琉球ノロ制度の終焉(企画展:終了)

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 平成23年度の企画展―「琉球ノロ制度の終焉」―を開催する。平成23年度(11月1日〜2月29日)




 明治12年の廃藩置県、明治36年の土地整理など、制度の切り替えでノロ制度そのものが翻弄される。明治43年に「沖縄県諸禄処分法」が発令され、ノロ制度そのものが大きく変わる。ノロ制度は消滅していくが、ノロの祭祀は戦後も継承されてきた。ノロの継承が危うくなっているが、祭祀そのものは、辛うじて行われている。ノロ制度が時代に翻弄されながら消えていくが、それでも祭祀そのものは辛うじて継承されている。あるいは、祭祀の記録を通してみることができる。

 ノロ制度が最後どうなっていったのか。整理していくことに。制度は廃止されてしまったが、廃止される以前の姿が祭祀にみることができる。各地のノロやヌルドゥンチの遺品やノロ関係資料を通してノロ制度の終焉を追いかけてみることに。

 昭和初期から各地のムラ・シマに神社が建立されている。神社を建立し、ムラ・シマの拝所を合祀したところ、集落内に神社を建立したところ、ウタキを神社にしたところなど、いくつかのパターンがある。神社を建設するが、これまでの祭祀は継承されている。沖縄の神社とムラ・シマの祭祀が並行して行われている。そのことに注視する必要がある。


 昭和10年代沖縄を訪れた河村只雄は『南方文化の探究』で神社化の様子について以下のように記してある。

【島の拝所の神社化の問題】(『沖縄文化の探究』講談社学術文庫 529頁)

 琉球にはなお多分に原始宗教的形態が残されている。山々、森々には原始的な拝所が無数にある。神に対する畏敬の念はもっているが、愛慕の念は薬にしようとしてもないといった趣がある。そして拝所に出入するものは女だけであった。男はあえて拝所に近づかない。礼拝の形式は少なくとも他府県人には「珍奇」はものである。こうした拝所を如何に昭和の今日にふさわしい形に生かすかが沖縄の有識者に課せられた大きな問題である。すなわち、現在山々、森々にある無数の原始的な拝所を島人の精神生活に不必要な動揺を与えることなく、如何にこれを整理し、如何に正しく神社化するかが沖縄の有識者に課せられた最重問題の一つである」と。


 昭和の初期に神社の建設が次々となされるが、これまでの祭祀も消される、しかし消えることなく行われている。(そこに琉球・沖縄の人々が持ち続けている神観念がある。ノロが関わる祭祀も同様である。)


本部町の神社の建設

 No.   名 称(正面)   建立年    備  考  字名  西 暦
 1 伊豆味神社 
 昭和五年五月二日設立
灯籠に奉納者名あり  伊豆味  1930年
 2 御大禮記念 奉納 昭和四年十一月着手
 昭和五年九月十八日竣 工
神社改築委員の名称あり。
大工 名護町字大兼久 宮城寿和
 伊豆味  1929年
 3  並里神社  昭和拾年乙亥壱月吉日  並里区代表者 区長伊是名甚盛  並 里  1935年
 4  伊野波神社  昭和八年五月改築  鶯の樹々鳴き移るイシクビリ
   恋の細道に歌を遺して

一九五四年十月修築
 伊野波 1933年

1954年 
 渡久地神社改修記念碑  昭和癸酉八年七月十一日建  寄付者芳名あり
起工 昭和八年六月六日
竣工 同   根七月廿日
建設委員
渡久地区長 前原銀助
設計施工 北迫里見
左  官  岡本市松 天久恭仁
渡久地   1933年
 拝殿改築記念碑  拝殿改 昭和拾参年弐月拾七日竣工 (事務所建築あり) 昭和十二年七月八日改築 
    辺名地区長 渡口善太郎
 辺名地  1937年
 神社改修記念碑  一九七一年十二月二十五日  裏面に改修の年号あり  辺名地  1971年
 8  備瀬社殿改修紀念碑  昭和八年癸酉弐月弐拾四日  建設  奉納 字区民一同
 昭和八年癸酉弐月弐拾四日
    建設
 備 瀬  1933年
 9  拝殿改築記念之碑  昭和拾参年戌寅九月弐拾参日建設  奉納 字区民一同
  昭和拾参年戌寅九月弐拾参日 建設
 備 瀬  1938年


