伊是名島踏査 メモ       トップへ(今帰仁村歴史文化センター)

@伊是名グスクと伊是名玉御殿

 伊是名島をゆく。伊是名グスクと同村(伊是名ムラ)、伊平屋島番所が置かれた伊是名へ。それと「尚円王の叔父銘刈親雲上は、首里にに出仕して真和志間切銘刈村の地頭職となり、後に帰島し、子孫は里主職を勤めた」ている。それが銘刈家(伊是名村伊是名)である。銘刈家は首里に引き揚げることなく伊是名島伊是名に家を構え住むことになる。

 各地の按司が首里に集められたのに対して、今帰仁間切は首里から監守(今帰仁按司)が派遣され1665年に首里に引き揚げた。伊是名島は今帰仁と異なり、銘刈親雲上が派遣(帰島)され、首里に引き揚げることなく島に住むことになる。それは、尚円が伊是名島が生誕地ということもあるが、伊是名島は首里王府の直轄地としての形態をなしていた。(祭祀も今帰仁阿応理屋恵は引き揚げる(一時期廃止され、再度今帰仁へ戻る)が、伊平屋あんがなしは、そのまま伊是名に留まる)。

 伊是名玉御殿に向かって左側に伊是名グスクへの登り口がある。そこがグスクへの正門があった場所だろうか。登って行く途中にいくつもテラスが確認できる。また拝所がある。一帯の斜面に建物があったと見られる。それが伊是名の集落だったのだろうか。斜面にあった集落が麓に下り(そこが伊是名元島)、さらに現在地に移動した。そのような経過を辿ったのであろうか。

 伊是名グスクの五、七段の階段。今帰仁グスクの石段(七・五・三)はそれにならったか?

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    ▲伊是名グスクへの登り口              ▲伊是名グスク内にあるイシジャー

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  ▲伊是名グスクの麓にある伊是名玉御殿         ▲グスクからみた伊是名元島跡

  
                            ▲五・七の階段       ▲大城ミヤー(イベ)(諸見・仲田)


A伊是名島の「火立所」と「雨乞い場所」

 伊是名島の「雨乞い」と「火立所」のあるアーガ山に登る。その場所まで行くのは十数年振りである。行った記憶はある。島に何度か渡っているが、以来その場所に足を運んでいなかった。

 伊是名島の「火立所」は『元禄国絵図』で「異国船遠見番所」、『薩摩藩調製図』で「火立所」とである。伊是名島の「火立所」は『元禄国絵図』で●記号で記されている。伊是名島から国頭間切の辺戸村で受け、辺戸村から今帰仁間切の古宇利島、さらに大嶺原、伊江島の火番所で受け、瀬底島、読谷山間切火番所、弁が嶽で受け継ぐ連絡網である。

 アーガ山の嶺に「火立所」とは別に諸見・伊是名・仲田の雨乞いを行う場所がある。

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 ▲「火立所」の方角は伊平屋島               ▲伊是名の「火立所」跡

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       ▲諸見の雨乞いの場所           ▲伊是名の雨乞いの場所


B伊是名島番所跡

 伊是名島の伊是名まで足を運ぶ。伊是名島の番所があった村であり、伊是名島の同村である。伊是名グスクは元島原にあり、伊是名村(ムラ)があった場所である。伊是名は元島(原)から上島(原)へ。そこから現在地に移動した(『伊是名村史』下巻)という。伊是名のムラ名は伊是名グスクに因んだ呼称なのかもしれない。

 『球陽』(巻20)に「伊平屋島の駅籍の移転」(1811年)の記事がある。
  伊平屋島駅籍を村後の北方伊世名原に改移るを准す。
  伊平屋島の駅は、客歳回禄に遇ふて焦土となる。当に改造あるべし。而して今かの駅籍は
  伊是名村内にあって、其隣り茅屋多く常に大憂あって安し難し。駅籍を村後の北方伊世名
  原に改移するを准さんことを乞ふの等由、酋長の呈文に検者、総地頭及び大美御殿大親、
  高奉行等、印を加具して詳明するに、随即に准焉す。

 伊平屋(伊是名)の駅(番所)は伊是名村(ムラ)の集落内にあったが、回禄(火災)で焼けてしまった。今の場所は集落内にあり隣には茅葺が多く常に心配である。それで集落後方北側に移し変えることを願いでて許された。駅(番所)の移転や改築に検者・総地頭・大美御殿大親・高奉行などの印を押して願いでている。伊是名島を含む伊平屋島は大美御殿の領地で、総地頭は伊是名だったという(『南島風土記』)。昭和14年に伊平屋と伊是名が分村する。

