N湧川の神アサギ
N湧川の神アサギ
 湧川は1738年に創設された村(ムラ)である。そのため『琉球国由来記』(1713年)には村の存在はない。明治15年頃の「沖縄島諸祭神祝女類別表」の湧川村に「字ノロクモイ火神壱ケ所、神アシアゲ壱ケ所・カレキヤマタ嶽壱ケ所」とあり、当時神アシアゲが一ケ所あったと明記されている。

O奥間神アサギ?
O奥間アサギ(湧川)
 湧川に奥間神アサギと呼ばれているアサギがある。このアサギはムラの神アサギとは異なる。湧川の二つの神アサギは、二つのムラの合併の痕跡ではない。建物は他の神アサギと類似するが、火神(三つの石)が置かれていること。神アサギに火神を祭る例よほどのことである。それは奥間アサギと呼ばれているように旧家の奥間家の屋敷跡(殿地)と考えた方がよさそうである。

P天底の神アサギ
P天底の神アサギ
 天底村は1719年に本部間切から今帰仁間切に移動してきた村である.1713年の『琉球国由来記』には本部間切の村である。天底ノロは天底と伊豆味村の祭祀を掌った。大正時代まで天底ノロは馬に乗って伊豆味へいき祭祀をやっていたという。現在の神アサギは瓦葺きであるが、かつての神アサギは石柱の建物であった。(写真は平成元年のサーザーウェー)

Q勢理客の神アサギ
Q勢理客の神アサギ
 「せりかくの のろの あけしの のろの......」とオモロで謡われる村である。勢理客ノロは勢理客・上運天・運天の村の祭祀を掌る。ウプユミやワラビミチの時、湧川の祭祀にも関わる。勢理客ノロ殿地跡は神アサギの側にあり、火神やワラザンが祭られている。ノロ殿地に簪(カンザシ)が二本残っている。一本の簪は竿部分を失っている。戦争のとき家が焼けてしまい、簪も焼け銀メッキがとれている。(写真は平成3年のムラ・シマ講座)

R上運天の神アサギ
R上運天の神アサギ 
 上運天の祭祀は勢理客ノロの管轄である。神アサギは6本の柱をもち、瓦葺の建物である。昭和30年代まで茅葺き屋根の神アサギであった。サーザーウェーのとき、アサギナーでスクをすくう所作が行われる。また、ワラビミのとき、勢理客ノロは湧川・勢理客・上運天、最後に運天の神アサギまで祭祀行う。神アサギの屋根裏に獅子が置かれている。上は昭和30年代の茅葺き屋根の神アサギ,下は現在の神アサギ。

S運天の神アサギ
S運天の神アサギ
 運天の祭祀は勢理客ノロの管轄ムラである。ワラビミチのとき、湧川・勢理客・上運天・運天と神人と子供(太鼓をたたく)が参加し次々と村をまわる。運天の神アサギが最後である。運天の神アサギはムラウチにあり、屋根の低い瓦屋根葺きの建物である。アサギの側に井戸と脇地頭の火神の祠がある。神アサギの柱はブロックになっているが、四本の柱の建物だった痕跡を残している。

21古宇利の神アサギ
21古宇利の神アサギ
 古宇利島は一ノロが一村(島)を管轄する。神アサギは中森の側に位置し、豊年祭を行う舞台とアサギナーがある。4本柱のコンクリートの神アサギである。かつての古宇利島の神アサギは石柱の茅葺き屋根であった。神アサギはタキヌウガンやプーチ御願のときなどにも使われるが、海神祭(ウンジャミ)の時のメイン会場になる。現在一つの神アサギであるが、アサギマガイやヒチャバアサギなどの地名があり、複数のムラ(集落)が融合した痕跡が見られる。写真は平成8年のウンジャミ。
    今帰仁の神アサギA 
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