【ノロクモイ地の処分問題】
 ・ノロが他家に出嫁せず、そのためノロクモイ地が代々ノロ家に世襲されている場合は問題なし。
      (処分法は所有権をノロ家に認めたものである)
 ・ノロが他家に出嫁し、収益の一部をノロが取り、一部をノロの本家がとっていた場合、村によって相当の悶着を惹き起こした。
 ・出嫁した先のノロ家がノロ本家に無断で届出をした場合、当ノロが生存中はまだいいが、ノロが死亡した場合後目相続が
  旧慣によりノロ本家の娘に継承された時、ノロクモイ地の所有権は新ノロではなく、死亡と同時にノロ職に関係なくなった
  前ノロの嫁ぎ先の家に所有権があるという不都合が起きた。
 


【企画展示の様子】

 
      【展示会場正面】            【北山神社許可申請書】

 
  【今帰仁阿応理屋恵の遺品等】       【今帰仁ノロ関係資料】

 
    【中城ノロ関係資料】           【ノロ祭祀と各間切のノロ】(山原)
 
 
     【ノロ殿内とノロ祭祀】            【奄美のノロ関係資料】

 
       【間切・島とノロ】            【ノロの継承の請願書】

 
     【北山神社許可申請書】          【ノロ継承の紛争事例】

 
  【勢理客ノロ・玉城ノロ関係資料】        【山原の各間切のノロ】


 ・恩納間切のヌルドゥンチ    ・金武間切のヌルドゥンチ    ・久志間切のヌルドゥンチ
 ・名護間切のヌルドゥンチ    ・本部間切のヌルドゥンチ    ・今帰仁間切のヌルドゥンチ 
 ・羽地間切のヌルドゥンチ    ・国頭間切のヌルドゥンチ     ・中城ノロが関わる祭祀


【ノロクモイ地】(沖縄県土地整理法案:明治32年2月7日)
   「オエカ地ノ一部ニシテ旧藩ヨリ『ノロクモイ』ト称スル村ノ神事祭祀ヲ掌レル婦女ニ役地トシテ付与シタル耕地・山野ニシテ、
   明治十四年以降国庫ヨリ其役俸ヲ給スルコトヽナレルモ、多クハ自ラ耕作シ、又ハ他ノ叶掛セシメ居レル地ヨリ独リ
   『ノロクモイ』ニ於テ耕作シ能ハストシテ本土地ヲ村ヘ返シ、現ニ村持地トナリ百姓地同様地割等ヲナサセルモノ偶々
   之ナキニアラズ」

【ノロクモイ地】(土地整理法内九条)
  「ノロクモイ地ニシテ村持トナラザルモノハ、『ノロクモイ』トシテ占有ヲ得タル者ノ所有トス」

 但し、地割や土地整理法との関係でノロクモイ地がノロ個人所有、あるいは村あるいは与(クミ)の共有地となる場合もある。

 (ノロクモイ地の処分で、ノロ地の帰属や処分など、紛争の種となる。ノロ制度の終焉とも
  関わってくる重要な部分である)



【ノロ関係辞令書】(主に『辞令書等古文書調査報告書』(沖縄県教育委員会 昭和53年)から拾う)

@喜界の東間切の阿田のろ職補任辞令書(1569年)(奄美)

   しよりの御ミ事
     ききやのひかまきりの
     あてんのろハ
       もとののろのおとゝ
     一人ゑくかたるに
     たまわり申候
   しよりよりゑくかたるか方へまいる
   隆慶三年正月五日

A君南風の大阿母知行安堵辞令書(1582年)(久米島)

   しよりの御ミ事
    くめくしかわまきりの
    にしめのうちま人ちもとハ
   あまかちの内より
  一かりや三おつかたに六十九まし
   ひらちしやはる又□□はるともニ
  又七十ぬき(ちはたけ)□(おほ)そ
   はゑはる又はなう(はる?)(はるともニ)
   このちのわくそ□この大あむかめはたまてハ
   御ゆるしめされ候
   一人きミはいの大あむに
   たまわり申(候)
  しよりよりきミはいの大あむか方へまいる
  嘉靖四十五年十月八日

