名護域の神アサギ

【トップへ】       
【大宜味の神アサギ】  【今帰仁の神アサギ】
【国頭の神アサギ】   【羽地域の神アサギ】       【本部の神アサギ】 
【恩納の神アサギ】   【宜野座・金武の神アサギ】  【屋我地の神アサギ】
【伊平屋の神アサギ】  【伊是名の神アサギ】


 旧名護町(名護・屋部)の神アサギを紹介することに。名護市は昭和45年に名護町・屋部村・羽地村・屋我地村・久志村が合併して名護市となる。そのため歴史や民俗や文化を見るとき、少なくとも名護域(旧名護・屋部)、羽地域(羽地村・屋我地村)、久志域のまとまりで整理しないと理解しがたい。合併して35年になるが、名護間切・羽地間切・久志間切の時代が300年近い歳月があったこともあり、現在の名護市は三つの間切域でみることで、現在根強く流れる三地域の歴史・文化の違いや共通部分が理解できるのかもしれない。
 
 『琉球国由来記』(1713年)の名護間切には、名護村・喜瀬村・幸喜村・許田村・数久田村・世冨慶村・宮里村・屋部村・宇茂佐村・安和村・山入端村の11ヶ村がある。
 
@名護村の神アサギ(グスク内)

 
『琉球国由来記』(1713年)に名護村にテンヅギノ嶽(神名:イベヅカサ)がある。三月と八月に四度御物参があり、名護ノロの管轄となっている。年中祭祀に名護巫火神、名護城神アシアゲがある。神アサギは名護グスク内にあり、惣地頭は名護ノロ火神と名護城神アサギの稲穂祭と稲穂大祭、年浴に参加?(供え物を提供)する。七月の海神祭のとき名護城神アサギに名護間切内の名護巫・屋部巫・喜瀬巫が集まって祭祀が行われる。


A宮里の神アサギ

 神アサギは宮里公民館の近くにあり、一帯は兼久(砂地)地で宮里集落(現在はマチ)は移動してきた。移動後の中心地にムラヤーや神アサギが置かれたのであろう。『琉球国由来記』(1713年)の宮里村にはマキヨガマノ嶽(神名:ススカミイベナヌス)があり、名護ノロの管轄である。

 神アサギでは稲穂祭・稲穂大祭・年浴・柴指・ミヤ種子・芋ナイ折目があり、(脇)地頭が醴(アマサケ)や赤飯、神酒などを出すことになっている。神アサギの隣に殿(トゥン)がある。


    ▲宮里の神アサギ         ▲神アサギの側にある殿(トゥン)

B宇茂佐




C屋部




D山入端




E安和





F世冨慶



G数久田



H許田





I幸喜




J喜瀬