「今帰仁の原風景」                     トップへ

 (画像未です。工事中)


 「今帰仁の原風景」と銘打って、昭和25年から35年頃までの風景や人々の生活を中心としたメルビン・ハッキンス氏提供のカラースライドの写真とモノクロ(白黒)の写真を展示することなった。昭和30年代からの高度経済成長とともに今帰仁の風景や生活が大きく変化していった時代である。今回の企画展示は、669 枚から50枚のカラー写真とモノクロ30枚(計80枚)を、次のテーマに分類して展示した。その時に展示した画像と目録を紹介する。


【今帰仁の原風景】


【風景  ・人々  ・生業】

  展示したカラー写真は、急激に変化する以前の今帰仁の風景や人々の生活や生業(生活)などである。昭和25年から35年頃にかけてのスライドに写しだされたムラの風景(景観)や人々、そして生業などである。そこには、戦前あるいは戦後間もない頃の姿が映し出されている。「今帰仁の原風景」で展示されている一枚一枚の写真に向かい、40年という歴史、あるいは30年の歴史を振り返りながら、この時代を知らない若い世代に語り継いでほしい。「今帰仁の原風景」は、今帰仁の40年前の自然や人々、そして生業をよみがえらせてくれるものである。個々のスライドをさらに風景、人々、生業に分類して展示した。 今回は今泊(親泊)を中心とした展示になったが、教会周辺の水田やアジマー、西側の一本松、サーラモー、公民館付近のコバテイシなど、それにシマの人々や稲刈り・畑仕事・塩づくりなど。そのような場面を写真に見ていると、忘れかけていた記憶を鮮明によみがえらせ、再び脳裏に刻みこんでくれる。

 写真の風景の時代に吸い込まれていくと、何故かごく最近の風景に出会っている錯覚に陥ってしまう。そこに登場する人々が、時間の長さを示してくれる。当時、まだ五、六才であった方が、今では40才を越しているのである。それが、また30年から40年という時間の経過を教えてくれる。写真に登場される方々は、当時何を夢み、そしてどんな時代を予測していたのだろうか。

 この企画展にあたっては、メルビン・ハッキンス氏をはじめ、今泊教会の名城牧師をはじめ、通訳をしていただいた名城義久氏、新城春代さん、そして今泊区民など、多くの方々のご協力があったことを、末筆とはなりましたがお礼の言葉を述べるとともに、ここに記しておきたいと思います。さらに、新城春代さんには、写真の一枚一枚の説明までしていただき、おしみないご努力とご協力に感謝申し上げます。

 ハッキンス氏提供のスライド写真を中心とした、これまでの40年近い自分たちが歩んできた歴史を記録していく作業が始まったばかりです。今帰仁だけでなく、本部町、伊江島、名護、屋部、さらに宮古へと広がっていきます。ネガ整理が終わりしだい、それぞれの地域の方々にお願いする予定です。ご協力よろしくお願い致します。              


・農家の佇(うるお)い  ■195  年  親泊

 今泊教会の東側の故仲宗根宗政氏宅。緑の稲田に囲まれこんなのどかな農家の風景があった。離れの廁もなつかしい。 

 


・農 家 ■195  年 親泊

  教会の東側。故仲宗根宗政氏宅の新しい家。開け放れた農家には南の風が客となり“涼”をみやげに持って来た。 


・駐在所(ジュンサヤー) ■1958年 親泊

 新しく屋根をふき変える前の今泊駐在所。子どもの頃、怖いものの一つに巡査(お巡りさん)があった。ウ-マクワラバ-達(わんぱく小僧)をたしなめる時、大人は「“巡査”が来るヨ」と大声をあげた。お巡りさん、本当にごくろう様でした。 

     


・村の道路沿いに立つ民家 ■1961年 親泊

  屋根の半分がカヤ、半分が瓦ぶきの家も珍しい(玉城精喜氏宅)。コ-ラル(サンゴ礁)の石垣の門を入るとおじいさんのキセルを打つ音が聞こえてきそう。


・台風で水害を受けた田圃  ■1961年  親泊

 大洪水来る?道路事情が余り良くなかった頃、水はけの悪い低い田畑は台風や大雨の後、この様に水びたしになった。水の上に落ちる農夫の汗と涙がしのばれる。

 

・台風で被害を受けた民家 ■1961年9月 親泊

 今泊海岸沿い。台風(ヒルダ)に耐え得えぬいた小さな家。誰が住みどんな生活があったのだろうか。裏の海から潮の高鳴りが聞こえる。

 


・収穫の時 ■19  年 親泊

 親泊駐在所横のイモ畑。“収穫の時”おじいは毎日家族のためにイモを掘り、おばあーはシンメ-ナビで、それを煮く。稲穂も色づいた。もうすぐミ-メ-(新米のごはん)が食べられると子ども達は喜んだ。

 


・コーラルが敷かれた道路 ■1957年3月  親泊

 北山城跡入口より今泊教会とハッキンス氏宅を望む。当時、唯一の人員輸送バス(昭和バス)の姿がみられる。道にホコリ高いコ-ラルが敷かれ、バスが通るようになって田舎の生活も、少しは楽になったのだろうか?