B那覇の大阿母職補任辞令書

   しよりの大ミ事
    なはの大あむハ
     もとの大あむかめい
   一人おとまそもいに
   たまわり申(候)
   しよりよりおとまそもいの方へまいる
  萬暦十年八月二日

C那覇の大阿母職補任辞令書(1582年)

   しよりの御ミ事
     まわしまきりの
     うちま人ちもとハ
     あまもいのち
    一二かりやたに二まし
     ミやさとはる(又)□□(はる)・・・

    このふんのおやミかない
    又のろさとぬしおきてかないとも(ニ)
    御ゆるしめされ(候)
      もとの大あむのめい
    一人おとますもいに
     たまわり申(候)
    しよりよりおとますもいの方へまいる
    萬暦十年八月二日 

D屋喜内間切の名柄のろ職補任辞令書(奄美)(1583年)

   しよりの御ミ事
     やけうちまきりの
     なからのろハ
       もとののろのめい
    一人つるに
    たまわり申候
    しよりよりつるか方へまいる
    萬暦十一年正月廿七日

E名瀬間切の大熊のろ職補任辞令書(奄美)(1583年)

    しよりの御ミ事
      なせまきりの
      たいくまのろハ
        もとののろのめい
      一人まくもに
      たまわり申候
     しよりよりまくもか方へまいる
     萬暦十一年十月四日

F金武間切の恩納のろ職補任辞令書(1584年)
  
   しよりの御ミ事             
      きんまきりの              
      おんなのろハ              
      もとののろのくわ            
      一人まかとうに             
      たまわり申候             
   萬暦十二年五月十二日        

G君南風の大阿母知行安堵辞令書(久米島)(1585年)

   しよりの御ミ事
     くめのくしかわまきりの
     あらかきちもとのきミはいの
     大あむかののろち
   一 せちよくたに 十四ましこミなとはる
     きし□□
     このちの□□かり□□□□(て)ま
     つかいハ御きんせい有之候(にて)
   一人きミはいの大あむに
    たまわり申候
   しよりよりきみはいの大おあむか方へまいる
   萬暦十三年正月十二日

H徳の西銘間切の手々のろ職補任辞令書(奄美)(1600年)

   しよりの御ミ事
    とくのにしまきりの
    てゝのろハ
      もとののろのくわ
    一人まなへたるに
    たまわり申し候
   しよりよりまなへたるか方へまいる
   萬暦二十八年正月廿四日

I瀬戸内西間切の古志のろ職補任辞令書(奄美)(1602年)

    し(志)より(里)の御ミ事
      せんとうちにしまきりの
      こしのろハ
         もとののろのうなり
     一人まかるもいに
     たまわり申候
    しよりよりまかるもいか方へまいる
    萬暦三十年九月十日

J今帰仁間切の中城のろ職補任辞令書(1605年)

   しよりの御ミ事
    ミやきせんまきりの
    中くすくのろハ
     もとののろのくわ
    一人まうしに
   たまわり申候
  し(志)より(里)よりまうしか方へまいる
  萬暦三十三年九月十八日

K今帰仁間切の具志川のろ職補任並に知行安堵辞令書(1607年)

    みやきせんまきりの
    くしかわのろ又ちともニ
    五十ぬきちはたけ四おほそ
    くしかわはる又によははる又はまかわはる 又ほきはるともニ
      もとののろのくわ
    一人まかとうに
    たまわり申候
    しよりまかとうか方へまいる
   萬暦三十五年七月十五日

L羽地間切の大のろくひ叙任辞令書(1623年)

   首里の御ミ事
    はねしまきりの
    大のろこもい
       もとののろのうまか
    一人ひやかなに
    たまわり申候
   天啓二年十月一日

M羽地間切の屋嘉のろ職補任辞令書
(1625年)

  首里の御ミ事
     はねしまきりの
     やかのろハ
      もとののろのうまか
    一人おとうに
    たまわり申候
   天啓五年四月廿日


N金武間切のおんのろ補任辞令書(1658年)

