湧泉(カー・ハー)散歩

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 ちょっと一息、一休み。頭休めたら。そうしよう。水辺に立ち止まって水に手を浸し・・・・・。ここでは水の湧きでてくる場所をカーやハーというが、水を使い拝みにやってきた人々。そしてカーが使われていた時代に生きた方々の声を聴く。現在の風景を目にしているのだが、電気やガスや車のない何百年という歳月を遡っている。その時代の生活空間を肌で感じ取る・・・・。

 今帰仁村内のカーのほとんどがコンクリートが張られている。石積みのカーの方が魅力的だしホッとする。これからのカーの整備は、飲料水や洗濯などの利用ではなく、灌漑用水と産水や若水とり、そして休まりの場として考えるべきであろう。カーに日々立ってみると、どんなカーでなければならないか、答えが自ずと見えてくる。しかし、答えは一つではないということも。また、カーの数だけ個性を見い出していきたい。ひとり一人の個性を見い出していくように…

 どんなカーと出逢えるのか、日々楽しみじゃ・・・・。もっともっと人のいるカーと出会いたいのだが。その時間ではね。それだけ使われていないということでもある。




50.名護市真喜屋のヌルガー
49.名護市安部のクバガー
48.東村慶佐次のムラガー

47本部町北里のキジキナガー

46.名護市(旧羽地村)親川のウェーガー
45.名護市(旧羽村)振慶名のニガミガー
44.恩納村谷茶のウドゥンガー
43.今泊のクビリガー

42.名護市(旧羽地村)古我知のシトシンガー

41.今泊のマチンチャガー
40.仲尾次のイリガー
39.本部町渡久地のワリガー

38.勢理客のカー

37.謝名のイビガー
36.運天のミートゥガー

35.仲尾次のメーガー
34.本部町浜元のアサギガー
33.本部町備瀬のシリガー
32.本部町備瀬のミーガー
31.崎山のイリガー
30.名護市(旧羽地村)仲尾のカー

29.崎山のメンスガー
28.名護市大浦のウプガー
27.与那嶺のペーフガー
26.上運天のアナガガー
25.上運天のアサトガー
24.越地のフイジガー

23.兼次のウイヌハー(上の河)
22.本部町具志堅のフプガー
21.今泊の親川(エーガー)
20.名護市饒平名(ヨヘナ)のシマヌハー
19.今帰仁村勢理客のヒチャヌハー
18.名護市呉我のビーガーとハミガー
17.本部町東のヒージャガー
16.恩納村恩納のカンジャーガー
15.本部町伊野波のウフワク
14.与那嶺のハーヌクァー
13.玉城(岸本)のソーリガー
12.渡喜仁のピージャーガー
11.運天のウプガー
10.天底のアミスガー
9.勢理客のウイヌハー
8.天底の墾謝堂のカー
7.湧川のムラガー
6.平敷のピシチガー
5.謝名のシカー
4.寒水(玉城)のソーリガー
3.諸志のフプガー
2.崎山のヒチャマガー
1.与那嶺のユナンガー(フプガー)


  
このカーは名護市(旧羽地村)仲尾次のウェーガーマタガー(親川又ガー)


25.上運天のカー(2002.10.31 木) 曇

 
この頃小雨の天気が続いている。小雨であるが朝のカーめぐりはなかなかやめられない。ちょっとした時間であるが、車を降りてカーの側に立ち止まるだけでいい。カーの前に立ち止まったとき、頭の中は全く別のことを考えている場合が多い。どうも、ものを考える時間にしているようだ。
 さて、アサトガーであるが上運天のアサトゥ(安里)集落内にあるカーである。平坦地にあり、水量が多いカーではなさそうだ。周辺の僅かな家々がここを使ったのであろう。カーの側を気持ちよい道が通り、カーの後方に大きなガジマルの老木がある。カーの形はしっかり遺してあり、灌漑用水を引くパイプがある。周辺の人たちの井戸端会議の場になったこともあろう。
   
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    ▲アサトガー湧口          ▲カーの内部の様子


      ▲アサトガーへ通じる道、ガジマルの大木の下にある


24.越地のフイジガー(2002.10.30 水)小雨

 今朝は小雨。越地のフイジガーに寄ってきた。干潮時を狙っての立ち寄りである。フイジガーが二ヵ所あり、ムラの方々はどれをフイジガーと言っているのか。フイジガーについて聞いてみたら、東側のカーはピンクルソージで、西側がフイジガーである。下のウタは、まさしく西側のフイジガーを謡ったウタである。今は石積みで囲われているが、周りの砂浜の至るところから水が湧き出ている。囲われたカ所は砂を担ぎ出すように水が湧き出ていたのであろう。

 越地は昭和12年に謝名と仲宗根から分字したムラである。越地は水の不便な場所で、井戸の深さは13尋もあったという。井戸が掘られる前はフイジガーに水汲みや洗濯しに行った。製糖工場の取水場として利用していたが、今は放置されている。
 炬港(テーミナト)や大井川の下流域でエビやカニや貝、釣りをしての帰りにこんこんと水の湧き出るピンクルソージで手足や顔を洗って家路についたという。
 フイジガーもピンクルソージも水の湧く出る勢いは、今も変わらず、こんこんと湧き出ている。

