本部町渡久地

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   ▲本部町渡久地の位置図

(工事中)

 渡久地村(現在は本部町渡久地)は『琉球国高究帳』(17世紀中頃)に登場せず、『琉球国由来記』(1713年)には渡久地村と登場してくる。隣接する村に具志川村があり、具志川村は後に村名が消えていく。渡久地村は具志川村から分離したため『琉球国由来記』当時神アサギを持たず、具志川ノロ管轄の村だった。ところが近世末になると具志川村は渡久地村の方に吸収され具志川村は消えた。そのため神アサギは渡久地村地内に残り今に至っているのであろう。
 渡久地村は本部間切の村の一つである。本部町のマチ的景観を持つ唯一の字(アザ)である。マチの発展は渡久地港と関わりがあり、明治以降マチとして発達したにちがいない。

 沖縄本島北部の本部半島西海岸、満名川の河口に位置する地方港湾である。方言ではトゥグチミナトゥといい、南岸に本部町の中心地渡久地のマチがある。湾口広く、また奥行も約1kmと深く、北と南の丘陵で風を防ぐ良港をなし、古くから中国や薩摩を往来する避難港として利用された。近世にも沖縄本島北部の各地域ならびに離島と那覇を結ぶ航路の中継地点として機能してきた。記録に「渡久地は古来より山原船の停泊地であり、近年汽船の回航や石油発動船の往来が頻繁である。ここより伊江島伊平屋行きの船便がある。渡久地は東の方の満名川流域の低地として、離れた伊野波の平地に連なり、後方は地勢が急で辺名地を負い、西側の港の外には瀬底、水納の二つの島と伊江島が横たわって、あたかも内海のごとき景観で、夜景が最も美しい」(『沖縄県国頭郡志』 410頁)とある。

 1853(咸豊3)年にペリー提督の一行は瀬底から浜崎に移動し、海岸の調査をしながら浜崎の海岸にテントを張り、さらに渡久地港まで足を伸ばし鶏や土瓶をかっぱらっている。卵や薪、唐辛子・さつま芋などは中国の銅銭で調達している。その後一行は伊江島、今帰仁へと向かっていった。

 渡久地には本部間切創立(1666年)以来間切番所(役場)が置かれ、行政の中心となり、昭和20年に役場は現在地に移動した。明治14年11月の『上杉巡回日誌』に「帆檣林立シ」との記述が見え、港内は山原船でにぎわっていた情景が記されている。その後も名護に次ぐ沖縄本島北部第二の港として栄え、那覇・名護・伊江島などとの間にも航路が開設された。農水産物・生活用品などの移出入で活気をおび、発動機船の導入によりカツオ漁業も盛んになった。『沖縄県国頭郡志』に「本部第一の鰹節産地にして毎年三万斤内外を出す」とあるほど、かつてはカツオをめぐって港が賑わっていた。昭和40年代頃まで、港を中心とした市場が栄えていたが、その後大型店舗などに押されさびれていく。

 河口港のため流入土砂の堆積が著しく、船舶の大型化に伴い浚渫が必要となり、昭和7年から同9年にかけて南北防波堤・物揚場・泊地浚渫・埋め立てなどの工事がなされた。完成後は北部随一の良港として、生活必需品の移入など、地域の産業経済の発展に大きく寄与した。同時に奄美大島(鹿児島県)と結ぶ航路船舶の寄港、鹿児島・宮崎方面の漁船の給水・停泊地としても利用され、暴風時には避難船が数多く入港した。
 第二次対戦中は日本軍の伊江島飛行場造営のため徴用労務の輸送に使用された。戦時中は貯蔵してあった輸送用燃料弾薬庫に被弾し、渡久地周辺の市街地は全戸焼失の被害を受けた。戦後の一時期、米軍の駐屯地として利用されたが、昭和26年これらの施設を琉球造船所が引き継ぎ、造船・機関修理を行った。昭和32年11月19日琉球政府により重要港湾に指定され港湾管理者は本部町となる。同38年物揚場、同40年泊地が完成。昭和47年 5月12日港湾区域の変更とともに港湾管理は本部町から琉球政府に移管され、同年5月15日本土復帰に伴い沖縄県管理の地方港湾に指定された。

 昭和50年沖縄国際海洋博覧会の本部町開催に伴い、渡久地港エキスポ地区と渡久地新港(現本部港)が新設され、渡久地新港が北部離島への定期連絡船の基地港になったため、現在は水納島定期連絡船(みんな丸、19t、1日2便)・漁船・巡視船などの利用に供され、また、荒天時には小型船の避難地となっている。
 港湾施設の現状は、エキスポ港は沖縄国際海洋博覧会の際に、観光船の入港やレジャーボートの収容、水上ショーの会場として渡久地港の港湾区域内に整備された施設である。現在はグラスボートなどの小型船が利用するほか、BG財団の青少年海洋センターが青少年のための海洋スポーツの訓練場として利用している。

 本部間切渡久地村渡久地港は、国頭地方各村より那覇に往来の船舶(主として薪炭及び用材を運ぶ)、必ず此湾に入り風定るを待って抜錨す。故に小市街の体を為し、一、二の密売婦もあると云  う。

 湾の西北に大小二島あり。瀬底島は大にして水納島は小なり。皆本間切に属す(『南島探険』2 笹森儀助 155頁)。