   首里の御見事
     金武間切の
     おんなのろハ
       元ののろ之子
    一人まかぜにに
     たまわり申候
   順治十五年七月廿八日

O中城のろ叙任辞令書(隆武8:1652年)(比嘉春潮全集所収)

   首里乃御ミ事
      今帰仁間切の
      中城のろハ
        □□□□
     一人□□□に
      たまわり申候
    隆武八年二月五日

P八重山の大阿母職補任辞令書(1843年)(八重山)

    首里之御詔
      八重山嶋大阿母者
      大阿母嫁まひな遍
      (給之)
     道光二十三年癸卯七月二十九日

Q八重山の大阿母職補任辞令書(1851年)(八重山)

    首里之御詔
       八重山嶋大阿母者
       め子いんつめい
       (給之)
    

【ノロ地の処分】

 明治12年の廃藩置県後もノロは・・・・

【明治13年の沖縄県社寺役知役俸飯米等給与ノ件】(『県史12 587頁)』

 各間切各島ノロクモイ以下役々作得表高ハ往古ノ制定ニテ星霜ヲ経タル今日ニ在レテハ銘々増減ヲ生シ居リ而シテ多クハ減石ニ付到底現収高ニ拠リテ今回処分之石高ヲ確定スルモノトス、但恩納始拾三人ノ如キハ現収全高既ニ減殺セル今日ニ在リテハ更ニ廃給ノモノトシテ制外ニ処シ可然ニ付単ニ村民ノ寄附物ニ依ルノミ以上ノ細目別牒ニ於テ詳明ナリ
 明治十三年分ヨリ向フ五ヶ年間据置六ヶ年目以降五ヶ年間ハ其元額ヲ半減ニシテ逓減給与ニ改正致シ・・・・

【明治14年の指令】
 一 各ノロクモイ以下の役俸は即今の現収入高に依拠して石代給与するものとす
  一 恩納ノロクモイ始十三人の分現収高既に滅殺せる今日在りては更に廃給のものとして制外に付すべき事
  一
  一
  一 各神職僧侶共昨十三年分より拾箇年経過の末は各自力を以て生活せしむべきに付き前以其心掛肝要
    たるべく旨篤と論達可致候事
     明治十四l年九月十二日
          内務卿 松方正義代理
           内務大輔 土方久元
           大蔵卿  佐野常民


 明治32年の「土地整理法」で、沖縄県ニ於ケル土地ハ此ノ法律ノ定ムル所ニ依テ之ヲ整理ス(第一条)とある。その二条や四条に以下のようにある。その他の条文にもノロクモイ地についての規定がある。

  村ノ百姓地、地頭地、オエカ地、ノロクモイ地、上納田、キナワ畑ニシテ其ノ村ニ於テ地割ニ依リ其ノ村
   ニ於テ地割セル土地ハ地割ニ依リ其ノ配当受ケタル者又ハ其ノ権利ヲ承継シタル者ノ所有トス…(第一条)
  
  村ノ百姓地、地頭地、オエカ地、ノロクモイ地ヲ其ノ村ニ於テ屋敷地トシテ配当シタルモノハ其ノ配当ヲ受
  ケタル者又ハ其ノ権利ヲ承継シタル者ノ所有トス(第四条)