    越地ガーぬ水や 砂かみてぃ湧ちゅさ
       越地美童ぬ くんだ美らさ

    越地ガーぬ水や 砂かみてぃ湧ちゅさ
      越地美童ぬ 色き美らさ  

@フイジガー
 
    ▲海岸にあり、石積みで囲われたところがフイジガー
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▲フイジガーの内部        ▲フジガーの周辺の砂浜から水が湧き出ている

Aピンクルソージ
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  ▲湧口に石が積まれている      ▲こんこんと湧き出た水は大井川へ

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 ▲湧口から取水している家が一軒  ▲以前使った凹石がある


23.兼次のウイヌハー(2002.10.29 火)曇

 ウイヌハー(上の河)は兼次(カネシ)の山手にある。これまでのカーは集落に近い所に位置するが、ウイヌハーは集落から大分離れた所にある。兼次の旧集落は台地上の古島原にあった。かつて(昭和8年以前)のカーは漆喰や石積みだったが、昭和8年にタンクを敷設したときセメントで囲われてしまった。

 ウイヌハーは兼次の人たちにとって水汲み場として利用されてきたが、昭和8年に五つのタンクをつくり土管で水をひいた。そのため水汲み場としての役割は終えてしまい、タンクへの水源地として利用された。それと香炉があるように水への感謝の祈りの場となっている。
 ウイヌハーが使われていた頃、女性は桶を頭に乗せ、男性は天秤棒で肩にかつぎ、旧正月の早朝は水汲み(若水)で、ウイヌハーへの道は行列をなしたという(『なきじん研究』11号)。ムラ人達の語らいの場でもあった。

 昭和8年につくられた五つのタンクのうち四つが現在残っている。一つは兼次中学校敷地にあったが撤去された。このカーが使われていた時代、タンクの時代、そして家庭に水道が敷かれた時代。水を介したムラの人たちの生活の移り変わりや人と人との結びつきを見ていくことができるハーである。

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  ▲現在のウイヌハー(上の河)          ▲石の香炉

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    ▲第一タンク                 ▲第二タンク
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 ▲第四タンクの蛇口        ▲第五タンクと建立記念碑


22.本部町具志堅のフプガー(2002.10.27 )曇
 
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   ▲本部町具志堅のフプガー     ▲洗濯場や水溜や分水など

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▲フプガーの香炉   ▲フプガーの排水口    ▲カーの中の水草

 しばらくカーめぐりができずにいました(南大東島出張)。今朝は早速本部町の二つのカー散歩をしての出勤。その一つ本部町具志堅のフプガー(大川)。フプガーの下流域は、かつて数段の棚田が広がっていたが、今はサトウキビ畑となっている。湿地に僅かであるが田芋が植えられている。

 具志堅は具志堅・上間・真部の三つの村(ムラ)が合併したようで、フプガー一帯は真部村の集落があった地域のようだ。真部村は具志堅の地に移動してきた村なので、フプガーとの関わりは具志堅村の方が古く、飲料水や産水や若水を汲むカーである。

 以前は三日月形をしていたが、かまぼこ型に改修したという。水の湧き出るところに大きな石を入れてあるという。湧き出る水の勢いが強いので回りの土砂が流されてしまうのだそうだ。丸い分水は洗濯をするときに水を分け合う工夫である。また、いくつもの水の出口をつくり、一度にたくさんの人たちが洗濯できる工夫である。それだけ、カーを利用する人たちがいたのである。古い写真をみると数人が洗濯している場面があったと記憶している。

21.今泊の親川(エーガー)(2002.10.22 水)曇・小雨

 親川はエーガーと呼ばれている。今帰仁グスクへ上るハンタ道の上り口にあるカーである。今帰仁グスクと切っても切れないカーであるし、またグスクの麓の今泊ムラと深い関わりがある。
 ムラの人たちがハーウガミをする場所である。水道が引かれるまではシマの人たちの飲み水を汲むハーであった。その頃エーガーから二本の水路が引かれ下流域の水田を潤していた。旧暦の5月になるとハーウガミ、9〜11月にかけて「今帰仁上り」と遠く中南部から今帰仁グスクへ上る途中、エーガーでお参りをする。
 水が澄み切っていた頃はエビを取り、水浴びをしたりした。時には大きなウナギが姿をみせ、びっくりしたという。ムラの人たちの洗濯の場でもあった。凹石があり洗面器代わりに使い、髪洗に使える赤土が近くにあり髪洗い粉にしたようだ(『今泊誌』)。

 歴史文化センターから近いカーの一つで、たびたび訪れる。今帰仁グスクへ上がる旧道のハンタ道が側を通り、今帰仁グスクが機能していた時代、あるいは大正時代に車の通る道ができるまで主要道路として使われていた。今帰仁グスクを訪れる人たちは、このエーガーで手足を洗い清め、また汗をふいてグスクに上って行った歴史の道でもある。下流域の水田を潤し、今帰仁グスクの歴史を見つめ続けてきたカーに違いない。


