国頭の神アサギ

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 国頭村に現在20の字があり、神アサギが確認できたのは16である。現在神アサギのないのは鏡地(昭和3年に奥間と比地から)・宜名真(昭和14年に辺戸から)・半地(昭和20年に奥間から)・楚洲(1736年)の4か字である。大正9年に奥間から分字した桃原は例外であるが神アサギをしっかりと持っている。国頭地方では比較的新しい村(アザ)は神アサギを持たないという法則を持っている。国頭村で茅ぶき屋根の神アサギは安田の神アサギのみである。

           

@浜の神アサギ
 浜は大宜味村と接し、国頭村の一番南西側に位置する字である。浜に注ぐ屋嘉比川の下流域は屋嘉比ナント(港)と呼ばれ、根謝銘グスクに対応する港である。『琉球国由来記』(1713年)に浜村のヨリアゲ森の御嶽が登場するが神アサギはない。ノロ管轄は不明である。浜からでるウイネガミ(ウイゾー)は奥間ノロ、サーニガミ(ナーハ)は屋嘉比ノロの祭祀へ参加する。「沖縄島諸祭神祝女類別表」(明治15年頃)には神アシアゲが一ヵ所ある。公民館の側にある神アサギは壁や火神などが置かれ、アサギの形態が大分崩れている。




A比地の神アサギ
 比地の集落は比地川とカデシ川が合流する挟まったところに位置する。比地村の神アサギは『琉球国由来記』(1713年)にもあり、また幸地嶽・小玉森・キンナ嶽の三つのウタキも見える。旧暦の七月盆明けの亥に日に行われる海神祭がある。神アサギ内に奥間ノロをはじめ神人達が座り、周辺の所々に一門(一族)の人たちが集って直会をする。前日には神アサギでクェナーが行われていたという。海神祭の時、比地の神アサギから奥間アサギに行き、さらに鏡地の浜までいく。現在の神アサギは柱が8本で瓦葺きの屋根、タモト木や海神祭で使うユミや藁縄や猪を模したバーキが屋根裏に置かれている。




B奥間の神アサギ
 神アサギは奥間ノロの屋敷の一角にある。元は奥間小学校敷地にあったが、学校敷地拡幅のためノロドゥンチの屋敷内に移したという。海神祭の時、比地アサギでの祭祀が終ると奥間アサギに足を運び、そこからさらに桃原(?)、鏡地の浜までいく。4本柱の瓦葺きの建物。小型ではあるが柱が高めである。香炉やタモト木は置かれていない。何度か神アサギの移動がある。




C桃原の神アサギ
 桃原は昭和26年に奥間から行政区として分離した字である。新設区でありながら、神アサギがあるのか不明。センメト瓦葺きで柱は4本。香炉は東方のウガヮングヮーに向いている。祭祀は奥間ノロの管轄である。




D辺土名の神アサギ
 
辺土名に上島(ウィンシマ)と呼ばれる辺土名の古島がある。神アサギは旧集落の高いところにある。セメント瓦屋根で本来4本の柱があったのであろう。ブロックの柱が四ケ所にある。神アサギの奥の方にイビを祭った祠がある。アサギ内は半分が一段高くなっていて、タモト木を模しているようで、そこにノロはじめ神人が座る。祭祀は辺土名ノロの管轄である。辺土名ノロ所蔵の簪(カンザシ)と勾玉2個と水晶玉が残っている。また辺土名ノロは辺土名・宇良・伊地を管轄する。海神祭の時は伊地→宇良→辺土名の順で御願(ウガン)をする。写真は海神祭の時の様子(平成12年8月21日撮影)。




E宇良の神アサギ
 他と異なった雰囲気の建物。柱は4本。中に二基の香炉が配置されている。一つは宇良、もう一つはトンジャへ向っている。宇良の一部はトンジャ(辺土名の上島付近)から移動してきたという。『琉球国由来記』(1713年)に宇良村に宇良村の神アシアゲとトヒチャ神アシアゲがあり、合併村の痕跡を残している。祭祀は辺土名ノロの管轄である。




F伊地の神アサギ
 神アサギはヒンバームイの麓にある。広場より一段上部に位置する。近年建立されているようで、以前の神アサギはもう少し平坦地にお宮と並んであった(写真がある)。その時の建物はコンクリートの4本柱で赤瓦屋根の建物であったが、現在は右(写真)のような建物となっている。香炉は建物の外側にあり、タベラガー沿いにある祠に向いているようだ。ウタキ?祭祀は辺土名ノロの管轄である。