【沖縄旧慣地方制度】
 「職務規定」
  ノロクモイ交代ノ節ハ願書番毎方へ申出ノ事

【社寺禄処分の経緯】

  ・明治12年4月琉球藩が廃止され沖縄県となる。
  ・社寺の外に琉球には御嶽の拝所が各村にある。
  ・ノロクモイと女官(300名近い)がいる。
  ・ノロクモイは王府から役俸が給与されている。
  ・琉球独自の宗教形態をなしている。
  ・御嶽信仰は人々の精神的拠り所となっている。
  ・御嶽の拝所は直接地元の人々の対象となっている。
  ・ノロをはじめ神人は祭祀の指導者となっている。
  ・ノロは王府から役地としてノロクモイ地を給与されている。
  ・ノロクモイ地からの収益が神人の役俸となっている。
  ・廃藩置県により旧制度の禄制(知行・家録)の廃止へ
  ・明治12年10月6日有禄者処分方に関し、士族へこれまでの家禄高□米を更に賜給されたい旨の
   伺いをする(内務卿伊藤博文、大蔵卿大隈重信へ鍋島県令から)。
  ・明治13年になっても指令がないため、明治13年5月、先の士族禄高に加えて社寺録も加えて開申。
  ・明治13年8月3日内・蔵両卿から指令
      (国と県とのやりとりがあるが略)
  ・明治13年8月25日の上伸に対して、ノロ以下の役俸は旧藩の現収高により給与すべき旨
   の指令(内・蔵卿から:明治14年9月12日)
 
    ・・・純然たる社寺禄なるものに非す因ては聞得大君始社寺及ノロクモイ以下の・・・明治13年分
     より更に石代渡に換へ同年分より・・・向ふ五カ年間据置六ケ年目以降五ヶ年間はその元額に
     半減にして逓減給与に・・・・

     一、各ノロクモイ以下の役俸は即今之現収高に依拠して石代給与するものとす
     一、恩納ノロクモイ始十三人之分現収高既に減殺せし今日に在れては更に廃給のものとして
        制外に附すべきこと
  ・社寺禄は明治18年から逓減し、爾後五ヶ年で減す制を採用する。
  ・明治16年岩村通俊処分官の赴任により、すべてを旧慣に戻す方針に変わる。
  ・士族の禄高に対して五ヶ年金禄据え置き、その後国債証書の交付により一時処分の法は中止となり、
   金禄のまま据え置くことになる。
  ・社寺禄の逓減処分法に対しても、旧慣に戻し、社寺禄となる。
  ・奈良原繁知事になると、その方針を変更し政府の原案であった国債証券による一時処分が建議される。
  ・「旧慣地方制度」(明治26年)
    ノロクモイ交代の節は願書番毎方へ回送の事
   ノロクモイ地(沖縄旧慣地割) 県史21 155
   有税・旧藩租税法の通り・売買の禁止・耕作地(自作叶掛・自作j浮掛、百姓地に同じ)・耕作の種類(米の外20種、
   米麦、粟など)地割の慣例なし・金融の抵当禁止など)
    是は郷村の吏員及神官等の役地にして置県以後該吏員神官等は別に定める処の役俸を以て支給せらると同時に
    該役の関係を離れ其の耕作人の作地となりしこと旧地頭の如し
  ・明治39年7月3日奈良原知事から大蔵大臣坂谷芳郎、内務大臣原敬に提出される「沖縄県金禄処分法案」
  ・明治36年「沖縄土地整理法」
   第二条 村の百姓地、地頭地、オエカ地、ノロクモイ地、上納田、キナワ畑にして其の村に於いて地割せる土地は地割により
        其の配当を受くべき者の所有とす。但し其の配当を受くべき者多数の協議に依り、此の法律施行の日より一ヶ年以内
        に地割替えを為すことを得
  第九条 ノロクモチ地にして村持ちとならざるものはノロクモイとして、占有を得たる者は又は其の権利を承継したる者の
       所有とすその中に「沖縄県社寺禄処分法案」)。
  ・明治43年に「沖縄県諸禄処分法」が発令される。

【ノロクモイ地の処分方法】(明治31年)の方針
 (1)村に於いて有するノロクモイ地
  (イ)旧藩来有するもの
   (A)地割せるもの
   (B)浮掛せるもの
   (C)売買交換質入せるもの
     右百姓地の例に依り処分す
  (ロ)藩置県後村に於いて有するもの
   (A)
君南風(のろの首位に居るもの)ノロクモイは置県の後、上納物高きより村に返し村に於いて地割せるもの(久米島)
      右百姓地同様処分す
  (B)置県後ノロに於いてノロクモイ地耕作し、能はざるより村へ返し、村はノロの食料に相当の地所を永久に与え其の貢租公
     費を村に於いて負担せるもの
      右ノロに与えたる地はノロ所有となし地は百姓地同様の例に係る
  (2)旧藩来ノロの有するもの
   (イ)
ノロの世襲のもの
       右ノロの所有とす
   (ロ)ノロの後任者はノロ家一族の中よりユタの占に依り定めたるもの
       右ノロ一族の共有とす
   (ハ)ノロが出嫁するときはノロ地の収益の一部は自己に収入し、他は本家に収入し、ノロ職は依然之を襲ひ死亡のときは
     本家へ復帰せるもの(佐敷間切)
    (ニ)ノロ地を売買質入叶掛せるもの
       右は百姓地同様の例に依り処分す
  (3)阿応理恵按司の有する阿応理恵地はノロ地同様処分す(今帰仁間切)
     ※土地処分法が徹底していず、また周知されていなかったためノロ地の継承に様々な問題を起こしている。