▲エーガーの様子(昭和26年)     ▲平成4年のエーガー

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      ▲エーガーの下流のミジパイで洗濯やイモ洗い(昭和27年頃)


20.名護市饒平名のシマヌハー(2002.10.21 月)曇

 休日はちょっと遠出する。朝に行くところは、ハーの場所が大体わかっているところ。見つける時間がないので。ハー探しは簡単のようで、時々「あれ!あれ!」と迷ってしまうことたびたび。途中集落に入り、ハーがありそうだなと直感で見つけることが多い。それがあたった時は、嬉しいですね。
 三時頃から旧羽地村(現在名護市)の伊差川(イサガワ)・振慶名(ブリキナ)・川上などの字(ムラ)を通りぬけ、屋我地島まで。屋我(ヤガ)や済井出(スムイデ)などを歩き、饒平名(ヨヘナ)まで。いくつもハーをみつけながらのゆったり散歩である。
 今日の紹介は饒平名(ヨヘナ)のシマヌハーである。ムラの方々はシマヌハーから正月の若水や新水を汲んだという。近くにアミンガーやハンジャガーがあるようだが、見つけることができなかった。
 シマヌハーは昭和58年に今の形に整備したようだ。コンクリートで囲い危険防止の柵までしっかりと。屋我地小学校の4年の比嘉くんと1年生の高山君の二人が話しかけてきた。また、写真には写ってないが学校帰りの小学生達がVサイン。かつて学校帰りや通りすがらハーに手足を浸したり、エビなどを捕まえている風景が浮かぶ。
 前方の三つのホールは1mほどで水に手が届く。掘り込んだ井戸ではなく、土管を埋めたものである。コンクリートのハーの中に石積みがあり、また線香も置いてある。ムラ人がこのハーを使ったり拝みにきたりている痕跡を御嶽の麓にあるシマヌハーにみることができる。

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▲小学4年と1年生の二人           ▲ハーの側に線香が・・・.
▲三つの土管の中の水まで約1m

19.今帰仁村勢理客のヒチャヌハー(2002.10.20 )晴

  勢理客のヒチャヌハー(下の湧泉)はウイヌハー(上の湧泉)に対しての呼び方である。正面右側に「一九五八年旧拾月弐拾五日竣工」とあり、現在の形はその時の修復ということになる。敷石や周辺に石積みが見え、かつては石積みのカーだったのであろう。水溜めはコンクリート製である。石の香炉も置かれている。
 カーの側に池がありターイユー(フナ)がいて、子供たちがカゼをひくとフナをとってお汁にしてあげたという。また馬などを浴びせる場所でもあったという。今は埋められ糸をとる芭蕉が植えられている。
 
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 ▲勢理客のヒチャヌハー       ▲ヒチャヌハーの正面から


▲コンクリートで出来た水溜      ▲香 炉


18.名護市呉我のビーガーとハミガー(2002.10.20 )晴

 旧羽地村回りのコースを取っての出勤である。いつもより30分ほど早い出勤時刻なので数ヵ所は回れるのではと、ちょっと欲張ってみた。我部祖河のカーを見つけることができず、呉我の方へと向かった(矢張り欲張りはいけません)。

 呉我の集落の東側(ウプシマ)にビーガーとハミガーが並んである。向かって左側がビーガー、右側がハミガーである。ビーガーは半円形をなし、円形部分は石積み、前の方はコンクリートになっている。湧き出す水量は少ないようだ。、ハミガーはウプシマ集落の西側から移されてきたようで、水の利用というより祭祀の場になっている。
 その前方にビーダーがありハミダー(神田)ともいう。今は放置されたままになっているが、以前、稲が植えられていた)。ハミガーには二つの凹石があり、神が神を洗う器に使ったという。また旧地の呉我山から持ってきたと伝えられている。
 呉我村は1736年に今帰仁間切(現在の今帰仁村呉我山)から移動してきた村である。

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▲呉我のビーガー(奥)とハミガー       ▲呉我のビーガー
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 ▲ハミガーの水溜め用の凹石(二つあり)  ▲カー前方にある神田の跡


17.本部町東のヒージャーガー(2002.10.19 土)

 石垣市から帰り、さあ出勤。研修会で本部町立博物館のK氏から本部町の東にヒージャガーがあることを教えてもらった。雨であるが、やはり足はそこへ向いている。名からするとヒー(ピー、樋)のあるカーだと予測できる。
 このカーのある場所は崖下に位置し、近年崖崩れがあったのであろうか、それとも崩れかかった場所があったので大規模な工事がなされたのであろうか。近所のおばあが雨の中、そして早朝から土のついた葉野菜を洗っていた。残念ながら雨の中立ち止めて話を伺うわけにはいきませんね。カーを使っている人の姿が見れただけでも・・・。

