伊江島は沖縄本島北部にある島である。一島一村(ソン)である。伊江村には@東江上 A東江前 B西江上 C西江前 D川平 の五つの村(字)からなる。五村になるのは明治8年だという。それ以前は東江村、西江村と川平村の三村である。東伊江→東江、西伊江→西江、それぞれの「伊」が略されたという。
伊江島の地頭代は西江親雲上で、地頭代の屋号は前西江親雲上で・・・メーリ(前の西)と呼ばれる。今帰仁間切の場合は地頭代をすると古宇利親雲上の授かり、屋号はメーフイヤー(前古宇利屋)と呼ばれるのと同様である。
伊江島には・・・メーリの屋号は数多くある。佐辺メーリ(東江上)、島村メーリ(西江上)、野崎メーリ(西江前)、宮里メーリ(東江前)、永山メーリ(東江前)、川平メーリ(川平)、岸本メーリ(西江前)、島袋メーリ(川平)などである。廃藩置県後に地頭代をした家に名嘉元メーリ(川平)、野里メーリ(西江上)、儀間メーリ(東江上)、山城メーリ(東江前)などである。
【伊江島にない村と今帰仁掟・並里掟・謝花掟】
そのことは『伊江村史』(上巻)に以下のように触れているが…
「島の掟名に今帰仁掟、並里掟、謝花掟と云う古い三掟名が由来記に出ているが、島の地名にない掟名である。
これは後世謝花掟は東江上に、今帰仁掟は東江前に配置されているが恐らく北山時代におかれた役人ではなか
ろうかと思われる。部落名がなく島として呼ばれていたので適当な掟名が見つからず、他間切の掟名を転用したも
のと思われる。今帰仁掟は今帰仁城(北山城)との連絡にあたり、謝花掟は島内のことを掌ったと伝へられる。
もう一つ考えられることは、新領土である。伊江島は入貢に馴れていないとして、始め島に近い今帰仁掟と謝花
掟に兼務させたことから、かかる掟名が後世に継がれたことかとも推測できる。
【伊江島と伊江御殿】
【伊江島】
▲伊江島
【グスク山】
グスク山はイータッチュウとも呼ばれ、伊江島第一の拝所(御嶽)となっている。祭祀はそこを中心に行われている。グスク山(ウタキ)を背に集落は麓に広がっている。大和旅などのときに祈願、また船の往来が見える場所なので烽火をあげ合図をしたという。
拝殿がつくられているが、戦前はイベ(石)が置かれているのみであったが、戦後拝殿がつくられる。
【御殿山】(ウドゥンヤマ)
伊江ノロ殿内跡の後方にある拝所。クシャティムイともいう。伊江ノロは君ノロや伊江大ノロとも言われている。伊江ノロ殿内の周辺には下知役や勢頭ノロや在番などの屋敷もあったようである。伊江ノロは17世紀半ば(羽地朝秀)に三十三君の大削減があり、首里に引き上げたという。その屋敷跡地は番所にしたという(『伊江村史』)。
伊江島のノロクモイ地は大ノロの五人に与えられた(五地:14石4斗7升2合8勺))。
【伊江島番所跡】
▲番所井戸(バンジュガ)
【諸地頭作得帳】(写:1708年、伊是名・永山メモ)(『伊江村史』所収)
・按司掛 知行74石 (雑石 略)
・佐辺里主所 知行76石 (雑石 略)
・川平里主所 知行26石 (雑石 略)
・いるい大屋子(地頭代) 知行34石 (雑石 略)
・東江大屋子 知行31石 (雑石 略)
・大城大屋子 知行31石 (雑石 略)
(知行高 計272石 雑石計 294石)
【伊江島の元文検地】
・伊江島の印部土手(原石)
・伊江島の最後の地割は明治32年
【遠見番跡】
・一番火立所(ぶれせ原:中央)
・二番火立所(西方)
・三番火立所(東方)
【西江村15地の地割】(道光9年:1829)(『伊江村史』)
【城山の頂上から】
【ウシャパド】
番所前の広場のこと。ウシャギモー(祭祀の時に備える)ともいい、そこにウシャパドの名の池があった。現在は駐車場となっている。
▲ウシャパドの池(昭和30年頃)(現在駐車場)
【ワジー】(湧泉)
明治8年(1875)、湧泉(ワジ)へ道を通した記事がある。その時の前地頭代西江親雲上は扇子二本と白木綿布二反を。下知役や検者にも伊江御殿大親と仮惣地頭川平里主親雲上の連名で褒美が与えられたようだ。その文面から当時の伊江島の水事情が知れる。旱魃になると本部間切に水汲みに行っている。
▲湧泉(ワジ)への現在の道路 ▲湧泉の取水場
【島村屋】(シマムラヤー)
島村屋は島村メーリと呼ばれ、メーリは伊江島の地頭代をした家につく屋号である。島村屋も地頭代を出した家である。島村メーリの近くに地頭代をしたミンタマーヤメーリや野里メーリの家があったようだ。ミンタマは水溜り(池)のことで、池の側にあった地頭代ヤーである。古いパンフレットに、以下のように説明されている。
「180年前(1796)に建造され、昭和11年(1936)に廃墟になった「島村屋」の住宅を、そっくりそのままの形で
復元したものである。石の壁、竹の造作、土窯など、当時の伊江島を再現してあり、また軒先の屋根瓦は貧
しかった伊江島では始めてのことで「島村屋」の権力を後世に残したものである」
▲島村屋に展示してある印部土手(原石) ▲山山民俗資料館蔵
「つなたう原」は津那堂池があるので、砂堂原ではなく津那堂(西江上)か。
【会所跡の碑文】
【煙草乾燥場と畑】
【公設質屋跡】
【マーガ】
▲マーガ(真井戸)
【番所井戸】(東江上)
【ミャーサントー】(天水タンク)
サントーは三和土でつくった天水溜めのこと。ミャーやニャーは庭。庭や広場に三和土でつくった雨水溜めタンクのようだ。

【阿良御嶽】
【御願毛】(ウガンモー)
【昭太寺】(1554年建立)
【ニャーティヤガマ】
ニャーは貝、ティヤ(テラと同義?)は墓のことだという。ニャーは広場かもしれない。子授かりの神として拝まれている。
【ウシャパドゥモー】
旧役場(現在教育委員会)の前の広場のこと。
・島民が集まって催し物をする会場
・神人は城のウタキまで、島民はウシャパドゥモーに参集してウガンをする。
・首里王府からの達(たっし)を地頭代が伝える場所。
・五穀豊穣祈願の綱引きをした場所。
・ウシャバドゥーから龕(ガン)は通さず。