【県社・村社建設理由書】(明治43年)


   (工事中)

【神社建立とノロクモイ】
(『琉球宗教史の研究』より)

 ・明治末に神社と寺院の改革はなされる。御嶽拝所、関連する女神官の禄制の改革はなされる。
 ・御嶽拝所は直接地元と信仰として直接結びついたものであった。
 ・御嶽拝所が低級なものとして廃止することはきなかった。神社にするには御嶽拝所の本質的な究明が必要。
 ・御嶽拝所が神社と同一の性質のものであるかどうか、当時疑問とされている。
 ・御嶽拝所を村落の神社とするには数量が余りにも多い。
 ・御嶽拝所の形態があまりにも原始的で神社として整備するには困難であった。
 ・女神官の処分も不可能で禄制改革までは行われた。
 ・往々正式の神社にまで引きなおし、彼女達(のろくもい)も正規の資格を持つ神職に更迭していく方針。
 ・諸禄処分によるノロ・大阿母等の国債証券は、拝所の維持管理資金とし、神社引き直す際の備えとした。
 ・国債証券と端数の現金の預入通帳は区町村長が保管、利子のみノロに祭祀及び維持保存費として手渡す。
 ・明治末に御嶽拝所並びに女神官の処分の方向を明示する。
 ・ノロの相続はこれまで通り、旧慣により知事の認可を得て継承。(以下に例)

       ノロクモイ承継願
                島尻郡兼城村字照屋壱番地
                  照屋ノロクモイ前役金城カメ三女
                     承継人 金城ヨシ 明治拾参年八月五日
     右ハ母金城カメ死亡ニ依リ照屋ノロクモイニ承継為致度候条何卒御認可相成度此段奉願候也
      大正二年二月十三日
                      右戸主
                       願出人   金城 亀 印
                島尻郡兼城村字照屋百四番地
                       親戚  金城 次郎 印
                仝郡兼城村字照屋五拾五番地
                       親戚  金城 徳慶 印
                仝郡兼城村長
                       大城 虎造 印
                仝郡兼城村字照屋区長
                       金城 牛  印
      沖縄県知事日比重明 殿

     (工事中)

 


 


 神職禄高役俸調(明治14年)(各間切各島のろくもい役俸)(『沖縄県史』12 沖縄県関係各省公文書1)所収と「諸録処分によるノロクモイの社禄の給与額を掲げる(諸録処分による社禄調表『琉球宗教史研究』所収)。

・ノロクモイ地
 旧藩に於いてノロクモイの役俸地として百姓地より交付せしものなるも、明治14年12月沖縄県甲第百三十号を以てノロクモイの役俸は官給となりしにより、従来のノロクモイ地は之を引上げる旨を達し、当時既に百姓地に編入せられしものの処分、其の手続きの了らざりし地なり、ノロクモイは自作し地割替をなさざるも売買・t譲渡・質入・抵当を許さず、本地に対する貢租はノロクモイ之を負担し、該当村に於いて取纒め上納す。


1.恩納間切のヌルドゥンチ
2.金武間切のヌルドゥンチ
3.久志間切のヌルドゥンチ
4.名護間切のヌルドゥンチ
5.本部間切のヌルドゥンチ
6.今帰仁間切のヌルドゥンチ
7.羽地間切のヌルドゥンチ
8.大宜味間切のヌルドゥンチ
9.国頭間切のヌルドゥンチ