大宜味間切のヌルドゥンチ(ノロ制度の終焉)

 ・恩納間切のヌルドゥンチ    ・金武間切のヌルドゥンチ    ・久志間切のヌルドゥンチ
 ・名護間切のヌルドゥンチ    ・本部間切のヌルドゥンチ    ・今帰仁間切のヌルドゥンチ 
 ・羽地間切のヌルドゥンチ    ・国頭間切のヌルドゥンチ 

【大宜味間切】
 田港間切の創設は1673年である。国頭間切からと津波村と平南村は羽地間切から。『琉球国由来記』(1713年)の頃、川田村と平良村は大宜味間切の村である。平良のヌルドゥンチは久志間切で扱う。また、親田村と屋嘉比村と美里村は、1673年大宜味間切が創設された当初は国頭間切であったが、後に大宜味間切の村となり、明治36年に三つの村が合併して田嘉里となる。屋嘉比ノロの管轄で、根謝銘(ウイ)グスクでの祭祀もある。

 田港ノロと関わる昭和十年の「ノロクモイ就職届」(写)がある。この資料はノロ制度が昭和10年にはまだ制度として残っていた証でもある。「ノロ制度の終焉」を述べていく上で貴重な資料である。昭和10年段階でもノロの継承に公の手続きが必要であった。そのこともあってノロは公務員(公のための祈りをする)であったとする根拠はそこに置いている。

【神官僧侶ノ俸給有無如何】(笹森・『南嶋探験』明治26年)
 ・田湊ノロクモイ  官給六円五十九銭八厘
 ・城ノロクモイ     同 三円八十八銭
 ・屋嘉比ノロクモイ  同 八円九十四銭四厘
   上は大宜味間切中の女神官なり。其他一切官給のものなしという。


・田港のろくもい

【管轄村】

 
  ・田港 ・屋古 ・塩屋
   ノロ田約2000坪

【明治43年の社禄】
   社禄の給与額(明治43年) 50円(証券) 35円20銭(現金) 計85円20銭

 ノロクモイ襲(就か)職届(写)
    字田港六百八十七番地戸主
      前ノロクイモイ(亡)当山ウシ  安政六年一月一日生
    字田港六百七十二番地 戸主 勇三郎二女
      現ノロクモイ襲(就か)職者松本トヨ 大正九年十一月二日生
  前ノロクモイ当山ウシ儀昭和八年一月三十一日死亡ニ付同人兄ノ孫トヨヘノロクモイ
  就職致候ニ付前ノロクモイウシノ死亡届新旧ノロクモイノ戸籍謄本並ニ新旧ノロクモイ
  系図相添ヘ此段及御届候也
     昭和十年三月十二日
       字田港六八七番地同居者 届出人当山ウシ 明治二拾八年五月十九日生
       字田港六二七番地戸主勇三郎二女
       届出人ノロクモイ就職者松本トヨ 大正九年十一月二日生
      
【田港ノロ勾玉】(新城徳佑ノート)
 
・穴の大きさ 一分五厘左右仝じ大きさ
 ・水晶丸玉 六〇個(内青玉一個、其の隣に乳白色玉一個、曲玉の直ぐ左)
 ・かんざし 頭は金色、差手は銀?





       ▲田港ノロドゥンチ跡                 ▲ウンガミの時ノロが乗る籠


       ▲ここもヌルドゥンチ跡?        ▲ここにもノロが乗る籠が置かれている


・城のろくもい

【城ノロの管轄】
  ・謝名城(根謝銘・城・一名代)・喜如嘉・饒波・大兼久
  ・ノロ田(約1000坪)・ノロ畑

【謝名城ノロクモイ所蔵】
 一、宝物(黄金簪一ツ(花ノ周囲六寸五分、竿長 三寸五分)
 一、水晶ノ玉(頚環)大四十九個 小五十一個
 一、絹衣 大一枚 小一枚

  社禄の給与額(明治43年) 50円(証券) 16円76銭(現金) 計66円76銭
・ハビィル玉(水晶玉18個・19個・トルコブルーの勾玉・ブルーの玉)
・サバネ
・ハビィル玉(謝名城)




・屋嘉比のろくもい

【遺物】屋嘉比村ヌルクムイ(沖縄史料編 県図書館臓:大正3年)
 一、水晶玉(大)八十一個 曲玉一個
 一、水晶玉(小)八十個
 一、金簪(一本 男用)
 一、日本刀 一振
 一、絹ノ衣装(神人用黄色)一枚
 一、水色ノ下着(仝上) 二枚
 一、黄色ノ長手拭 二筋
 一、南蛮
瓶(異形) 三個
 
  社禄の給与額(明治43年) 100円(証券) 15円76銭(現金) 計115円76銭

・勾玉
・水晶玉・ガラス玉
・黄金のカンザシと竹筒(カンザシの入れ物)(ウンジャミの時にだす)



 ・家ヅクリノ時ノオモイ


津波ヌルドゥンチ跡