大宜味の神アサギ

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 大宜味村域の大半の村(ムラ)は国頭間切の領域であった。大宜味村の神アサギは、今帰仁や本部や羽地、近接している国頭と比べてみても状況が違う。近年だけでなく「琉球国由来記」(1713年)当時からはっきりしない部分が多い。祭祀に向うムラ・シマの人々の特質が表れているのかもしれない。特に生活改善運動との関わりで、祭祀や神アサギを簡略化していった結果かもしれない。塩屋湾や謝名城など海神祭のようにしっかりと引き継いでいるムラ、饒波や喜如嘉などのように記憶の中に留めているムラなど、個性を持った対応をしている。神アサギの現況をみて、すぐに結論を出せるわけではないが、整理してみることに。

 大宜味間切域の祭祀の複雑は間切分割のとき、根謝銘グスクを国頭間切域ではなく大宜味間切域に組み込んでことが後々の祭祀にも影響を及ぼしているようにみえる。

 
   ・津波(津波・平南)...........津波村と平南村二つの神アサギあり。
    ・白浜(渡野喜屋)..............新しい神アサギあり。
    ・塩 屋.....................................神アサギあり。
    ・屋 古.....................................神アサギあり。
    ・田 港.....................................神アサギあり。
    ・根路銘...................................公民館内・アサギナーあり。
    ・大宜味...................................舞台と併用している。
    ・饒 波.....................................明治15年の資料に神アサギあり。
    ・喜如嘉...................................旧事務所跡にあったが、建物なし。
    ・根謝銘....................................根謝銘グスク内に神アサギあり。

    ・田嘉里....................................神アサギあり。明治15年に二つの神アサギあり。
  ムラの移動や合併、そして分離、あるいはノロ管轄などムラの歩みをたどることで、ムラの成り立ちや個性がより理解できるのかもしれない。


@津波と平南の神アサギ
 現在の津波は津波村と平南村が合併した村である。その年代については不明。神アサギの建物は一つになっているが、内部で二つに分かれている。津波ノロの管轄でコンクリートの建物で向って左が津波村、右側が平南村の神アサギである。平南村が移動して津波村にくっついてきたためか、神アサギの内部の四隅(四つ)の石が置かれている。故地の神アサギの礎石か石柱を意味しているのか?移動してきた村と合併村の痕跡が神アサギに見ることができる。神アサギの前方にナーがあり豊年祭の舞台が設置されている。明治14年「上杉県令日誌」で津波村に入ると「村中二箇の大空屋あり。アサギという」とある。現在の神アサギは平成10年建立、その前は昭和8年である。


   ▲津波・平南の神アサギ          ▲平南アサギの内部


A塩屋の神アサギ
 学校の近くにあり、現在の建物は平成9年8月(旧7)に建立してある。それ以前の神アサギも同様なセメント瓦屋根の建物である。コンクリートの柱が6本。アサギナー(庭)あり。柱は2mもあり高め。香炉なし。香炉代わりに小石が置かれていた。田港ノロの管轄で海神祭(ウンガミ)の二日目に塩屋の神アサギでも祈願がある。神人(ハミンチュ)が神アサギ内に座り、アサギナーで女性だけの踊りがある(塩屋・大川・兼久)。「招豊年」のガンザイ旗を掲げる。近くに塩炊きと関わる拝所があり、一段と高くなっていて、上殿内のクリングヮ達は、そこに座って見物する。





  ▲塩屋の神アサギ


B屋古の神アサギ
 屋古の神アサギは赤瓦屋根の建物で柱は8本。アサギナーあり。隣接してハーリーに使う舟小屋がある。神アサギの後方に祠があり、火の神が祭られている。タモト木が屋根裏に吊してある。田港ノロの管轄で海神祭(ウンガミ)の時、神アサギの回りにクムー(クモの巣)を張る。屋根に芭蕉の葉をのせ、また下は芭蕉の葉を敷いて座る。アサギナーの中心に柱をたて、その回りに神人が座る。ノロは神アサギを背に塩屋湾の方に向いて座る。



