シリーズ(No.4)

           今帰仁村歴史文化センターの動き

           仲原 弘哲(今帰仁村歴史文化センター館長)  はじめに
 昭和60年に「今帰仁村歴史資料館準備委員会設置条例」が制定され、平成元年に基本構想がまとまる。まだ館は建設されてはいなかったが「今帰仁のムラ・シマ」(平成元年)、「今帰仁の歴史と文化」(平成2年)、「今帰仁の自然と文化」(平成3年)、「今帰仁の生活道具」(平成4年)など大規模な企画展をコミュニティセンターの講堂で開催した。平成5年条例の一部改正がなされ「今帰仁村歴史資料館」から「今帰仁村歴史文化センター」と名称の変更がなされた。館の名称の変更は準備室の頃の活動が「歴史資料館」の名前がイメージする枠を大幅に越えた活動をしているとの判断があった。それは、前に掲げた企画展と「なきじん研究」、そして活動・研究報告を内容とした「すくみち」の発行などがあったからである。そういった準備室段階での調査・研究の成果が、後の歴史文化センター(以下「歴文」と略す)の展示や活動や方針を規定したと言っても過言ではない。
 それと歴文の教育普及活動で見逃せないのはムラ・シマ講座である。当時学校が第二土曜日休校となり、それに対応する形で進めたのが「ムラ・シマ講座」であった。それも歴文が、まだ館のない頃にスタートした事業で、「館なくして博物館活動はできる」ことを示したものであった。それが今の総合的学習へとつながっていくとは予想していなかった。この講座は今年で10年目を迎えている。平成6年度は歴文の建設に追われたものの、ムラ・シマ講座を含めて調査研究は滞ることなく行った。それが歴文の常設展示や開館後の企画展や特別展、さらに日常業務に反映していった。もちろん、職員だけでなく運営委員の調査報告、さらに村民の多くの資料提供や協力があった。現在展示してある資料のほとんどが村民の寄贈提供によるものである。
 歴文がこれまでやってきた企画展や特別展、あるいはムラ・シマ講座や総合的学習などの博物館活動を紹介し、地域博物館(歴文)の果たす役割について考える機会となれば幸いである。

.歴史文化センターの企画展
 今帰仁村歴史文化センター(「歴文」)の柱の一つに企画展がある。歴文の企画展は調査研究の中間報告であり、調査研究したものは「地域にかえす(還元)」という方針と結びついたものである。準備室からこれまで開催した企画展を掲げると以下の通りである。

 ・今帰仁のムラ・シマ(平成元年度)
 ・今帰仁の歴史と文化(平成2年度)  
 ・今帰仁の自然と文化(平成3年度)
 ・今帰仁の生活道具 (平成4年度)
  (平成7年5月歴史文化センター開館)
 ・今帰仁の戦前・戦後資料―資料が語る戦前・戦後の今帰仁
          ―(平成7年度)

 ・写真に見る今帰仁―ムラ・シマの風景・人々・生活―(平成7年度)
 ・今帰仁の地名―地名は先人達からのメッセージ―(平成8年度)
 ・古宇利島―人々・神人の祈り―(平成8年度)
 ・小学生ムラ・シマを描く(平成8年度)
 ・運天港―歴史を語る―(平成9年度)
 ・シマンチュの装い―芭蕉布・晴れ着・ムラ踊り―(平成9年度)
 ・山原のグスク―今帰仁城跡発掘遺物を中心に―(2回)
               (平成9年度)

  ・ムラ・シマを描く―ムラ・シマを記録する―(平成9年度)
 ・おとば学園の仲間たち―生活の中から―(平成10年度)
 ・山原の神アサギ―神とムラ人との接点―(平成10年度)
 ・新城徳祐氏寄贈資料展―グスク・芸能・民俗・ノート類を中心に
               ―
(平成10年度)
 ・ムラ・シマを描く―ムラ・シマを記録する―(平成10年度)
 ・今帰仁のムラ・シマ―諸 志―(平成11年度)
 ・ムラ・シマを描く―ムラ・シマを記録する―(平成11年度)