G与那の神アサギ
  与那の公民館の前にアサギマーがあり、アサギマーを挟んで神アサギがある。隣接してあるのが火神の祠である。アサギマーの籠と棒は海神祭(旧暦の盆あけの初亥の日)のときに使われる道具である。6本のコンクリートの柱とタモト木を模してコンクリートでつくってある。屋根は平らなコンクリートである。祭祀は与那ノロの管轄である。与那ノロは与那・謝敷・佐手・辺野喜を管轄する。




H謝敷の神アサギ
 神アサギはウンバーリの高いところにあり、集落が一望できる場所にある。神アサギはコンクリートでつくられ、香炉は後方のウガミ(ウタキ)の方に向いている。アサギの隣にウンバーリ(上原)と呼ばれる旧家がある。神アサギの前に広場があり、そこで豊年祭が行われている。舞台の柱を置く場所に礎石が配置されている。また、アサギマーに行く神道がしっかりと残されている。祭祀は与那ノロの管轄である。 




I佐手の神アサギ
 集落はサチヌウィー(佐手の上)と呼ばれ場所から移動してきたという。神アサギは現集落の内にあり、赤瓦屋根の建物。4本柱の建物だったと思われる。背面は壁になっていて、後方に旧家のメー(前)(屋号)がある。サチヌウィーにも拝所がある。




J辺野喜の神アサギ
  辺野喜の祭祀は下火になっているようだ。神アサギはコンクリートの祠になっていて神アサギの形を大分崩している。『琉球国由来記』(1713年)にヨリアゲ森の御嶽、神アシアゲもあり与那ノロの管轄である。現在は与那ノロ管轄の祭祀に参加していないという。平成12年のウンガミをみたが、神アサギでの御願は見られず、シバー(旧家)にある祠が重要視されていた。


K宇嘉の神アサギ
 ニーヤー(根屋)の前をアサギマー(庭)とし、アサギマーを挟んで神アサギがある。8本(内2本は木柱)の柱からなる赤瓦葺きの建物。香炉が二ヶ所に置かれ、一つはウイハー(上の川・故地)に向って拝む。アサギナーはエイサーやウシデークなどの踊りが行われる。かつて角力なども行っていたという。祭祀は与那ノロの管轄である。




L辺戸の神アサギ
 集落の上部に位置する。周辺にノロ殿内やシバという旧家がある。アサギマーもあり、そこで豊年祭が行われる。4本柱のコンクリートの瓦屋根。香炉が置かれいるが、その位置はウガミ(御嶽)を背にしている。『琉球国由来記』(1713年)にシチャラ嶽・アフリ嶽・宜野久瀬嶽・大川、それに神アシアゲがあり、首里王府から重要な地と見られている。辺戸ノロの管轄である。




M奥の神アサギ
  「アサギはノロ殿内の拝所の後方に広がる広場があったが現在は奥公会堂が出来ているので、この公会堂の一隅に神篭りをすることになっている」(「国頭村奥の調査報告」1957年頃」。神アサギの移動があったことが知れる。現在の神アサギはトタン葺きで木の柱4本と簡易につくられている。『琉球国由来記』(1713年)にヤハ嶽とミアゲ嶽、そして奥ノロ火神と神アシアゲがある。祭祀は奥ノロの管轄である。海神祭とシノゴが一年越しに行われていたことがわかる。


N楚洲の神アサギ
 楚洲は『琉球国由来記』(1713年)に登場する村ではないので、近世後半に創設された村である(1753年には登場する)。今でもアサギマーの広場や地名があり、神アサギがあったことが知れる。また「沖縄島諸祭神祝女類別表」(明治15年頃)「楚洲村 神アシヤケ壱カ所」とあり、神アサギの存在が確認できる(現在の神アサギ?未確認)。


O安田の神アサギ
 
国頭村で茅葺き屋根の神アサギが残っているのは安田だけ。そこで行われるシヌグは国指定重要民俗文化財となっている。茅葺き屋根で木の柱が10本あり。神アサギとアサギマーはシニグや海神祭の主会場となる。線香を置く場所は、柱と柱の間に設置されていて、ウガンバラ(御嶽?)の方に向いている。『琉球国由来記』(1713年)にヨリアゲ森と神アシアゲがあり、安波ノロの管轄村である。

P安波の神アサギ
 安波集落はウイバレーを中心に展開している。そのウイバレーの上部にウンフェー、その下方に神アサギやヌルドゥンチなどがある。集落から川を越えた所にヌーガミという御嶽があるが、神アサギの香炉はソウジヤマ(集落の後方の山)に向いているコンクリート屋根(平な屋根)でコンクリートの12本の柱がある。神アサギは一段高くなっていて、アサギに入るには数段ある一本木の梯子を利用する。祭祀は安波ノロの管轄。