 正面の上の方に「ひいさあか」とあり、ヒージャガーのことである。また「本部校創立五十周年昭和七年・・・」とある。明治34年頃渡久地にあった学校を東(現在の本部町役場敷地)に移動している。ヒージャガーは学校の近くにあり利用したであろう。
 湧泉にコンクリートで囲った水溜があり、そこに三つのヒー(樋)あがありカー名はそれに由来するのであろう。昭和七年以前にもヒーがあったかもしれない。
 今では周辺の人たちが野菜を洗ったり庭の鉢物に散水するのに使っている。今朝、雨の中葉野菜を洗って帰るおばあの姿と昨晩捕ったであろうネズミが捕り機の中で静かに寝ていた。ウートウトゥ

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            ▲本部町東のヒージャガー    

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▲三ヶ所に小さなヒー(樋)がある      ▲創立記念碑


16.恩納村恩納のカンジャガー(2002.10.15 火) 晴

 恩納は恩納村の中央部に位置し、役場や郵便局などがある。その恩納にカンジャガー(村指定)がある。カンジャーは鍛冶屋のこと。鍛冶屋の傍にあったカーなのだろう。付近にはカーが数ヵ所にある。

 水道の検針をされているおばさんに声をかけてみた。すると、「付近にはたくさんありますよ」「反対側の酒屋さんの隣にも・・・」と親切に教えてもらった。付近を歩いてみると坂の途中にカーがあり、付近の人たちが家の近いところのカーを使っていたことがわかる。また集落の南斜面に集落が発達しており、旧集落の形態が見えてくる。
 付近のどのカーも危険防止のために、しっかりと鍵をかけたトビラがつけられている。危険防止も必要だろうが、使うことも大事だろう。残すことと引き換えにトビラをつけたということなのか。

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    ▲恩納村恩納のカンジャガー       ▲水が湧き出ている場所
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        ▲カーの内部                ▲水溜や洗物に使う


15.本部町伊野波のウフワク(2002.10.15 月) 晴

 休日のため本部町伊野波のウフワクまで足を運んでみた。ウフワクのウフは「大きな」や「りっぱな」などの意。ワクは水が湧き出る所。「大きな湧口」のこと。名の示すとおり水量の多い湧水のでる場所がある。それだけでなく周辺は水道の蛇口を開放したように水が、あちこちから出ている。 
 
 (工事中)

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▲川沿いは水道の蛇口みたい      ▲水が流れぱなっし。おおー

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▲自然の洗濯機      ▲川沿い至るところから放水

14.与那嶺のハーヌクァー(2002.10.13 日)晴

 
与那嶺(ヨナミネ)は今帰仁村の西側の字(アザ)の一つ。与那嶺には代表的なユナンガー(NO 1)がある。そのほかにペーフガーやアシダガーなどがある。ハーヌクヮーのクヮーは「小さな」や「子供」といった意味。小さな湧泉や子の湧泉ということ。与那嶺では一番新しいカーのようだ。全面の幅が約2m。深さ270cm。周辺は切り石で囲まれている。飲料水としての利用はなかったようだ。

 徹夜状態での出勤だったので、思いついたのがハーヌクァーであった。傍に小さな森があり、一本の大木があったが今回の台風16号で倒れていた。森と接してハーがある。周辺は石とセメントで作られ、上部は危険防止のため三枚のコンクリート板で閉じられている。ほとんど水が汲みだされいないため淀んでいる。

 低地にあり森や周辺に降った雨が湧き出しているようだ。水が湧き出ているというより水が溜まっている様子。梅雨時には水位が高くなり旱魃がつづくと低くなるという。そこにも石のしっかりした香炉が置かれている。

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 ▲この森の右手にハーがある   ▲回りは切石、上部はコンクリート

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▲正面の左側に石の香炉がある     ▲ハーの内部の様子


13.玉城(岸本)のソーリガー(2002.10.12 土)晴

 岸本のソーリガーを行く。岸本は現在の玉城に合併吸収された村である。明治36年に玉城・岸本・寒水の三カ村が合併した。岸本はその村名である。岸本村の人たちが坂道を上り下りしながら利用していたカーである。岸本の集落は標高30mの台地上にあり、カーは集落の下の方に位置する。
 今朝は、ソーリガーへ二度も。出勤途中に立ち寄ったのだがデジカメを忘れてしまい、職場からカメラを引っさげて再び。ラッキー。二度もカーに立ち寄れたもの。負け惜しみだな。ハハ

 近くに寒水のソ−リガーがあり、ソーリは清水(ソーズ)に由来するようだ。岸本のソーリガーは北部製糖工場の取水場となっている。村内でも有数の水量を誇り、仲宗根のマチの中を通り大井川へと注いでいる。
 大分整備がなされている。ただ、拝所が金網沿いに行かなければならない。危険防止も大切だがもっと近づきやすい工夫が必要だ。バンが池を一羽ですいすいと泳いでいる。

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 ▲整備された岸本のソーリガー    ▲まだお参りに...