   ▲屋古の神アサギ

C田港の神アサギ
 セメント瓦屋根の建物でコンクリートの柱が10本(補助的な柱が別に2本あり)ある。香炉とタモト木なし。一段下の方に小さなナー(庭)がある。屋根裏に「紫微鑾駕」があり、1958年7月18日竣工とあり、現在の神アサギは建設から50年近いことになる。田港ノロの管轄で海神祭(ウンガミ)の時、ノロはウフェー屋を拝んでヌンドンチからアサギに向う。他の神人たちも神アサギに集る。田港の神アサギから屋古神アサギへと向う。田港ノロ(ヌンドンチ)家は田港にある。


    ▲田港の神アサギ


D白浜(渡野喜屋)の神アサギ
 白浜は昭和21年に渡野喜屋から白浜に改称した字。かつて塩屋への渡し場のあったところ。「絵図郷村帳」に「国頭間切とのきや村」と出てくるが、『琉球国由来記』(1713年)には登場してこない。四本のコンクリートの柱で、赤瓦屋根の建物。現在の神アサギは平成10年に建立されたもの。


  ▲白浜(渡野喜屋)の神アサギ

E根路銘の神アサギ
 根路銘の神アサギは現在建物としてはない。かつて神アサギで行われていた祭祀は公民館を利用している。現在の公民館敷地に神アサギとアサギナーがあり、公民館(事務所)は西側の玉井小にあった。また明治15年頃の「沖縄島諸祭神祝女類別表」の田港村に根路銘村神アシヤゲを確認できる。『琉球国由来記』(1713年)に村名は出てくるが神アサギの記載がない。田港ノロの管轄である。「根路銘のアサギは根屋の前、現在の公民館敷地にあった。・・・・瓦葺の村屋を新築するため、アサギはこわされ、その場所(アサギマー)に村屋が建てられた」(『根路銘誌』)とある。







   ▲根路銘のアサギマーと公民館

F大宜味の神アサギ
 大宜味の神アサギは、舞台兼用となっている。豊年祭のときは、神アサギを舞台にしてアサギナーではエイサー(女性だけのエイサー。ウシデークではないか?)が行われる。後方にあるのは根屋(ニーヤー?)か。「琉球国由来記」(1713年)に神アシアゲとある。城ノロの管轄である。


 ▲舞台にも使われる神アサギ


G根謝銘グスク内の神アサギ
 謝名城の根謝銘グスク内にある神アサギ。山原の羽地(親川)グスク・名護グスク・今帰仁グスクと同様グスク内にある神アサギの一つ。瓦屋根のある建物で、壁や床の敷かれてた部分があり、一般的な神アサギとは異なった造りとなっている。海神祭のとき、アサギ内の床に神人が座り、神酒を酌み交わした後、東側広場で祭祀が行われる。神アサギの建物は本来の形ではなさそうである。「琉球国由来記」(1713年)には城内の神アサギについて記されていないが、小城嶽と城ノロ火神についてはある。城ノロの管轄。




H田嘉里の神アサギ
 瓦葺きの四本柱の建物。明治36年に田嘉里は親田・屋嘉比・見里の三つの村を合併。「琉球国由来記」(1713年)の頃、三カ村は国頭間切の内。見里村に中城嶽・屋嘉比ノロ火神、屋嘉比村に神アシアゲがある。現在の神アサギ一帯がかつての屋嘉比村で、屋嘉比ノロ殿地が今でもある。また見里村跡の後方に根謝銘グスクがあり、グスク内にあるナカグスクは、由来記の中城嶽のことであろう。 




I喜如嘉の神アサギ
 現在なし。「琉球国由来記」(1713年)や「沖縄諸島諸祭神祝女類別表」(田代安定撰録、明治15年頃)には神アシアゲとでてくる。神アサギのあった場所に旧事務所が建設されたという。祭祀は城ノロの管轄。アサギガーというカー(湧泉)地名に名残りを残している。



J饒波の神アサギ
 現在なし。「琉球国由来記」(1713年)には村名と神アシアゲの記載なし。「沖縄諸島諸祭神祝女類別表」(田代安定撰録、明治15年頃)には饒波神アサギとあり、祭祀は城ノロの管轄。