ここに掲げたのは企画展のタイトルで、展示会を開催するまでテーマの設定や調査研究などの活動がある。ムラ・シマというテーマ、そしてムラ・シマを描くキーワードをいくつも捜し求めた。ムラ・シマを描くのに歴史・自然・祭祀・人・生業・地名・土地利用・地形・屋号・教育など様々なキーワードを駆使していく。山原にはムラ・シマを見ていく基本的なキーワードがまだ残っており、幸いなことに御嶽や神アサギや集落や湧泉(カー)などの恵まれたフィールドがある。
 例えば平成
2年に「今帰仁の歴史」をテーマに企画展を開催した。それは今帰仁グスクを中心とした歴史がテーマであったが、結果として山原全体の歴史を見ていくことにつながった。つまり、今帰仁グスクが今帰仁だけでなく、山原全域ひいては奄美を含めて領域としていた可能性が見えてきた(三山統一後は中山の管轄となる)。その他のキーワードとして神アサギの調査はムラ・シマの成り立ちを考えるキーワードとなった。さらに方言や海神祭(ウンジャミ)の分布などから、それらが1213世紀から三山が形成されていく過程の名残であり言語や祭祠の調査は、北山文化圏の形成をひもといていく作業でもあった。その成果の多くは『なきじん研究』(第1号〜11号)に収録されている。

2.今帰仁村歴史文化センターの特別展
 企画展は歴文の職員や歴文に関わる村民が調査研究をしてきたものを地域に返す(還元)と同時に研究の発表の場にもなっている。また、中間報告の部分もある。それに対して特別展は村内で絵画や書道、あるいは焼き物やワラビ細工や木工など、創作活動をしている方々の作品発表の場となっている。単なる会場貸しをやっているわけではない。展示をするまでに創作者と歴文の職員との間で目的やねらいなど、つめた話し合いが持たれる。特別展は創作する方々の作品を求めたり、鑑賞したりする人との出合いの場、さらに歴文の展示力が試される場である。歴文にとっては、作者と作品を通して直に関われる機会でもある。作者にとっては、批評されたり力量や作品の真価が問われたりする場面でもある。

 @ホアキンの世界―ホセ・ホアキンの作陶展―(平成7年度)
 Aワラビ細工―魅せられる作品・色・人―(平成8年度)
 B嶋原徳七作陶展―土を焼く・アハンナ焼き―(平成9年度)
 Cかな文字の世界―かな・画・墨の重なり―(平成10年度)
 D絵と木工の三人展―酒井亜人・鋭二・披名城政隆作品展
           ―(平成
11年度)
 E不遇の画家―酒井亜人の作品展―(平成11年度) 
 F山城政子絵画展―時・こくの世界―(平成12年度)
 G今帰仁のワラビ細工―伝統つくる―(平成12年度)

 これまで開催した特別展について二、三のコメントを入れておく。
 第1回目の特別展は字平敷に工房を構えるスペイン出身のホセ・ホアキン・サンチェス・エスピーナ氏の作品の展示である。異国風の漂う作品群、さらに人柄へ魅了された。作品とその人。歴文で特別展を開催するかどうか、その判断の物差しとなった展示会であった。   


   ▲特別展「絵と木工の三人展」(平成11年度)

第2回目は、戦前今帰仁村今泊で多くの方々がワラビ細工に手を染めたが、残念ながらムラ(字)を興しての伝統工芸にはまだなり得ていない。しかし、三名のワラビ細工の作品や編み方をみていると、材料の細さやしなやかさに特長のあるもの、デザインや色、あるいは編み方に個性があるもの、三人三様の味わい深さがあり、鑑賞に十分耐え得る作品群であった。

第3回目の特別展は字仲宗根のアハンナ原に「登り窯」を構える大阪出身の嶋原徳七氏の作品を展示した。壷屋の作風を土台に、なだらかに広がるアハンナ原の自然をモチーフとした作品は、氏の穏やかな人柄とあわせて土の持つ優しさや力強さを感じさせた。

 第4回目の特別展は「かな文字の世界」。素人には鑑賞がむずかしいとおもわれがちな「かな」の世界であるが、いくつかのポイントを念頭において見ていくと、筆・墨・和紙という素材の中で主題を「どのように」表現しているのか、作者の志がにじみ出てくる作品であった。

 第5回目は「絵と木工の三人展」である。今帰仁の地で生活をしながら創作している方々の作品を観ていると、一人ひとりが今帰仁の文化を担っていることが作品を通して伝わってくる。歴文は、これまで「地域の文化の掘り起こしと発信」をテーマに掲げ特別展を開催してきた。今回は村内で油絵を中心に描いている酒井鋭二氏と、木工を営んでいる玻名城政隆氏の作品を「特別展」として展示した。ハンディを匂わせることなく、それを乗り越えての展示会であった。

 第6回目の特別展は山城政子絵画展―時・こくの世界―である。大型の数多くの作品を時代や画風でグルーピングしていると、絵に変化はあるものの一貫して流れる「こく」の世界が描かれている。展示会場の空間の中で、見る側に語りかけてくる山城さんの作品たち…その存在感のある作品が伝えようとするものと、絵に向き合う私たち自身がどう響き合うのか、あるいは素通りしていくのか。展示する側の感性をも問われた展示会であった。