  ▲拝む場所に香炉      ▲流れ行く水は大井川へ


12.渡喜仁のピージャーガー(2002.10.11 金)晴
  
 
渡喜仁の集落は台地上に発達している。昭和15年に勢理客や上運天などから分字(アザ)した。勢理客の元字からは、不便な土地とされ、集落内に住むことが許されなかった首里や那覇、久米あたりから寄留してきた人たちが集落を形成している。

 渡喜仁にあるカーはピージャーガーやヒージャーガーと呼ばれる。土地の人たちはピー、寄留人はヒーと発音する。ピーはヒーは樋(トイ)のこと。ジャーもカーも湧泉のこと。樋のある湧泉。ピージャーガーは海岸に面し、台地の麓から水が湧き出している。150余りの階段を上り下りしなければならない。それも集落から離れた場所に位置している。渡喜仁は水の便が著しく悪いのであるが、人々はそれでもこの地に住まざるえなかった社会状況だったのであろう。

 
今ではコンクリートの階段になっているが、以前はすべり落ちそうな急な坂道だったという。朝夕、水汲みをしていたら鍛えられそう。階段を上りきったところで、ホッ。振り向くとウッパマ(大浜)の砂浜が朝の逆光で自然が描き出した絵になっていた。

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湧きでた水が樋(ピー)から流れ落ちる

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▲150余りの階段を上り下り    ▲水は海へと注ぐ


11.運天のウプガー(2002.10.10 木)(曇)

 
運天(ウンテン)は今帰仁村の東側の字。大正5年まで今帰仁村の役場があったムラ。源為朝の琉球渡来伝説のムラ。オモロで「うむてん つけて こみなと つけて」と謡われる。自然の良港としてしられる。近くにトンネルがあり、また歴史的な墓のある地域である。曇り空、朝の三十分ほどウプガーを散歩してみた。下流域の畑は、かつて苗代だったという。湧口の土管は明治後半、船に積み込む水タンクへの送水管である。ウプガーのすぐ傍に井戸もある。

 運天港近くの集落はムラウチと呼ばれ、ウプガー(大川)は周辺の人たちの生活用水として使われたカーである。飲料水としては適していなかったようだ。コンクリートが張られたのは「一九六三年秋」のようだ。「大川泉神」の碑が建立されている。

ウプガーから流れ出るカー筋にやんわりとした土の畑がある。かつて苗代のあったところで、その面影が土地の区割りにわずかであるがみることができる。朝の早い時間に訪ねたので、いつものおばあ達の姿はなかった。ウプガーの傍の細い道筋を通り、お年寄りが畑に向かう姿がいい。ゆったりとした時間の流れにひたることができる場所だ。贅沢だな…。長い長い、人が歩んできた旧暦でのサイクルと時間の流れ…。身に染み付いている旧暦のサイクルの琴線が弾かれた思い…
 
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  ▲運天のウプガー          ▲運天のウプガー
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 ▲下流域の畑と運天港       ▲湧口の土管

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 ▲洗濯などに使った段     ▲隣接してある井戸の内部


10.天底のアミスガー(2002.10.9 水)〔曇雨〕

                           
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  ▲天底(アミス)ガー   ▲昭和30年のアミスガーの様子

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▲アミスガーの傍の拝所   ▲アミスガーへの道

 天底(アメソコ)は今帰仁村の東部の字(アザ)の一つでアミスクやアミスと呼ばれている。カーは天底の旧集落(神アサギ・ヌルドゥンチ跡・ニガミヤー跡)の近くにあり、ムラの人たちにとって欠かすことのできないカーであった。また、アミスガーには淡水の藻(シマチスジノリ)が生息し12月から4月頃にかけて姿をみせる。数センチまで成長するが、住んでいる魚に食べられるのか姿を消してしまう。

 アミスガーに淡水の藻(シマチスジノリ)が生息しているため県の文化財に指定されている。シマは地元や土地のこと、チスジは血管のこと。色と形が血管に似ていることに由来する。ノリの発見は昭和6年に大城長二郎訓導が学会に報告したことで注目される。

 アミスガーの入口に「水神」などの碑が立っている。本来湧泉に対してのハー拝みや若水や産水などの拝みは、集落が形成されてからムラの人々が飲料水は生活用水に使ってきた。それに対する感謝の意と見た方がよさそうである。


9.勢理客のウイヌハー(2002.10.7 火)〔雨〕
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  ▲正面からみたハー     ▲洗面器代わりの凹石

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 ▲芋洗いや洗濯に使ったのコンクリート製水溜とハーの遠景

 久しぶりの雨。雨降りは雨降りのカーの姿があるはずだ。雨に濡れながら水を汲んだり、洗い物をしたであろう。そんな人々の過去の声に少しでも触れることができれば…

 勢理客(せりきゃく)はジッチャクと呼び今帰仁村の東側のムラ(アザ)の一つ。ウイヌハー(上の湧泉)とヒチャヌハー(下の湧泉)がある。今朝訪ねたのはウイヌハー。久しぶりに雨が降っている。天底小学校に出校する子供たちを乗せた車が何台も通り過ぎていく。


