名護市真喜屋

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 名護市真喜屋は旧羽地村(羽地間切)のムラの一つである。近世の史料をみていると羽地間切で水田の石高が一位を占めている。羽地間切は琉球国の米どころとして知られていた。羽地間切に四津口(那覇港・湖瓶底・運天港・勘定納港)の一つ勘定納港が羽地内海に面した仲尾にある。運天港と勘定納港が近くにあるのは、羽地間切の米の生産量が多かったからに違いない。前田・真美田・仲田・平田などの小字(コアザ)は、地名の示すとおり水田が広がっていた地域である。

 昭和初期の真喜屋の神アサギである。「山原の土俗」所収の写真の一枚で島袋源七氏撮影。琉球大学図書館に「島袋源七文庫」の中に真喜屋・稲嶺に関わる風水史料がある。その中の一つの『風水御見分日記』(明治j21年)に「阿しやけ之儀当分向ニ而不宜候間後年作替之砌未下向候様被仰付候事」とある。

 真喜屋を訪ねる前に昭和30年代の二枚の図を何度も描いてみた(一枚が真喜屋要図)。水田地帯や旧集落・御嶽・拝所などを確認しておいた。昭和30年代でも小川徹先生は変貌をきたしており調査は困難だとこぼしている。それから、さらに40年という歳月が経っているのであるから、近世末や明治期の真喜屋村を忠実に復元することは不可能に近いのかもしれない。そうではあるが、遺された場所や道筋や御嶽などを通して見ていくことにしよう。

 真喜屋も例に漏れず真喜屋ダムの建設で神アサギや公民館、集落周辺の道路など大きく変貌してしまった。まだ変わりつつある。変わるのは世の常であるが、車に乗ったスピードや目の高さでなく、歩く速さや目の高さで、特に集落内の整備はして欲しいものだ。
 ウイヌウタキ(上の御嶽)やヌルドゥンチ、アサギ、神アサギ、神道、掟火神、つるかみ(拝所)、集落内のカー、ヌルガー、ウインカガー、アハチャビ、ウペーフ、ニガミウガンなど、かつての集落形態をしる手がかりが遺されている。しかし、それらの役割は、稲作が行われなくなったことで急速に衰退し、形骸化してしまっている。生業や生活と結びついた祭祀儀礼であったのが、長い間行われたきた伝統として引き継がれている。上に掲げた拝所は、下図のように水田の広がる生活空間で生かされてきたものである。
 
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工事中

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神アサギミャーから眺めた真喜屋の集落  ▲ウイヌウタキへの参拝道



▲真喜屋の要図
(昭和37年頃)「羽地村真喜屋の社会誌的研究」小川徹より
   凡例  
…集落 …畑  …田 …山林


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▲神アサギやアサギミャーは最近整備     ▲新しい方の神道

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 ▲ヌルドゥンチ(昭和56年竣工)          ▲ノロドゥンチ内の火神

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   ▲ウッチ火神の祠(北に向く)      ▲集落内を流れる水路

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    ▲集落内にあるカー             ▲根神拝とウペフ拝(平成11年)

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  ▲アハチャビにある香炉(北向き) ▲アハチャビで遊ぶ子供達(元旦)

■ないくみ殿内
 神アサギ(アサギミャー)の傍にあり「ないくみ殿内」とある。1971年新築(移転)と記されている。そこはメークミ殿内や上殿内とあるのと同一とみられる。また、『風水御見分日記』(明治21年)(島袋源七文庫)の真喜屋村にでてくる「内くもひ屋」も「ないくみ殿内」であろう。
 「ないくみ殿内」の中に図像が飾られ、位牌もある。図像には「今帰仁城北山 長男 羽地按司当名」とある。図そのものは大和武士である。位牌には「真喜屋子 一世羽地按司 二世上地大屋子」、下段には上段の三名の「ヲナジャラ」とあり、それぞれの奥方ということなのであろう。この位牌や図像についての伝承を聞いてみたいと思う。

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   ▲「ないくみ殿内」の祠にある位牌と羽地按司の図像