本部間切のヌルドゥンチ(ノロ制度の終焉)

 ・恩納間切のヌルドゥンチ    ・金武間切のヌルドゥンチ    ・久志間切のヌルドゥンチ
 ・名護間切のヌルドゥンチ    ・今帰仁間切のヌルドゥンチ  ・羽地間切のヌルドゥンチ
 ・大宜味間切のヌルドゥンチ  ・国頭間切のヌルドゥンチ 

 本部間切は1666年に今帰仁間切を二つに分割した半分の間切である。『琉球国由来記』(1713年)に伊野波巫(ノロ)・具志川巫(ノロ)・瀬底巫・健堅村・浦崎巫・謝花巫・崎本部巫・具志堅巫・天底巫が登場する。1713年段階で天底村は今帰仁間切の村(ムラ)であった。1719年に天底村は今帰仁間切へ移動するが天底ノロが管轄する村(ムラ)は変更がなかった。各ノロが管轄する村は以下の通りである。
 ・崎本部ノロ・・・崎本部村・健堅村
 ・瀬底ノロ・・・・・瀬底村・(健堅村)・辺名知村・石嘉波村
 ・伊野波ノロ・・・伊野波村・(満名・並里)
 ・具志川ノロ・・・具志川村(浜元村)・渡久地村
 ・浦崎ノロ・・・・・浦崎村
 ・謝花ノロ・・・・・謝花村・備瀬村
 ・天底ノロ・・・・・天底村・伊豆味村・嘉津宇村
 ・具志堅ノロ・・・具志堅村


・瀬底のろくもい
   社禄の給与額(明治43年) 200円(証券) 21円40銭(現金) 計221円40銭



      ▲瀬底ヌルドゥンチ跡             ▲昭和4年に奉納


・堅健のろくもい


    ▲堅健ヌルドゥンチ(御玉殿) 
 ・瀬底のろくもい三節

・伊野波のろくもい



・具志川のろくもい
   社禄の給与額(明治43年) 150円(証券) 22円56銭(現金) 計172円56銭
 
 『琉球国由来記』(1713年)に具志川村や具志川巫(ノロ)が登場する。具志川ノロが管轄する村は具志川村と渡久地村である。祭祀場は仲之嶽、渡久地村のヨケノ嶽、アカラ森である。その他に具志川巫火神(具志川村)と神アシアゲである。具志川ヌルドゥンチは現在の浜元にある。浜元村はかつて具志川村である。本部町浜元にあるヌルドゥンチの男衆が唐旅をしたときトゥーティンクー(土帝君)象をお土産に持ち帰り祀ったという。今は字でまつりをしている。ヌルドゥンチの後方につながる森は、今は国道で分断されているが、かつてはつながっていて、そこはヌンドゥルチの所有だったという。

 本部町辺名地の仲村家(前は仲村渠)に古琉球(万暦35年:1607)の具志川ノロの叙任辞令書がある。その他に今帰仁間切辺名地目差職補任辞令書と今帰仁間切謝花掟補任辞令書(1612年)がある。同家にある辞令書からするとヌルドゥンチ家の男衆は役人を勤めていたことがわかる。古琉球のノロ制度の実態をしる手掛かりとなる。

    しよりの御ミ事
     みやきせんまきりの
     くしかわのろ又ちともニ
     五十ぬきちはたけ四おほそ
     くしかわはる又によははる又はまかわはる
             又ほきはるともニ
       もとののおrのくわ
     一人まかとうに
     たまわり申候
  しよりよりまかとう方へまいる
  万暦三十五年七月十五日


   ▲今帰仁間切具志川ノロ叙任辞令書(1607年)



        ▲具志川ヌルドゥンチ跡              ▲ノルドゥンチにある井戸


・浦崎のろくもい
   社禄の給与額(明治43年) 50円(証券) 16円22銭(現金) 計66円22銭



       ▲浦崎ヌルドゥンチ跡                ▲ウタキへの神道


・謝花のろくもい
   社禄の給与額(明治43年) 50円(証券) 27円88銭(現金) 計77円88銭 



・具志堅のろくもい
   社禄の給与額(明治43年) 100円(証券) 5円12銭(現金) 計105円12銭


     ▲具志堅ヌルドゥンチの石垣?            ▲具志堅ヌルドゥンチ跡?


 ・八月十日御神御願ノ折ニ