・トンボ松(一本松) ■1957年8月 親泊

 今泊のハッキンス氏宅より西側の山手を望む。“トンボ松”(一本松)とその周辺。田畑は人々に糧を与え、山野は人々に安らぎを与えた。

 


・砂遊び ■19  年 親泊

 ハッキンス氏宅の庭先で砂遊び。にわかに砂山が出来、子どもたちのかっこうの遊び場となった。僕たちもその仲間だった。遠い昔の僕ときみ。(僕ときみの名前を教えて!)

 


・井戸端に立つ少女二人  ■1961年 親泊

 井戸端に立つ少女たち。しっかりと大地を踏みしめている足。あどけない美しい瞳、時がたち、少女たちも大人になった。今は子育てに忙しい母親。


・今泊教会附属幼稚園の生徒  ■1953年12月 親泊

 今泊教会附属幼稚園の生徒たち。ムラにまだ幼稚園のなかった頃、教育熱心な親達は学齢期に達しない子どもたちの教育をハッキンス氏に依頼した。


・ピカピカの一年生    ■1957年4月 親泊

 僕らはピカピカの一年生!胸の白いハンカチも真新しい。





・幼稚園の開設日 ■1953年9月16日 親泊

 区集会所、今泊キリストの教会附属幼稚園の開設日。入園の日、緊張した子どもの表情、「大丈夫だヨ」とやさしく子どもの手を握る母親?


・野良仕事の合間の子守 ■1962年夏 親泊

  西上原(ナガタキ)、保育所のない時代、母親は子どもを連れて農作業に出た。野良仕事の間、こどもは野の花を摘み、バッタを相手に遊んだ。おばあちゃんの腕の中でほっとする孫娘。

 


・おばあちゃんと孫   ■1961年夏 親泊

 北山城跡への路上で。嘉数マシさん。おばあちゃんの背中は暖かいゆりかご。おばあちゃんの背中は歩く保育所。テ-プレコ-ダ-がないのに昔ばなしが流れ、子守りうたが流れる。おばあちゃんは、子どもの大好きな保母さん。

 


・大工さん逹のパーティー     ■1957年 親泊

 台風による被害を受けたハッキンス氏宅と教会の建物の修繕を終えて。アメリカ人宣教師宅に賛美歌ならぬ、三味線の音が流れ、活気あふれるサミーの声が・・・・、今はサミーをする人がいなくなった。

 


・ 北山城跡入口より  ■1957年3月親泊

  北山城跡入口よりハッキンス氏宅を望む。山の彼方の空遠く・・・・行き交う車もなく、ひたすらバスレ-ンを走る昭和バス。

  


・ハッキンス氏宅の庭にて  ■1954年4月親泊

  ハッキンス氏宅の庭にて。休暇のため、一時帰国した際に見送りに来たムラの有志の方々と子供たち。“別るゝ時悲しけれど、再び相見る幸やいかに”(賛美歌より)



・城跡への道を行く子供たち  ■1952年  親泊

 城跡への道を行く子供たち。「今日は。何をして遊ぼうか」、お姉さんも弟も皆一緒。背中の子がむずかる時、野のイチゴ(イチュビ)を口に入れてやった。遠い幼い日の味を覚えているであろうか。野イチゴも今は少なくなった。

 


・子供たちの顔に喜びが ■195  年

 今泊教会子供たちは常に喜びに溢れていた。着るものも、履くものもない時代。しかし、子供たちは日に焼けた健康をまとい、自然の恵みでおわれていた。その笑顔が絹の衣より美しい。


・木漏れ日の中で   ■1953年 5月 上本部具志堅

 木漏れ日を受けながら熱心に聖書の話に耳を傾ける子どもたち。


・ニワトリを抱く兄弟   ■1956年  親泊

 ハッキンス氏宅。カーニー(右)、ティミー(左)の兄弟。それぞれニワトリを一羽ずつかっていた。「僕の大事なニワトリ。ホラ、金のタマゴを産んだヨ」 

        


・子守をするディアン   ■1961年10月 

 親泊北山城跡入口にて。妹のナナの子守りをするディアン。 




・リヤカーに弟たちを乗せて    ■1961年

 親泊ハッキンス氏宅前で。リヤカーをひく長男カーニー。乗っているのは弟たちティミー、ロビン、ロンの三人。



・田植えをする     ■1953年4~5月親泊

 ハッキンス氏宅前。苦労の精神、貧しい中にも人々を富ませるものがある。シマが一つの家族になる時。


・田植え   ■1953年4月 親泊

 春が来てウグイスが鳴き、田植えが始まる。農作業の手に休みはないが、汗の中にも心の幸せがあった。

 


・稲の収穫 ■1957年8月 親泊

 稲の収穫をする仲宗根ハナさん。豊作、一年の苦労が報われる時、鎌を持つ手に力が入る。

 