 勢理客のウイヌハーは集落の上の部分に位置することに由来する。近くに御嶽・神アサギ・ヌルドゥンチ(勢理客ノロ)跡・ムラヤー(公民館)・獅子小屋などがあり、集落の中心となった地域である。一帯の人たちの使ったカーである。

 勢理客のウイヌハーの正面の右側に「一九五一年七月二五日」とあり、今の形は戦後造られたものである。現在は二、三本のホースが引かれ、僅かであるが灌漑用水に使われている。カーの前にコンクリート製の水溜があり、それで芋を洗ったり、洗濯をしたりしたという。また凹石が角に置かれ、髪を洗うのに使ったものである。それらを見ると戦前や戦後10年ばかり、このカーを使った人々の声や茅葺屋根であった周辺の風景が、傘に落ちる雨音と一緒に浮かんでくる。


8.天底のクンジャドーのカー(2002.10.6 日)〔晴〕

 
天底(アメソコ)はアミスやアミスクなどと呼ぶ、今帰仁村の東側のムラ・シマ(字)の一つである。天底にはアミスガーがあり旧集落のウプガーにあたる。クンジャドー(墾謝堂)は天底の旧集落から離れてヤードゥイ(屋取・寄留)集落である。そのヤードゥ集落のクンジャドーの方々が利用したカーである。国道505号線から見える位置にある。車から何だろう?井戸かな?新しいな?などと思いつつ眺めていたカーであった。コンクリートづくりであるが、いい感じのカーであるな・・・・

 タンクの正面に「墾謝堂簡易給水共同井戸 昭和九年三月竣工」とある。タンクにガランや手洗い、そして洗濯場などを設けモダンな設計と機能的なつくりとなっている。さらにタンクへの水が涸れるとそばの井戸の水を利用することも考えているようだ。井戸は人工的に掘りこんであり、内部は石積みとなっている。カーから集落まで200〜300mあり、二本の道が通っている。井戸の方から水をくみ上げ灌漑用水に使っている。
 カーへの入り口にもう一つのカーがあるが、今では涸れている。そこには線香をおく香炉が設置され、線香や紙銭が置かれ今でも拝んでいる方がいる。

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  ▲クンジャドーのカーと井戸          ▲掘り込んだ井戸

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  ▲井戸の内部(石積み)    ▲手洗い場所      ▲拝む場所 

7.湧川のムラガー(2000.10.5 土)〔晴〕

 
他の機関は土日は休日。歴文は土日開館のため職員は交代で休み。月曜日は堂々と休み。しかし休日気分にはなれない。ところが土日は何故か休日気分。そのため、今朝は通勤路から逆の方(今帰仁村の東にある字)にある湧川のムラガーに行ってきた。ムラは今の字(アザ)にあたる。明治41年にこれまでの村(ムラ)が字(アザ)になる。間切(マギリ)が村(ソン)に改称された。今帰仁間切湧川村が今帰仁村字湧川となり今に続く。

 コンクリートづくりのタンクになっている。正面の上に右から「湧川」とあり、右側に「簡易給水共同井戸」とある。水の湧口はタンクの後方にあり、水がタンクに注いでいる。一帯に陸カニ(赤やオレンジ色)の巣穴がいくつもあり、近づくと逃げ込んでしまった。
 旧暦七月最後に亥の日にワラビミチ(童御酒)が行われる。昭和30年代からウプユミと一緒に行っている。ムラガーでのウガミはワラビミチの「子孫繁盛と子供の健康祈願」の祈りだという。産水(ウブミジ)をとって水撫(ミヂナデー)をする。その後、神人たちは神アサギに行き神遊びをする。
 湧川のムラガーは各門中の五月のハーウガミもあるが、ワラビミチのときの水撫での祭祀の場でもある。


   

   
▲湧川のムラガーのタンク   ▲水落ちに草花


 ▲湧口での拝み(平成4.8.27)フプユミ・ワラビミチの時


6.平敷のピシチガー(2002.10.4 金)〔晴〕

 平敷泉ぬ水や 石かみてぃ湧ちゅさ
   平敷美童ぬ 思い深さ
 (ピシチガーの水は湧き口を石で押さえるほどに湧い
  てくる。まるで平敷乙女の思いの深さのように)


 ▲平敷湧泉(ピシチガー)     ▲ピシチガーの湧口


▲灌漑用水をあげるエンジン ▲傍に赤木の大木  ▲カーの香炉

 
このウタをひっさげて平敷湧泉(ピシチガー)にいく。出勤途中、国道505号線沿いをちょっとはいたところ。国道505号線沿いと使うと、ちょっとかっこいいカナ。かっこいいカイ(アホ〜と声が飛んできそうじゃ)。ピチシは平敷(ヘシキ)の方言での呼び方。

