今帰仁村湧川                               トップへ




・創設村と御嶽(ウタキ)―創設された湧川村と御嶽―

 近世から明治36年までに創設された村を対象にしている。創設村もいろいろある。一つの村から移動と同時に二つの村が創設されたり、あるいはいくつかの村を移して、そこに村を新しく創設した村もある。ここでは1736年に呉我・振慶名・我部・松田・桃原の村を羽地間切へ移して、そこに1738年に新しく創設されたのが湧川村である。その頃新設された村は御嶽や神アサギをつくりノロが置かれている。創設村に、なぜ御嶽や神アサギやノロや神人を置く必要あったのか。

 御嶽や神アサギを設けなければならない理由は、土地制度や祭祀そのものが村を統治していく要となっていたことによる。ノロも土地制度で土地の配分があるなど、恩恵をこうむることもある。また祭祀は村人にとって休息日である。そのために祭祀を行うことを必要としたと見るべきであろう。村を新設することは、首里王府にすれば当然のごとく租税をより効率的にとることができる。

 大正から昭和の15年にかけて分字(アザ)したところは、御嶽や神アサギなどの設置はない。それとは別に鳥居をつくり神社を創設したところがある。神社は御嶽や神アサギなどとは全く歴史を異にしたものでるが、御嶽やグスクなどを日本の神社と同一視して行こうとする流れの遺物である。大正から昭和10年代にかけての分字(アザ)と明治36年の土地整理以前の創設村や分村との比較をすることで、御嶽や祭祀、ノロをはじめとした神人制度を必要とした理由がみえてくる。

 1738年に創設された湧川村に御嶽と神アサギ、そしてノロや神人もいる。集落の後方の杜が湧川の御嶽(ウタキ)である。その杜のことをウタキやダキヤマと呼んでいる。ダキヤマは竹山ではなく、ウタキヤマと解した方がよさそうである。ウタキとダキヤマはイビヌメー(イベの前)とイビとを区別して呼んでいるのかもしれない。


湧川の神アサギ

 湧川は1738年に創設された村(ムラ)である。そのため『琉球国由来記』(1713年)には村の存在はない。明治15年頃の「沖縄島諸祭神祝女類別表」の湧川村に「字ノロクモイ火神壱ケ所、神アシアゲ壱ケ所・カレキヤマタ嶽壱ケ所」とあり、当時神アシアゲが一ケ所あったと明記されている。
  
 
 
   

⑯奥間アサギ(湧川)

 湧川に奥間神アサギと呼ばれているアサギがある。このアサギはムラの神アサギとは異なる。湧川の二つの神アサギは、二つのムラの合併の痕跡ではない。建物は他の神アサギと類似するが、火神(三つの石)が置かれていること。神アサギに火神を祭る例よほどのことである。それは奥間アサギと呼ばれているように旧家の奥間家の屋敷跡(殿地)と考えた方がよさそうである。

  



今帰仁村湧川の按司道沿いの香炉

 今帰仁村湧川に按司道(あじみち)があり、そこにカー(湧泉)跡がある。池の側に6基の香炉が置かれ、按司道と香炉、そしてカー。どのような関係にあるのか興味深い。調査してみることに。

 付近の様子を述べると、すぐ近くに新里家がある。それと湧川の村の創設は1738年である。そして寄留士族が過半数を占めている。また、豊年祭の時、メンビャの広場で棒と路次楽と奉納踊りが行われる。そこでの演舞が終わると、香炉のあるカーの側(按司道)を通り、獅子小屋へ向かう。

 これまでの香炉の調査は按司が薩州や江戸立など上国の時、随行していった奉公人が村(ムラ)の御嶽(ウタキ)のイベや遥拝場所に寄進する例が散見できる。銘の判読ができれば手がかりになるのであるが・・・。

 路次楽で江戸立に随行して行った役人達の寄進か。


      ▲按司道沿いのカー側の香炉         ▲按司道沿いのカー(そこに6基の香炉)


  ▲棒や路次楽や奉納踊が行われるメンピャー


【今帰仁上り(新里家)】(2010年3月5日)

 「今帰仁上り」(拝み)でどうしても外すことができないのが今帰仁村湧川の新里屋である。そのこともあって新里屋の調査をすることに。その日も何組かの方々が訪ねてきた。「そこは昔から拝んでいるのですが、どういうところですか?」と逆に聞かれる始末。掲げてある系図の説明をしてくれる方もいらっしゃるが、理解できず。そのことが、新里屋を拝みやってくる理由なのかもしれない。少しは説明がつくように調べてみることに(管理されている仲里さんに感謝)。

 避けては通れないテーマの一つ。驚かされるのは8基?の位牌である。「今帰仁上り」や「東廻り」などの神拝の資料(家文書)に目を通していると興味深いことがわかる。家文書に出てくる、その家の歴史(野史)で書きつづられていることが史実なのかどうか。その視点で見て行くと、その多くが史実とは言えない資料群である。もう一方で、史実かどうかとは別に野史に登場している場所場所を何故拝むのだろうかとの疑問。疑問を持ちながらも、元祖が関わった場所だというコース。

 野史の部分を史実かどうかを追いかけるのか。史実とは別にそれぞれの一門で行っている「今帰仁上り」などの現象。伝統的に行っている現象が亡くなると「琉球の姿」を失っていくことでもある。
 

 
                ▲新里家と離れの拝所


                     ▲新里家の火神や位牌や図像など

 
 ▲北山按司の位牌    ▲太子大君 開山長老の位牌
      ▲湧川奴留之元祖位牌  


▲思次良湧川按司長男などの位牌    ▲新里筑登之等の位牌      ▲新里大主の位牌      

 
  ▲今帰仁之子思次郎等の位牌      ▲(撮影不良)