとても強く、北山軍の大将でしたが、非常によくばりでした。そこで羽地按司は本部テーパラーに金や銀の宝物をこっそりとわたし、「もしもハンアンヂ王をうちとったら、お前を北山王にしてやろう」といいました。

本部テーパラーはさそいに乗り、ハンアンヂ王に言いました。

  「お城にこもっていてばかりでは、敵にひきょうものといわれ
    てしまいます。王様は正門(せいもん)のほうで敵をやっつ
    けてください。私は裏の志慶真門のほうで敵をむかえうち
    ましょう」

 そこでハンアンヂ王は正門にまわり、逃げていく敵をおいかけて城をでていきました。

 すると城の中で大さわぎする声が聞こえ、なにごとかとふりかえると、お城が燃えているではありませんか。あわてて引き返すと、本部テーパラーが城の門でハンアンヂをむかえ、

 「お前は正しく国をおさめず、北山の人々を苦しめてきた。もはや
   これまで。おれがうちとってやる!」

と叫んで、一騎打ちとなりました。

 怒り狂ったハンアンヂ王は、千代金丸で本部テーパラーを斬り殺し、敵に追われてグスクの上の方までのぼっていきました。そして今帰仁グスクを守る神がおりてくる「カナヒヤブ」という大きな石の前に行き、

   「お前は最後まで私を守らなかったから、私とともに滅んでしまえ」

と石を切り、千代金丸で切腹しようとしました。

 しかし、大勢の人間を切り、神の降りてくる石まで切ってしまったせいか、刀の刃がだめになってしまって、切ることができません。それでハンアンヂ王は千代金丸を志慶真川に投げ捨てて、腰に差していた小さな刀で切腹したということです。

 千代金丸はその80年後、今泊の海の中でみつかり、首里城の王様に届けられたという伝説が伝わっています。


2004.2.4(水)
(うし○)
 今日も曇り空で、寒かったですね〜。
 うしんちの桜は散り始めていて、たくさん落ちた桜のじゅうたんの上を通るのは、  「ごめんなさい」という気持ちと、「いい気分!」の両方あって、
   今日は「いい気分」の方でした。
 
 ご近所の屋号「ターチューヤー」(双子屋)の桜が、今真っ盛り!白に近いピンクと濃いピンクの二本の桜が満開です。グラデーションの感じがとっても素敵です・・・・。

 「今帰仁グスクの抱えたムラー今帰仁ムラ・親泊ムラ・志慶真ムラの集落移動ー」の原稿が、「あまはいくまはい」しながらも進んでいます。
 資料を読み始めると、原稿に関係ないところがやけにキラキラ輝いていて、
   「ね、ね、こっち読んで!」
   「あら、こっちの方よ!」
と誘惑するので困ります。

 今日は『なきじん研究9号』所収の『琉球渡海日々記』で、親泊地名をもう一度確認しようと思って開いたら、なぜか運天の原稿に読みふけってしまい、気が付いたら時間がどどどどーっと経っていて、あせりました・・・・。
 これって、試験前にどうしても小説が読みたくなったり、映画観たくなったりするのと、一緒ですね。

 それにしても、タイムマシンに乗って、歴史の色んな場面に行ってみたい。
 うしまるが見たいのは(今帰仁関係でいえば)
 ・北山滅亡の場面
 ・今帰仁グスク焼き討ちの場面
 ・百按司墓の骨の人が生きていたときの姿
 ・親泊ムラ・今帰仁ムラ・志慶真ムラのお引越しの場面
 ・今帰仁間切の運天番所の様子
 ・バジル・ホールの琉球での動き
・・・・・なんかですね。
 いつか天国にいったら、神さまにおねだりしてコマ落しで見せてもらおうっと!!
 

2004.2.1()
(こず)
 2月です!! 1月は思ったよりも足早にいってしまいました。
 
 昨日のお休みは映画館へ。うし○さんオススメの映画を観てきました♪ あまり映画館へ足を運ばない私が2回も行った映画月、1月。 やっぱりおっきなスクリーンだと迫力もあるし、音も体感できるしイイですねぇo(^o^)o 

 今日は晴れ。あたたかく、グスクも通りも桜がきれいです。「桜まつりではないけれど、なきじんの桜はいいですよぉ。穴場かもしれませんね」とお客さまも話していましたから(^^)

 2月は私の誕生日の月。「年は取りたくないよぉ(>_<)」と思ってもとってしまうもの。何とかして減らせないものですかねぇ?(笑) 
仕方がないから去年よりは成長したといえるように願うばかりです。