 さて、ピシチガーであるが今帰仁村の中央部にある字平敷にあるカーである。ウタに歌われほど水量があるのかな。水が豊富だったのは過去のことではないかな、などと…
 これまでピシチガーの下流には行ったことがある。倒れた木々をくぐりながら。もっと上流部分ではないのかなと思い、おもいっきり上流部の方に足を進めてみた。ありました。ありました。そこがウタに歌われたピシチガーなのだ。なるほど。
 今日は一日、何か高額の宝くじがあった気分(300円以上は当たったことありません)。「ピシチガー行ったことあるか?」「いいカーだぞ」と誇らしく自慢している。今では洗濯や水汲み使われることはないので、訪れる童女(ミヤラビ)の姿はないが…。この画像をみて訪れる「思いの深いミヤラビの姿」があるかもしれない。あるいは昔のミヤラビの姿も…

 水量が多いこともあり、特に花(菊)栽培の灌漑用水に使われている。エンジンが10台も置かれている。回りの段になった縁で洗濯をしたのであろうか。
  

5.謝名のシカー(2002.10.3 木)〔曇〕

 

  
   ▲謝名のシカー      ▲シカーの入口の香炉

  ▲湧泉にある凹石    ▲今でもある竹林

 いつもの通り、今帰仁村中部の謝名にあるシカーを訪ねてみた。そこは私にとって今につながる原風景を体験した場所でもある。朝のちょっとした時間寄って立ち止まってみた。台風の後なので、かつての記憶に残る鬱蒼とした雰囲気ではなく、明るかった。そこには30年から40年前のかすかな記憶によみがえらせてくれる石積みや香炉や凹石、そして辛うじて竹林が残っていた。
 シカーに来て喉を潤したり、凹石で鎌やナタなどを砥いで草刈や竹や薪取りへと山にはいった。凹石に仏葬華やさつまいもの葉をいれて、グチャグチャにし、それで髪を洗う洗剤やリンス代わりに使っていたという。

 謝名のウプシマ集落からシカーまで約400mあるだろうか。途中に前田原があり、昭和30年代まで水田が広がっていた。水道が引かれる前はウプシマの人たちの水汲み場であった。今でもハーウガミにムラ人達はやってくる。簡易水道が引かれた後も旱魃の時には、そこまでシチタンバクをかつでヨタヨタ水を汲んだ記憶ある。また、ハーウガミの時は一門揃って訪れ拝みをしたものだ。今でも行われている。

 シカーのカーはハーと同様湧泉のこと。シが何かということになるのだが。シは木の精のセイ(シ)ならば木の精のいるカーということになるのだか…。シマの大先輩方の話では、シカーには大きなウナギがいて、それは神さまだそうだ。 


4.玉城(寒水)のソーリガー(2002.10.2 水)〔晴〕


▲ソーリガーへの足跡の残る道筋 ▲コンクリートづくり
湧口


 ▲記念碑   ▲ハー拝みの香炉   ▲清水が流れている   

 
玉城は明治36年に玉城・岸本・寒水の三つの村(ムラ)が合併した。ソーリはその中の一つ寒水村のこと。ソーリは清水(ソーズ)からきた呼び方のようだ。寒水村のことをソーリやカンスイ、あるいはパーマともいう。三つの呼び方があり、パーマは浜に由来するようだ。明治17年頃からマチが発達したが、マチは明治30年代に仲宗根に移るという歴史がある。

 今朝はソーリガーに立ち寄ってみた。隣接して高い煙突を持つ製糖工場がある。各家庭に水道が引かれるようになると、必要としないカーなのであるが、永年(一代二代ではない。何代も)使ってきたカーへ拝みは身にしみついた経験がそうさせるのであろうか。今でもカーへ拝みに通っている人たちの足跡が道筋として残っている。
 カーはコンクリートで囲われている。
 後ろに三つに折れた「(紀元ニ?)千六百年改築記念碑 寒水組一同」の碑があり、二千の二部分が欠落しているようだ。紀元二千六百年は昭和15年。沖縄も日本に組み込まれていった時代の痕跡が記念碑に刻まれている。
 カーを歩いてみると、カーの清らかな流れは留まることなく流れている。人の歴史は…


3.諸志のフプガー(2002.10.1 火)〔晴〕


  ▲フプガーのある諸志の御嶽(ウタキ)


   ▲「一九五七年十二月二六日 修築」とある

 
今帰仁村字諸志の御嶽(ウタキ)の中にあるハー(湧泉)でウプガーと呼んでいる。朝の出勤途中立ち寄ってみた。ここは諸志植物群落(国指定文化財)となっていて、亜熱帯地方の灰岩の上に極相状態に発達した植物群落である。本来鬱蒼と茂った植物群落で薄暗いのだが、台風16号で大清掃された後なので日が射し明るい。
 