・稲刈り ■1957年8月 親泊

 一株一株、感謝をもって刈りとっていく。地の恵み、天の恵みを思いつつ。


・稲刈りの手伝い ■1961年春 親泊

 ハッキンス氏宅の下。息子のカーニーとティミーが隣の仲宗根ハナさんの稲刈りを手伝った。


・黄金の垂穂 ■1956年7月 今帰仁 

 涙をもって、種をまく者は、喜びの声をもって刈り取る(詩篇 126)



・稲の脱穀をする  ■195  年 親泊

 ハッキンス氏宅前。40年前こんな田園風景があった。田が畑にとってかわった今、脱穀機もオーダー(モッコ)もムイジョーキーも働き場がなくなり、どこかの博物館で眠っている。             


・駐在所の屋根の葺きかえ(■1958年  親泊)

 親泊駐在所の屋根の葺きかえ。大人も子供も共に働く。大人は子供たちの良き教師である。当時は、生活そのものが生きた体験学習であった。 

     


・大工さんたち  ■1952年  親泊

 ハッキンス氏の住居を建てた今泊の大工さんたち。           


・カンナかけをする大工さん ■1952年  親泊 

 ハッキンス氏の家を建てる材木にカンナかけをする大工さんたち。

           


・道路工事をするムラの人々   ■1953年4月  親泊

 北山城跡入口の道路工事をするムラの人々。

        


・大地を耕す農夫婦   ■1952年12月  親泊

 北山城跡への道路沿いの畑で。農夫の後方に見えるのがヘレンクリスマンさんと妻のマーガレット。大地を耕す。地の産物を得るには、まず土壌を整えなければならない。仲むつまじい夫婦の絆も家庭を整える条件となる。

 


・中ゆくいをするおばさん ■1957年3月  親泊

 北山城跡への道路沿いにあるイモ畑で働く近所のおばさんたち(左は故新城マツさん)。中ゆくい、畑仕事の帰り友だちに出会った。バキ(背負いカゴ)を下ろし、話に花を咲かせる。どんな会話が交わされたのだろうか。        


・薪を運ぶ婦人     ■195  年 親泊

 北山城跡への道。今は電気・LPガスの時代である。電話一本で生活燃料は運ばれてくる。昔の人の苦しみを若者は知らない。


・薪を背負い、頭に竹竿    ■195  年 親泊

 北山城跡への道。重い薪を背負って帰る主婦二人。物干竿も山からのお土産もの。


・薪を運ぶ婦人 ■195  年 親泊

 北山城跡への道。今は電気・LPガスの時代である。電話一本で生活燃料は運ばれてくる。昔の人の苦しみを若者は知らない。



・薪を背負い、頭には竹竿を   ■195  年 親泊

 北山城跡への道。重い薪を背負って帰る主婦二人。物干竿も山からの土産もの。

 


・茅(カヤ)を積んだ馬車  ■1961年  親泊

 カヤを積んで、北山城跡の道を下る馬車

 


・農作業を終えて家路へ  ■1961年  親泊

 農作業を終えて家路へ。昔むかし、あるところに・・・ の昔ばなしの絵本の中にしかみられなくなった老農夫の姿。ハイサイと今にも声がかかってきそう。  

     


・農作業を終えて家路へ  ■1957年3月  親泊

 農作業を終えて家路へ(アジマー付近で)。背中には、バキを背負い、頭上には焚き付け用のワラビ(?)を乗せて。後方には、田作業をしている姿がある。


・竹の壁の民家と井戸  ■1962年5月  与那国島?

 当時は家の屋根と壁の補強のため、竹が多く使われた。井戸から水を汲み、子供はミルク缶で作った柄杓で冷たい水をおいしそうに口にしている。


・青空のサーターヤー   ■1957年4月  親泊

  さとうきびの圧搾作業(サーターヤー)、現在の今泊農村公園あたり。



・サータヤー(砂糖屋)    ■1957年4月 


・さとうきびの圧搾(サーターヤー)


・嵐山から見える風景   ■1956年5月  湧川付近

 嵐山より屋我地島・古宇利島を望む。手前の島(屋我名)には塩田と二つの塩焼き小屋、そして手前にも塩田と小屋が見える。



・マリーの塩田    ■1957年  マリー付近

湧川から呉我にかけてのマリーにあった塩田である。羽地内海は、昭和35年頃まで塩田で塩田炊きが行われていたところである。

 


・長い歴史が漂う風情              ■1952年  親泊

 集会所と区事務所(公民館)。中央のコバテイシの大木が、古い歴史のある風情を漂わしている。

 


・運動会と茅葺き校舎    ■1952年11月  兼次

 兼次小中学校の運動会。戦後、間もない頃の茅葺き屋根の校舎。そこで学んだことが今の自分にどういかされているのだろうか。

 


・運動会とムカデ校舎     ■1952年11月  兼次

 兼次小中学校の運動会。中学生の組体操(ポール)。後方にムカデ足の茅葺き校舎が何棟か並ぶ。