 第7回目は再びワラビ細工の展示会。そこではワラビ細工を伝統として継承していけるかをテーマとした。戦前から戦後に字今泊で盛んに作られたワラビ(コシダ)細工であるが、現在今泊に住む大城タマさん、国吉春子さん、大城春子さん、仲原シズエさんの四名がワラビ細工と関わっている。歴文では、伝統文化としてワラビ細工が継承されていって欲しいという願いがあっての展示会であった。

 このように特別展は歴文と創作する方々との共同作業を通しての展示会である。創作される方と企画する側が絵画や書、焼き物などの作品を通して学ぶ場面である。同時に鑑賞される方々の感動や思いをしっかりと受け止める。

3.今帰仁ミャークニー大会など
 以上挙げた企画展、特別展とはまた趣きの異なる企画を歴文では行って来た。
 ・沖縄・今帰仁―外人宣教師が見た沖縄(195060年代)(平成11年度)
 ・今帰仁ミャークニー大会(十数年ぶりに復活)(平成13年度)
 ・神人―今帰仁村今泊―(26年前の映画の上映)(平成13年度)

 その企画は歴文のこれまでの活動とやや異なった動きである。多くの方々を一堂に集めての4050年前のカラーのスライド映写会であったり、20数年前の映画であったりする。195060年代のスライドは歴文が所蔵しているものを中心にした映写会である。戦後経験してきた生活の場面(稲作・建物・道路・服装・水・明かりなど)を記憶から蘇らせて、さらに語りついでもらいたいと考えている。また「神人」の映画は1975年に撮影され、20数年後の現在どう変貌(衰退)しているのかを動く画像で見ていただいた。

また今帰仁ミャークニー大会は十数年前まで開催していたのを復活させたものである。今帰仁ミャークニーは形式はあるが、個々の唄い手の個性がウタの個性をも形作り、聞き手を魅了する。歌い手、聞き手が一体となり琴線が弾かれたように拍手や口笛や感動の熱い思いが会場に伝わる。そのことが、再度聴きたいとの余韻を導き、再度やろうとする力となっていく。さらに伝統芸能を築く原動力になっていくだろう。

4.ムラ・シマ講座・字誌・総合的学習と地域
 この講座は小学生を対象としているが、現在子供も大人もといった陣容。今年で10年目に入っている。年7〜8回開催している。その成果が300頁余の冊子としてまとめられていく。ムラ・シマというのは、現在の字(アザ)のことであるが、明治41年まで村(ムラ)と呼んでいた。字と改称されたが、ムラという呼び方が今でも残っている。
 このムラ・シマを字別に、先に挙げたムラ・シマの基本的なキーワードでみていく(毎回数ヶ所)。

 歴文が力を入れている「動き」の一つに「字誌」との関わりがある。現在進行中の字誌は古宇利・諸志・運天である。古宇利については大詰めを迎えている。月一回の割で動いているのが運天である。最終の本の発刊まで漕ぎ着けるには継続のための膨大なエネルギーを必要とする。

 学校では総合学習がスタートしている。歴文ではムラ・シマ講座を軸とした学習が行われている。古宇利島の事例(下の図)を紹介してみる。「古宇利島とわたし」を大きなテーマにした。古宇利島を描くのにムラの成立ち・島の歴史・地名・植物・墓・島の地形・神行事・ウタキ・水・イリガー・アガリガー・建物・学校・人物・公民館(ムラヤー)・豊年祭・言葉・人の一生・港・漁業・海の生物・農業・伝説・海・屋号・戦争・ポットホール・原石・遠見台・小字など。これらのキーワードを島の人達と関わる形でまとめていく。最後のまとめとして教室全体が上にあげたキーワードで組み立てられ、語り手は島に住む人達である。生徒一人ひとりは、いずれかのキーワードを持分としてまとめ、文章や写真や現物なので表現し、他の仲間達にも報告して共有化していく。一人ひとりが調べたり聞いたりしたキーワードで古宇利島を描いていく。

おわりに
 本来他の博物館の活動まで把握して執筆すべきであったが、歴文の動きをまとめることにとどめた。歴文の日々の動きそのものが博物館活動であり、ムラ・シマ講座も総合的学習へと結びついた。まだまだ、他に学ぶことが多いのだが、試行錯誤で行っている最中である。歴文の活動や展示会などを通して地域の歴文(博物館)が果たす役割の一端を紹介できたのであれば幸いである。

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