 「伊平屋島番所跡」碑に「昭和六年まで伊平屋村役場この地にあり」と記されている。集落内から移転後の番所(役場)があった場所である。

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  ▲伊平屋島番所跡(字伊是名)

【伊是名島・伊平屋島のヲヒヤ】

 ・セサンノヲヒヤ火神(伊是名島伊是名村)
 ・首見ノヲヒヤ火神(伊是名島諸見村)
 ・マウノヲヒヤ火神(伊是名島勢理客村)
 ・玉城ヒヤ(伊是名島:俗にオヤ田) 
 ・泊大比屋(馬氏国頭親方正胤)
 ・村々ヲヒヤ家(伊是名島)(上とダブルか)
 ・具志川ヲヒヤ・ヤブノヒヤ(祈りに出てくる)
 ・アンジヲソヒヤ・テニギヤヲソヒ

 ・野保ノヲヒヤ火神(伊平屋島野甫村)
 ・我喜屋ノヲヒヤ火神(伊平屋島我喜屋村)
 ・田名ノヲヒヤ火神(伊平屋島田名村)

【琉球国由来記(1713年)】
 その頃の伊平屋島(伊平屋島・伊是名島)の上納品物取り払いは「国頭方代官」の管轄である。

 伊平屋島の役人(ヲエカ人)
  西大屋子(地頭代) 銘刈大屋子/西井大屋子/名嘉大屋子/島尻大屋子(六員夫地頭)
  首里大屋子/大掟/南風掟/西掟/島尻掟/我喜屋掟/伊平屋掟/田名掟/野甫掟/平郎掟
  /伊是名目指/田名目指

(伊是名島のみ)
・アカラ嶽御イベ(伊是名村)(公儀祈願所) ・川嶽御イベ(島中願所) ・トカイ嶽御イベ(島中願所)
    (由来不明)
・伊是名ミヤ御イベ(公儀祈願所)(伊是名城内) ・高城ミヤ御イベ(同) ・大城ミヤ御イベ(同)
    ※高城ミヤ御イベはグスクの高い所にあることに由来するか!。ここでも明確にイベとグスク(ウタキ)は区別している)
・泉井
   
伊是名村東の方海崖、岩掛の嶺にあり。雨天且旱の時、水が増えたり減ったりせず、旱魃の時、女巫・掟神、
    女共召列、濬雨乞う祈願なり) 
・ヤブサス嶽御イベ(島中拝所)(諸見村)
・タノカミ嶽御イベ(公儀祈願所)(勢理客村) ・大山御イベ(島中拝所)(勢理客村)

【年中祭祀の遊び】(計31日あり)
 ・麦穂祭(二月)(遊び二日) ・田植ヲリメ(二月中)(遊び一日) ・麦大祭(三月)(遊び二日) ・山留(四月一日から五月中)(遊びなし) ・アブシバライ(四月)(遊び二日) ・稲穂祭(五月)(遊び三日) ・稲穂祭(五月)(遊び三日) ・稲大祭(六月)(遊び三日) ・年浴(六月)
(遊び二日) ・ミヤ口折目(六月)(遊び一日) ・屋那覇折目(七月)(遊び二日) ・シノゴオリメの事(七月)(遊び一日) ・柴差(八月)(遊び二日) ・麦初種子・ミヤ種子(九月)(一日遊び) ・粟豆初種子(11月)(遊びなし) ・アラゾウリ(11月)(遊び一日) ・具志川折目(11月)(遊び一日) ・海神祭(11月)(遊び一日) ・タケナイの折目(12月)(遊び一日) ・向ザウリ(12月)(遊び一日) ・鬼餅(12月)(遊び一日)



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       ▲銘刈家(字伊是名)  

【勢理客】

  


【四か字(ムラ)の神アサギ】

 伊是名・伊平屋の神アサギはヒヤなど村の旧家の屋敷内に置かれている。山原の神アサギは主に集落の中心部、そこで村踊りが行われる。またグスクやウタキ内に置かれる。旧家の屋敷内に置かれるのは山原とは異なった特徴である。茅葺き屋根の軒の低いのは、かつての山原の神アサギと同様である(ただし、現在は赤瓦、セメント瓦、コンクリートなどになっている)。

 
   ▲諸見の神アサギ(諸見ヒヤの屋敷)         ▲伊是名の神アサギ(伊是名ヒヤの屋敷)

 
    ▲仲田の神アサギ(仲田のヒヤの屋敷?)   ▲勢理客の神アサギ(勢理客のヒヤの屋敷?)


(工事中)