No 字名 概      況
13 湧 川  湧川は今帰仁の一番東部に位置し、1738年に創設されたムラである。字名はワクガーと呼ばれるが、水が湧き出るカー(泉)があるムラというより、1738年に村を創設するにあたり今帰仁間切の地頭代に与えられていた湧川大屋子をとって村名にした可能性がある。
14 天 底  天底はアミスやアミスクと呼ばれ、今帰仁村の東側に位置する字である。天底は本部間切の伊豆味村付近にあったが1719年に現在地に移動してきた。天底の故地は本部半島の中央部にあり、地理的に「天に近い盆地」(高いところにある窪地)にあったことからアミスク(天底)のムラ名が付けられた可能性がある。
15 勢理客  勢理客はジチャクと呼ぶ。今帰仁村の地に浦添市や伊是名村にも「勢理客」の地名があるが、オモロで謡われる「せりかく」は今帰仁の勢理客のことである。ジチャクはシリサクのことで「後ろの谷」のこと(『沖縄地名考』宮城真治著)。
16 渡喜仁  渡喜仁はトゥキジンと呼ぶ。小字には時仁の字が充てられている。昭和16年頃に勢理客と上運天と仲宗根・運天の小字を分割してできた字である。宮城真治の見解を借りれば、渡は津で港のこと。仲宗根の沖積地が湿地帯や湾になっていたことを想定すると、渡喜仁は炬港(大井川の河口)への半島(岬)となる。キは?仁は今帰仁の仁と同様シリと同義とするならば、旧ムラの勢理客方面から見て、港の半島?渡の文字や地形からすると旧集落から湿地帯や湾を渡った地、渡海の地のイメージもある。渡喜仁の語義はまだ未詳。