御嶽の中を通っている道はスクミチ(宿道)と呼び王府時代を偲ばせる道路である。スクミチを往来した人たちがウプガーで喉を潤したり、あるいは手足を浸し、ひと時暑さを忘れたに違いない。現在、国道505号線が御嶽の北側を通り、そこは植物群落がトンネルをなしている。
 ウプガーの名称は諸志(諸喜田村と志慶真村が合併)の人々との関わりで名付けられた名称である。ウプガーはムラ・シマの人々の大事なカー、そのため親川と表記されることもある。どのムラ・シマでも行われるハーウガミ(湧泉拝み)は、ここでも同様に行われる。また若水や産水を汲んだカーでもある。カーの建物には「一九五七年十二月二六年 修築」とあり、整備したことが記録されている。建物の後ろに、そっと線香を置く石の香炉が置かれている。先月、近くにある神ハサギミャー(広場)で豊年祭が行われた。ウプガーの水の神に対するウガンも行われたでしょう。秋の気配を感ずる御嶽、気持ちよい水の冷たさであった。水の湧口には、最近拝みをしたのであろうか、ダンボールが敷かれている。


2.崎山の崎山湧泉(ヒチャマガー)(2002.9.29 日)〔晴〕

   
   ▲崎山集落の東の入口       ▲現在のヒチャマガー
  
    
 
 ▲ヒチャマガーの内部     ▲水汲みに使った容器


 
いつもより早めに家を出た。途中カーに立ち寄るため。どのカーに行くかは考えずに家をでた。車中数カ所のカーが浮かんでいたが、どれもかつての姿が幾分残している。もちろんそのようなカーも訪ねるのだが・・・。時々崎山のカーの傍を通るのだが、車を降りて傍までいって声をかけたことがない。よし、行って見るぞ!

 カーは崎山(方言でヒチャマ)の集落の東外れにある。近くの小学校は今日が運動会である。早々といい席をとるためか、おじいおばあの姿がチラホラ。
 崎山の集落は松の大木、そして屋敷は福木で囲まれ長閑である。ここのカーは井戸に似た形をしている!???である。掘り込んだこのような形の井戸はチンジャ(ガー)と呼んでいる。でも「崎山泉(ヒチャマガー)」の碑が建っている。井戸(チンジャ)の形はしているが名はヒチャマガーである。それは掘り込みの井戸ではないことを意味している。井戸みたいな形になったのは、一帯が土地改良で埋められてためである。4、5m埋めたため、かつてのカーも埋められる運命にあった。しかしムラができてこのカーを飲料水や生活用水として何百年も使ってきたので残さねばと。コンクリートの管にしてしまったのだ。ムラの人たちはコンクリートにはしてしまったが、このように残してくれたのである。
 
 ムラの人たちは旧正月の若水や子供が生まれると産水(ウブミズ)にこのカーの水を汲んで使ったという。今でも旧暦の五月五日のカーウガミ、さらに五月十五日のウマチーには各門中が集ってウガンをする風景が見られる。下の三枚目の写真は岡本太郎のではありません。カーの水面(鏡)に写った私の顔です。子供たちが学校帰りに遊んだのだろうか。紐でゆわえたビンやペットボトルが置かれている。それが今の姿であるが、子供たちの声が今にも聞こえてきそうである。
 数メートル下の方に、かつての一帯が水田であり、あぜ道でカエルやバッタを追い、フナやカニを捕まえ、たまにはハブと出逢う風景が浮かんでくる。

 カーでボーとしていると、朝早くから農作業をしていた70歳代のおばあが近づいてきた。
   「このカー使ったことありますか?」
   「うん、アガリガー(東のカー)と言ってよ。担いでみんな
    水汲んでたさ」
   「台風で大変だったですね。ハウス・・・」
   「片付けてさ。これからゴーヤー植えるところ」
   「むかしはよ、このへん木がボウブウだったさ。だから
    水がサラサラ流れていたさ。だー、ナマ(今)は・・・」
と、おばあの最後の一言。ガーンと衝撃がはしった・・・・・・。


.与那嶺のユナンガー(フプガー)2002.9.28 土)〔晴〕


▲与那嶺のユナンガー            ▲水草(クレソン?)


▲平線香(ヒラウコー)     ▲石積みの間から水が…      

 与那嶺のユナンガー(与那嶺ガー)、別名フプガー(大川や親川)に立ち寄ってみた。ユナンガーは豊原に位置し、道を隔てた反対側はナハガーラが流れる。一帯は前田原で、周辺は地名の示す通り水田地帯であった。湧泉をハーやカーという。
 
 ユナンガーは二つに分けられ、一方は飲料水を汲むところ。他方は洗濯したり水浴びをした所である。特に与那嶺の後原の人たちが使った。水田が広がっていたころ(昭和40年頃)は水量が多くハミガー(神河)として拝まれていた。線香が置かれ(火をつけない)現在でも拝みにくる方がいるようだ。周辺は畑である。今ではカーの水はキクや野菜などの灌漑用水に使われ、パイプが何本も引かれている。
 また、手前の方に製糖に使った木造のサーターグルマの台木を次使う時まで水に漬けて置いた(乾燥しひび割れしないようにと)。都合よくそれを洗濯板や腰掛に利用していたという(『与那嶺誌』)。
 旧暦の五月五日にはハーウガミ(河拝み)と言って与那嶺のそれぞれの一門揃って拝むハー(カー)である。そのためフプガー(大事な河)の名称が付いている。写真は本日なり。
 このユナンガー一帯は水田が広がり、初夏には稲穂が黄金色に・・・